8/15は毎年祖父のことを思い出す。祖父は大正生まれで戦争に行った世代だ。8/15前後になると大抵戦争のことを教えてくれた。小学校の頃だったか、興味本位で誰か殺した?と聞いた記憶がある。今考えるとスゴイことをサラッと聞いた。祖父は「戦争では撃った弾が誰かに当たったかなんてわからない」と言っていた。
最近敗戦の日、戦争の話以外でも祖父を思い出していた。祖父は食後、必ずご飯茶碗にお茶を注いで飲んでいた。子どもの頃はなんで湯飲みで飲まないのか不思議だったが、最近自分は、油もので使った皿に味噌汁を注いで飲むようになり、それで祖父のことを思い出したのだ。
油もので使った皿に味噌汁を注いで飲むと、油分が味噌汁に溶け出して皿からその大半が拭われるので、洗い物が楽になる。誰かが手間暇かけて作った味噌汁を、ちゃんと飲むとはいえ皿の油分を拭うのに使うのは憚られるが、自分で作った味噌汁ならその限りでない。しかも自分は大抵インスタントの味噌汁で済ますので、僅かながら味に変化が出るので飽きも防げる。はしたないと思う人もいるだろうが、自宅で誰が見ているわけじゃないし、別になんとも思わない。勿論外食ではそんなことはしない。
ご飯を食べた茶椀でお茶を飲むのも同じ様な理由からだったんだろう。昭和の家庭だったから祖父が家事をやるなんてことはほぼなく、皿洗いは祖母がやっていたし、ご飯粒を茶椀に残すなんてこともなかったが、きれいにご飯を食べつくしても糊のようなべたつきは多少残り乾くとカピカピになる。自分が幼い頃は祖父は皿洗いをしていなかったが、彼の幼い頃、または結婚前の習慣をそのまま続けていたんだろう。
トップ画像を作るに当たって、Googleで「ご飯茶碗 お茶」で検索してみたら、食後のお茶をご飯茶碗で飲むことの是非について言及したページが複数ヒットした。下品だという見解や、昔は普通だったという話、禅宗では修行の一環、などいろんな話があった。そして、ふと、日本では台所洗剤はいつ頃普及したのか、という疑問が頭をよぎった。自分が油もので使った皿に味噌汁を注いで飲むのと同様に、食後にご飯茶碗でお茶を飲むのも、皿洗いを楽にする為という要素がある、からだ。
それは下品だという人達も、水がすごく貴重な状況なら、そんなことは言わない筈だ。何かの番組でモンゴルの遊牧民は毎日水汲みするのが重労働である為水を大事にする、ということを紹介していた。水を少しでも節約する為に朝口をゆすいだ後、その水を捨てずに手に吐き、それで顔を洗っていた。水を少しでも節約すべき状況なら、そして食器洗い洗剤もなく水だけで皿を洗浄しなくてはならなければ、下品だのマナー違反だのという話にはならないだろう。
祖父の生まれは静岡県・三島のあたりらしかった。大正期の三島近辺がどんな状況だったかは分からないが、祖父がとびぬけて裕福な家の生まれとは思えないし、前述のモンゴル遊牧民程でないにせよ、水汲みの必要性、水の貴重性は今よりも各段に高く、そして当然食器洗い洗剤なんてものもなかったんだろうと想像する。
日本石鹸洗剤工業会 JSDAの活動 台所洗剤の開発の歴史
によると、 日本で食器洗い洗剤の普及が始まったのは1960年代だそうだ。戦前は庶民の家庭では殆ど肉を食わず、脂肪分やたんぱく質が少ないメニューが中心だった為、皿洗いは水洗いが中心で、水以外を使う場合も、熱湯、米ぬか、かまどの灰などを使っていたそうだ。
今は日本では水道普及率が高く、食器洗い洗剤も一般化している為、食後のご飯茶碗でお茶を飲む必要性は低い。そんなことをせずとも、たらいに水をはって食後すぐに皿を浸すか、食後すぐに皿を洗ってしまえばいい。だが、だからと言って、それを下品だとかマナー違反だとか言うのはどうか。確たる裏付けがあるわけではないので、あくまでも個人的な想像の範囲を出ないが、そのような発想は、自分で水汲みをする必要のなかった特権階級が庶民を見下す発想、が基になっているのではないか。なぜなら、そうすることの合理性は、ここまでに書いてきたように明白で、下品とかはしたないとか言うのは、自分で水を汲んでくる必要も、皿を洗う必要もなかった者、もしくはそんな立場への憧れを持つ者からしか生まれてこないであろうからだ。
例えば、食後のご飯茶碗でお茶を飲む行為に、衛生的な問題があるなどなら、下品とかマナー違反という発想にも合理性はあるんだろうが、そのような要素はなく、単に見た目が美しくない、その行為をよく思わないということでしかないんだろうから、庶民を見下す発想としか思えない。食後のご飯茶碗でお茶を飲むのが下品なら、口をゆすいだ水で顔を洗うなんて更に下品だということになるだろうから、そんなことを言う人は、間接的にモンゴルの遊牧民は下品だと言っていることにもなる。自分は、そんな発想の方がよっぽど下品だと考える。
昨今、出所もよく分からない創作マナーを流布するマナー講師がいて、それを取り上げるテレビ番組などもあるようだが、単にその自称マナー講師の好き嫌いでしかないマナーもかなり多いのではないか。
自分はそのようなことは好まない、だからやらない、なら理解もできるが、生活の知恵でもある行為を、短絡的に下品だとかマナー違反だとか言うのは、傲慢極まりないのではないか。そうやって偏見を煽ることの方がよっぼどマナー違反ではないだろうか。
トップ画像には、かわいいフリー素材集 いらすとや の素材を使用した。