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自民党にあらずんば人にあらず

 平安時代最高の栄華を極めた藤原氏。日本人の姓に藤が付く名が多いのはその影響とも言われている程だ。その藤原氏の中でも全盛期と言われているのが藤原 道長が実権を握った頃で、彼が詠んだとされている、この世をば 我が世とぞ思う 望月の 欠けたることも なしと思えば、という和歌は、誰もが小学校の歴史の時間に習ったはずだ。

 これは道長晩年の歌で、三女が中宮(天皇の后)となった日に詠んだ歌だ。この世は私のためにあるようなもの。満月のように満ち足りていて足りないものは何もない、という意味であり、その勢いとある種の傲慢さがよく出ている。
 藤原氏摂関政治による隆盛は、藤原 良房が実権を握った840年代から、1086年に白川上皇による院政が始まる直前まで続いたとされている。別の見解/定義もあるが、長く見積もれば240年、短く見積もっても100年は続いていた。藤原氏による摂関政治は平安時代の一部とい教えられるので、その長さをあまり意識しないだろうが、江戸時代は1600年頃から1868年の江戸開城までの約280年間であり、期間としてそれに匹敵するほどだ。

 藤原 道長の歌同様に、その勢いと傲りを象徴する表現がある。それは、藤原の時代から院政期を挟んで次に栄華を極めた平氏の、平 時忠が言ったとされる、この一門にあらざらむ人は、皆人非人なるべし、だ。この言葉を下敷きにして、ある特定のグループの人達だけが特権を持ち、やりたい放題することを、

 平家にあらずんば人にあらず

と表現する。

 平氏は、1156年に起こった鳥羽上皇の死による権力闘争、保元の乱で台頭し実権を握った。その中心人物は平 清盛で、清盛は武士として初めて太政大臣になった人物である。しかし、平氏政権は藤原氏の栄華のようには続かず、誰もが知る語呂合わせ・1192作ろう鎌倉幕府からも分かるように、それは30年強と短い。
 平氏による政治は、実権掌握直後から多くの不満を生み、同じく武士である源氏によって打倒される。その源平合戦の様子、平氏滅亡を描いているのが平家物語であり、その書き出し、

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、偏ひとへに風の前の塵におなじ

はとても有名で、どんなに栄華を極めたとしても必ず終わりはある、と言っている。平 忠時の言葉とはとても対称的だ。



 なぜ藤原 道長の、この世をば 我が世とぞ思う 望月の 欠けたることも なしと思えば、平 忠時の、この一門にあらざらむ人は、皆人非人なるべし/平家にあらずんば人にあらず、をこの投稿で取り上げたのか、と言えば、それはどう見ても現自民政権の振舞いが

 自民党にあらずんば人にあらず

だからだ。でなければ、治療を受けられずに死んでいる人がいるのに「死者は少ない」と自己擁護したり、新規感染者が1日1000人以上も検出され、毎日のように重症者や死者も出ている状況で、「(新型ウイルス感染拡大は)曲がりなりに収束して、国際社会の中での評価は極めて高い」などと言ったり出来ないだろう。
 更に、この数年間、特に新型ウイルス危機以降のメディアは、意識的に、場合によっては無意識的に、政府与党の立場に立った報道ばかりしていて、自民党にあらずんば人にあらず、をガッチリと擁護している。

 日本では、1955年に保守政党であった日本民主党と自由党が合同し、自由民主党が結成され、保守単独政権が誕生した。この自民党による政権は1993年まで続いた。これは55年体制と呼ばれ、その約40年間で 自民党=政府、というイメージが出来上がった。

 長期政権の弊害でバブル期に汚職に塗れたことで55年体制が崩れ、その後の数年間は混沌とした状況だったが、1996年に第2次橋本政権が成立すると、そこから再び自民政権が続くことになる。1955年以降、自民党以外の政権は、1994年4月から1995年8月と、2009年9月から12年12月までの民主党政権だけ、つまりたった4年だけである。55年体制が崩れた後も、結局はそれと同じ様な状況が未だに残っていて、現在の日本人は人生の大半を自民政権下の日本で生きている。自民党にあらずんば人にあらず、とまではいかなくても、自民党にあらずんば政権にあらず、という認識が生まれる背景が確実にある。
 しかし、よく考えもせず自民政権を続けさせてきたから、バブル期に汚職が横行したんだろうし、よく考えもせずに自民政権を続けさせてきたから、いつまで経っても日本では新型ウイルスの感染拡大が収束しないんだろう。この数年間で国会を1度でも見たことがあれば、自民政権の面々が如何に聞かれたことに答えないか、そして時には支離滅裂・意味不明とすら言えるような事を平気で言う、ということが分かるはずだ。しかし、メディア関係者の大半も自民党にあらずんば政権にあらずと思っているようで、その異様さを積極的に批判指摘しないし、国民・有権者の大半も、そういうことに目を向けない。垣間見えても問題視しない。


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レミングの死の行進は誤解 自殺するほど馬鹿ではなかった - ログミーBiz

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