目に余る、とは、程度がひどすぎて黙ってはいられない、とか、数が多過ぎて一度に見渡せない程、など、程度の甚だしさ、特に悪い方向性に度が過ぎることを意味する表現である。何が目に余るのかと言えば、現政府や与党の用いる表現のいい加減さで、場合によっては、言葉と行為が正反対であることもしばしばなことだ。
立憲民主党の政調会長 泉 健太が、9/10にインターネット番組で、自民党総裁選に立候補を表明した岸田 文雄の政策について「立民とほぼ同じ。連立(政権)を組めるのではないかと思う」と語ったそうだ。同じく立候補を表明した河野 太郎に関しても「いちばん爆発力を持っている」という所管を示したらしい。
立民・泉氏、岸田氏の政策「連立組めるのでは」: 日本経済新聞
岸田が何を言おうが、岸田に限らず自民の政治家が何を言おうが、民主党政権期の野党時代にはTPP反対を掲げていたのに、政権に返り咲いた途端に推進に転じたこと、2017衆院選で全ての子どもを対象に保育無償化という公約を掲げていたのに、選挙が終わるなり即反故にしようとしたことなどを忘れてはならない。
直近だけを見ても、なにかにつけて、○○の定義はない・一定でない、という論法で、都合の悪い話を有耶無耶にしている。
- 首相 菅:政治責任という定義は、ないんじゃないでしょうか
- 官房長官 加藤:病床逼迫の定義ない
- 新型ウイルス担当 西村:収束の定義は分からない
- 新型ウイルス担当 西村:何が第1波、何が第2波というような、必ずしも定義づけているわけではない
- 官房長官 加藤:何をもって虚偽答弁というか、必ずしも固定した定義が国会にあるとは承知していない
- 現首相 菅(官房長官当時):反社会勢力「定義定まっていない」
- 副首相 麻生:セクハラ罪という罪はない
こうやって話を煙に巻くようなことをする人達が何を言おうが信用に値しない。選挙前に何か素晴らしいことを言っても、選挙が終われば有耶無耶にして、それを批判されると○○の定義は…と言って発言の根本を覆しかねないからだ。例えば、例に挙げた、全ての子どもを対象にした保育無償化、についても、全ての子どもの定義は一定でない、とか、無償化の定義は一定でない、などとすれば公約破りが出来てしまう。現に自民政権はそれをやってきた。
泉は、そのようなことを勘案した上で、岸田と連立云々と言っているのだろうか。全く正気の沙汰とは思えない。恐らく、自民に傾きそうな無党派層を意識しての発言なのだろうが、そんなことを言うようでは、その所為で現支持層の信頼が揺らぐのではないか。
岸田の件に関しては、ある種のリップサービスのようなもの、とも捉えられる。では河野に関する「爆発力を持っている」という話はどうか。日経の記事だけでは、どんなニュアンスを込めて泉がそう述べたのかは分からない。だが、確かに河野は爆発力を持っている。勿論悪い意味で。
河野と言えば、誹謗中傷するアカウントだけでなく批判的なアカウント、しかも直接的に河野のアカウントへリプライや引用リツイートをしていない者も含めて、ブロックすることで有名だ。一部ではブロック太郎なんて揶揄されている。米国では大統領だったトランプが有権者のアカウントをブロックすることについて、有権者の表現の自由を阻害するので憲法に反する、という判断が示されている。
河野は批判的な有権者アカウントをブロックすることについて、誹謗中傷の防止が目的であるとし、「礼節を欠いた人の書き込みはお断りをする意味でブロックしている」「ネットの世界でも礼節が必要」として正当化、更に「私のアカウントを見に来る方が誹謗中傷も読まなければいけないのは大変申し訳ない」とも述べた。
河野氏「ネットも礼節が必要」 ツイッターブロック巡り: 日本経済新聞
しかしネット上には、前述のように、河野のアカウントへリプライや引用リツイートをしていないのにブロックされている、と主張する者も多い。
