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適切な判断 という美辞麗句


 GoTo事業再開、延長の考えはあるのか、その時期や前提となる条件についてどのように考えているのか、という記者からの問いに対して、官房長官の加藤は、原則ワクチン検査を受けた者については県を跨ぐ移動について国として自粛要請の対象に含めない、また、感染の状況を充分に踏まえつつ、ワクチン検査パッケージも活用し観光振興策を検討する、とされている。いかに国民が安心して旅行に出かけられる環境を整えていくのか、自治体、事業者、そして国民の違憲を頂きながら、検討を進めていきたいと考えている。専門家の意見も頂き、適切に判断していくべきものと考える、と応じた。


 これは、9/16の官房長官記者会見におけるやり取りである。

 この話の前提には、国が、ワクチン接種の進捗状況を踏まえ、10-11月に感染拡大地域での行動制限の緩和策を始める方針を示したこと、大阪や福岡等一部自治体がそれに同調する姿勢を見せていること、がある。因みに、政府の御用専門家の尾身でさえも、行動制限緩和は時期尚早と言っているし、政府とは距離を置く医療関係者は当然懸念を示している。

 端的に言えば、加藤は、GoToキャンペーンの再開時期とその判断基準について聞かれているのに答えていない。強いて言えば「GoTo事業を10-11月頃再開するか、再開時期を更に先に伸ばすか、その時期や時期を判断する前提条件などについて、具体的なことはまだなにも考えていない」と言っているだけだ。なぜ分かりやすくそう言わずに、こんなまどろっこしい、分かりにくい言い方をするのか。それは、本当はその頃に再開する気満々だが、衆院選との絡みもあるし、再開するともしないとも言いにくいからだと推測できる。
 何かに誘われた時に、気が乗らないがきっぱりと断れず、行くつもりもないのに「行けたら行く」とお茶を濁すようなものだ。

 適切に判断する、という表現は、実質的には何も答えない場合の常套句だ。この表現は加藤だけでなく、政権関係者が頻繁に用いる表現であり、言質を取られまいとするため、何かを濁す逃げ道確保に使われる。
 適切に判断する、なんてのは言うまでもなく当然のことである。適切に判断したつもりが後から考えたら不適切だった、ということはあっても、最初から、適当に、いい加減に判断する、なんてことがあるわけがない。そして今の政府の面々は間違った判断でも「適正な判断だった」と言い張る人達だ。それは、数百人もの感染者を関係者から出し、感染爆発と医療崩壊を招き、治療が受けられず命を落とした人が複数いるのに、オリンピックやパラリンピックは安全安心だった、と言い張っているのはその典型的な例だ。適切に判断する、なんて言葉には何の意味もない。優しく言っても、まだ何も考えていない、と同義である。厳しく言えば、こちらの都合に合わせて判断する、だ。


 加藤は果たして適切な判断の出来る人物だろうか。取り上げたやり取りに関する公的な記録を確認しようとしたが、官房長官記者会見に関する官邸の文字記録は、記者会見冒頭の官房長官の発言しかない記者とのやり取りは文字情報にされていないのだ。冒頭発言がない会見の文字記録は何もない。

会見の動画も公開されていて、動画にも手話は付いている。だから文字記録がなくても、耳の不自由な人も内容の確認はできる。しかしなぜ記者とのやり取りは文字記録・文字情報として公開しないのか。全く不親切で、できる限り記者とのやり取りを見せたくない、という姿勢がにじみ出ている。
 これは首相会見についても同様だ。首相会見の方は官房長官会見とは異なり、一応記者質問に対する首相の応答は文字になるが、記者の質問は文字にならない。場合によっては、首相が答えないから記者が同じ事を聞いているのに、まるで記者が不必要に同じ質問を繰り返しているかのような記述がされることもある。都合の悪いことは隠そう、という姿勢であることは明らかだ。

 これは果たして「適切な判断」なのだろうか。これだけを見ても、今の政府関係者が適切な判断と言ったところで、それは何の意味もない定型句でしかない、ということが分かる。



 トップ画像には、錯乱 左 右 - Pixabayの無料ベクター素材 を使用した。

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