日本で自動車の免許が取得できるのは18歳からだ。アメリカのように、州によっては16歳、条件付きで14歳から自動車の運転免許が取得できる国もある。それは、国又は州の環境によるものでもある。日本でも16歳から自動2輪、つまりバイクの免許は取得できることになっている。
今の日本でも、地域によっては通学の為に自動2輪(原付バイクを含む)が必要、という環境もまだまだある。また、数十年前までは、中学を卒業して働きに出る者も少なくなく、仕事をする上でバイクの免許が必要という環境も決して少なくなかった。そして現在は貧富の格差が広がって自分で学費を稼ぐ学生も増えており、収入を得る為にバイクが必要、というケースも再び増えているのではないか。また、今はなくなったが、1952年から68年まで軽自動車運転免許なるものがあって、それは今の自動2輪の免許と同様に16歳から取得することが出来た。そんな免許があったのも、バイクの免許取得が16歳から可能なのと同様の理由からだろう。
アメリカの多くの州で16歳から免許取得が可能なのも、主にそれと同じ様な理由からで、大都市を除く多くの地域で、移動手段として自動車が不可欠であり、親の負担を軽減したり、親の手伝いをするのにも自動車を運転できないと困るという事情があるからだ。
しかし世界的に見て、自動車免許が取得できるようになる年齢は、日本と同じ18歳が多数派である。なぜ自動車免許が取得できる年齢は概ね18歳なのか。中古車情報サイト・Gooネットにこんな記事がある。日本で免許取得に年齢制限があるのは誰もが知っているので、少し変な見出しにも見えるが、見出しの通り、運転免許の取得可能な年齢にまつわる記事である。
運転免許取得に年齢制限はあるのか|中古車なら【グーネット】
なぜ運転免許を取得するのに満18歳以上という年齢制限があるのでしょうか。自動二輪の運転免許を取得できるのが満16歳であることを鑑みると、民法上の大人(成年)と言う解釈とも異なり、免許取得が満18歳以上なのかは、明確な理由はないようです。
ただ自動車を運転するための標識や交通法規、運転技能を理解して習得できる年齢と言うことではなく、社会道徳・ルールを遵守し、万一事故に遭遇した場合でも相応の責任の負える年齢と言うのが一般的な解釈と言えるのではないでしょうか
この部分の前半では、自動2輪免許の取得年齢を勘案すれば自動車運転免許取得可能年齢が18歳であることに明確な理由はない、としているが、この部分の後で米国の状況についても触れており、米国郊外では生活の為の移動手段としてクルマは欠かせないもの、とも指摘しているので、前段で示した理由から、日本における自動2輪免許の取得可能年齢が16歳であることの合理性は説明が出来る。
そして最も重要なのは、(18歳は)万一事故に遭遇した場合でも相応の責任の負える年齢、であるという点であり、責任能力の観点から自動車運転免許の取得可能年齢が18歳に設定されている、ということである。この記事が絶対的に正しいとは限らないが、現在の日本では18歳未満の大半が高校生以下の学生であり、収入に乏しく事故を起こした際に賠償責任等を真っ当できる環境にない。高校へ行かずに働く者もいるが、18歳未満で潤沢な収入を得る者は少なく、金銭的に責任を果たす能力に乏しいのは同じだ。また未成年者は判断能力も不充分であるとされ、親などによる監督が必要とされている。金銭的な意味合い以外でも責任能力が充分でないので、自動車運転免許取得は18歳以上とされている、と考えても妥当性がないとは言えないだろう。
それは戦後、時の流れと共に自動車免許の種類が細分化され、事故を起こすと普通車よりも大きな影響が生じることになる、つまり事故を起こした際に多方面に影響が及び、必要となる責任能力も相応に大きくなる、普通自動車以上の大型車(便宜上の表現。現在は中型車、更に準中型車も)の運転免許取得可能条件・年齢がどんどん引き上げられていることからも説明がつく。勿論、大きな自動車を運転するには相応の技能が必要で、普通免許取得後経験を積んでからそれよりも大きい自動車の運転免許を取得させるようにする、という意味合いもあるのだろうが、18/19歳に準中型以上の免許を取得できない制度に変更された背景には、未成年であり責任能力が不充分ということもあったことは否定できない。
