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科学的根拠に基づいた世界のスタンダードを無視する

 政府等オリンピック強行派は、オリンピック開催直後に起きた感染爆発はオリンピックとは無関係と言い張っているものの、では一体なにがそのきっかけになったのか、という調査も発表も全く報じられない。つまり単に無関係と言い張っているだけ、という感しかない
 新聞などが報道する、公的機関の発表する新規感染者数を見ると、先週頃からその数が減り始めている。


 発表される数字は減っているものの、果たして公的機関の発表する新規感染者等の数字は信用に値するのか。昨日・9/6は7/19以来初めて新規感染者数が1000人を下回った、と報じられている。

<新型コロナ・6日>東京都で新たに968人が感染 49日ぶり1000人下回る 死亡した40、50代の7人中6人が「肥満」:東京新聞 TOKYO Web

 しかしこの数字を根拠とした陽性率50%というツイートが、ツイッターのタイムラインに流れてきた。何を根拠にそう言っているのかと言うと、前日の9/5の都の検査数は2084件で、2084件中968人が陽性であり、陽性率が約5割にもなる、という話である。

都内の最新感染動向 | 東京都 新型コロナウイルス感染症対策サイト

 前日の検査数を分母に翌日の新規感染者が検出されているとは限らないそうで、この陽性率50%という話は必ずしも正しくはないそうなのだが、それでも9/5の検査数の少なさには驚く。毎週日曜日は検査数が少ないのはもうずっと前からなのだが、日曜日は新型ウイルスは休んでくれるということでもない。勿論、同じ人がずっと働き続けるわけにはいかないだろうが、もう感染拡大が始まって1年半以上経つのに、未だに検査体制が充実しておらず、以前と何も変わらない、というのは明らかに政治の怠慢だろう。
 翌月曜日は他の平日よりも検査数が増える為、土曜/日曜日にも検査は行われているが、結果が出るのが平日にずれ込むだけ、とも考えられるが、土日の分がそのままスライドすれば月曜は他の平日の3倍程度の数字になるはずなのに、そんなことは全くない。緊急事態なら、土日も関係なく同じ様に検査する、医療機関を回すのが適切な対応だろう。例えば大規模な山火事が起きた際に、土日は消火活動は休み、もしくは規模縮小、とはならないはずだ。


 この9/5の2084件という検査数の少なさは驚異的だが、では平日は充分な検査が行われているかと言えば、そんなことは全くない。8月の都の1日あたりの検査数は、

  • 月曜:2万-2万5000
  • その他平日:1万5000-2万
  • 土曜:1万
  • 日曜:5000以下

という状況である。7月中旬以降、明らかな感染爆発が起きていたのにである。7月以前と比較しても検査数は最大でも2倍程度にしか増えていない。1日あたりの新規感染者数は7月以前の10倍にも達していたのに、充分な検査の拡大はされなかった。それどころか医療崩壊を防ぐという名目で濃厚接触者の追跡を縮小するということもやっていた。日本、東京都は、感染拡大の度に濃厚接触者の定義を狭めており、また都は重症者の定義を狭めるということもやってきた。
 そして逆に言えば、7月以前はこの半分程度しか検査が行われていなかったということである。都の人口はおよそ1396万人で、アメリカ・ニューヨーク州の人口は約1938万人である。そのニューヨーク州の1日当たりの検査数は、5月の時点で20万件以上、検査数が少ない週末でも10万件以上だった。

Coronavirus (COVID-19) - Google News

 このグーグルの、ニューヨーク州の検査数データは5/7で更新が更新が止まっている。その理由は定かでない。その頃、5月初旬のニューヨーク州の新規感染者数は2000-3000人程度だった。

ニューヨーク コロナ - Google 検索

 この程度の検査数は国外では決して珍しくはない。むしろ日本の検査数が異様な程に少なすぎる。つまり、日本の検査数の少なさでは、潜在的な感染者がもっと多く存在する、ということになる。その数は少なくとも2倍、最悪5-10倍程度に達するという予測もある。7月の感染爆発後、この数週間公的機関が発表する1日当たりの新規感染者数は減っているが、同時に検査数も減っている。検査数が減れば検出される新規感染者数が減るのも当然だ、という感は否めず、日本の公的機関が発表する数字には全く信頼感がない。


 広く検査を行いできるだけ多くの無症状の感染者を検出し、隔離治療することで感染拡大を防ぐ、というのは最早世界的な常識なのに、日本では今も積極的な検査がされておらず、それどころか未だに検査抑制がされている。SNSには、検査をして欲しいと医師や保健所に頼んだら、陽性になったら仕事にもいけなくなるし、買い物にもいけなくなるけど大丈夫? と確認されたという話も沢山ある。それでは検査を躊躇してしまう人が出るのも無理はないし、感染の疑いがあっても検査しないことで感染者が見逃され、更に感染が広がる恐れも生む。

 日本では感染拡大後間もなくPCR検査抑制論が巻き起こった。そのころはまだ2020年7月に予定通りオリンピックを開催しようとしていて、検査を拡充した結果新規感染者数が増えたらオリンピックが開催できなくなる、というのが主な動機だったんだろう。厚労省を含む専門家や関係者らが、PCR検査を増やすと医療崩壊が起こるという主張が行われ、一部メディアがそれに加担した結果、必要なところにだけ検査するクラスター対策なる方針が正当化された。その後無症状の感染者が多いことが分かっても、検査拡充はされなかった。
 2020年3月後半にはオリンピックの1年延期が決定したが、一回言いだした検査抑制が撤回されることはなかった。その背景には、副首相の麻生などの、4-5月には収まるから騒ぐ必要はない、インフルエンサのようなものだから騒ぐ必要はない、という趣旨の発言など、新型ウイルスへの軽視もあったんだろう。また政府は兎に角休業補償に消極的で、それにはやはり新規感染者数が増えることは都合が悪かったんだろう。そしてその夏には、お抱え専門家の尾身に「旅行は感染を広げない」と言わせ、反対論も強かった旅行促進政策を、経済対策だとして強行した。
 しかしその後2020年の11月頃再び感染が拡大、政府は関係性を認めないまま旅行促進政策を中止した。2020-21年末年始の感染拡大期を経ても尚、日本における検査体制は拡充されず、旅行促進政策の中止によって感染拡大は収まったかのように見えたが、その後もそれ以前の新規感染者数水準に戻ることはなかった。そしてオリンピックの強行と共に、7月の感染爆発に突入したのだが、この投稿で指摘してきたように、今も日本の検査体制は脆弱なままだ。


 感染拡大当初は、単なる風邪と軽視して検査も軽んじた。そして今は、ワクチン接種が進めば問題ないと検査を軽んじているんだろう。しかし、イギリスやアメリカ、そしてイスラエルなどのワクチン接種が世界的に進んだ国を見ても明らかなように、ワクチン接種だけでは感染拡大は収束していかない。ワクチン接種によって重症化率や死亡率は下がるかもしれないが、確率が下がるといっても、1日に数十人単位で命を落とす人がいるし、ワクチン接種しても重症化したり、後遺症が残る人もいる。
 つまり、ワクチン接種を進めつつ、検疫・積極的検査と隔離の徹底で、市中からウイルスを締め出す必要もあるのだが、死者は他国よりも少ないと胸を張るような首相の下で、その首相は後数週で退くそうだが、基本的にはその首相と変わらないような人をトップにする党による政府の下では、そういうことが軽視され続け、いつまでも新型ウイルス危機は収束しないだろう。


 トップ画像は、イラストストック「時短だ」 – 時短に役立つ素材サイト の素材を使用した。

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