そもそも、河野は礼節に関して人に講釈できるような立場だろうか。記者の質問に答えず「次の質問どうぞ」というワードを連発したり、「所管外です」と一方的に言い続けたりする者が、一体どの口で礼節云々などと言っているのか。
更には週刊文春が、河野が「日本語わかる奴出せよ」と、官僚を高圧的に怒鳴りつける、という内容の音声も公開しているし、他にも、河野の官僚に対する礼節を欠いた態度を示す動画が出回っている。
河野太郎大臣パワハラ音声 官僚に怒鳴り声「日本語わかる奴、出せよ」 | 文春オンライン
このように河野は、礼節云々を講釈できるような立場でない。これはある意味において、礼節という日本語を恣意的に解釈し、自分に対してと他人に対してでそれぞれ異なる解釈を狡猾に使い分けている、とも言える。
河野の日本語軽視はこれにとどまらない。河野は自民党総裁選への立候補を表明に際して開いた会見で、原発について「原発を当面は再稼働していく。それが現実的」と述べた。河野は原発事故後、超党派で「原発ゼロの会」を設立した一人であり、放射性廃棄物の問題を指摘し、脱原発を唱えてきた。これは明らかな方針転換である。
これに関する記者とのやり取りがあまりにも酷い。
記者「かつて大臣は『原発ゼロの会』を作り、政治がすべきは原発ゼロの決断だと提言をまとめている。考えが変わったのか?」
— 国会ウォッチャー@総選挙まで安倍・菅政権振り返り中 (@kokkaiwatcher1) September 12, 2021
河野太郎氏「原発を当面は再稼働していく、それが現実的だと思う」
記「今も脱原発をお考えか」
河「脱原発の定義は人によって違う。一つの言葉でくくるのはやめた方がいい」 pic.twitter.com/TnY4eEHbie
このように、やはり河野も「○○の定義は…」という論法で、これまでの主張を平気で捻じ曲げる者の一人であり、まさに自民党らしさに溢れている。この河野の話に沿って解釈すると、河野にとっては原発再稼働させることも脱原発の範疇であるということになる。そんな滅茶苦茶な話があるだろうか。これはまさに羊頭狗肉、看板に偽りあり、としか言いようがない。
更に滑稽なことに、河野は同じ会見の中で
この日本の一番の礎になっているのは、長い伝統と歴史と文化に裏付けられた皇室と日本語
とも言っている。前述の様に日本語を180度捻じ曲げておいて、よくも日本語が日本の礎なんて言えるものだ。彼の中では矛盾しないんだろうが、彼が何を言っても肯定できるような狂信者でもない限り、その異様さに気づくだろう。
更に付け加えると、皇室が日本の礎という話も、戦後の象徴天皇制・民主制に反する。日本の主権が天皇にあった戦前ならまだしも、現在は国民に主権があり、日本の礎は国民である。皇室や天皇ではない。憲法に基づき、政府は当然のこと、全ての政治家がそう認識すべきだ。河野は国会議員であるだけでなく、現政府の大臣でもある。それがこんなことを言うのはかなりまずい。
自民党・河野太郎氏が会見 総裁選への出馬表明(2021年9月10日) - YouTube
この投稿における指摘を見れば、現政府や与党の関係者らがどれだけ日本語を蔑ろにしていて、日本語の意味や解釈を平気で捻じ曲げる人達であるか、は一目瞭然だろう。彼らがどんなことを言おうが決して信用できないことは、この8年間を見れば明白だし、新型ウイルス危機以降だけを勘案しても、誰の目にも明らかではないだろうか。
自民党は明らかに右派であり、現在は国粋主義とも言えるような人達がその主流派なのに、その人達が最も日本語を蔑ろにしている。河野は象徴的な存在だが、それは決して河野に限らない。これまでの自民政権の振舞いを批判してこなかったのだから、与党関係者は全て同類である。
トップ画像には、壊している人のイラスト(棒人間) | かわいいフリー素材集 いらすとや を使用した。