つまり、自動車免許を取得するには、相応の責任能力が必要である、ということはほぼ間違いない。それを否定するなら、事故を起こした際に責任を取る能力がなくても自動車を運転できることになる。もしそのような者が起こした事故に巻き込まれたら、巻き込まれた側は泣き寝入りするしかなくなる。
責任を自ら取ることができない者の為に保険があるのでは?という反論も出てきそうだが、保険への加入も責任を全うすることの一部であり、保険に加入する金銭的な能力がない人のことを責任能力がないと捉えるべきだろう。だから自動車の運行には自動車損害賠償責任保険、所謂自賠責保険への加入が義務付けられている。また、自賠責保険だけでは全ての責任を真っ当することは出来ない。
禁錮5年の実刑判決で飯塚被告はどうなる? 禁錮刑確定でも「執行停止」の可能性も:東京新聞 TOKYO Web
昨日、2019年に起きた東池袋自動車暴走死傷事故について、90歳の被告へ禁固5年という地裁による実刑判決が言い忘れた。現状では控訴されるかどうかは分からないが、控訴がされなければ刑は当然確定することになる。
しかしこの東京新聞の記事では、実刑判決が確定した場合でも、刑事訴訟法には例外規定がある。懲役刑や禁固刑の受刑者について、著しく健康を害する恐れや命に危険が生じる可能性があれば、検察官の判断で刑の執行を停止できる。
元東京地検特捜部副部長の若狭勝弁護士は「医師と相談し、飯塚被告が刑務所の生活に耐えられるかを慎重に判断するだろう」と話す。
と指摘している。噛み砕いて簡素に言えば、90歳の老人は禁固5年に耐えられない恐れもあるので、禁固5年の刑は執行されないかもしれないのではないか、ということだ。果たしてそんな表現が適切かは定かでないが、SNS上では実質的な終身刑と評する向きもある。
もし刑が確定後、その年齢等に鑑み執行停止となるのだとしたら、事故を起こした際に必要とされる責任能力を持たぬ者が運転免許を有していたということになるのではないか。被害者等への賠償だけでなく、犯した罪の代償として刑に服すことも、社会的責任をとる、ということになるだろうが、その責任を全う出来ない者が運転免許を有していた、ということになるだろう。
これは、結果的に責任能力がなかった、運転免許を取得/更新した時点では責任能力はあった、とも考えられるかもしれないが、このようなことが生じたということは、今後はそれを勘案して運転免許を交付/更新しないと、運転を許可する側、運転免許を交付する側も責任を問われることになるのではないか。責任を取れない者が運転をしている、というのは、かなり恐ろしい状況である。何かあったら泣き寝入りするしかなくなるのだから。運転を許可した側に責任が及ぶのは当然だろう。
どうも今の日本では、立場が上の者、年長者らほど責任を軽んじる、いや、責任に関する認識が薄く、それが社会の歪みを生んでいると強く感じる。
この投稿を書いている最中に、現首相が、責任を果たさずに、そして責任を誤魔化し、投げ出す宣言を始めたようだ。「新型コロナウイルス対策に専念したいので総裁選に出馬しない。任期は全うする」と発言したそうだが、一体これまでどこが対策に専念していたのか、それとも今から専念するということか。そしてそれが総裁選とどう関係があるのか。やることをしっかりやれば、それこそが総裁選への対策ではないのか。任期だけは全うする? 任期だけ果たせばよいということか。開いた口が塞がらない。
トップ画像には、タクシー 運転者 名刺 - Pixabayの無料ベクター素材 を使用した。