人間は本当に感情に左右される生き物だ。人間だけに限ったことではないのかもしれないが、自分は人間以外になったことがないし、他の生物の詳細な感情を知ることは難しいので、人間以外がどうなのかはよく分からない。自分を含めた人間を見ていて、どんな人も少なからず感情に左右される、場合によってはかなり左右されると実感している。
というのも、一昨日の夜に、自分が今出入りしている現場の作業員の一人が「財布から5万なくなった」と騒ぎ出し、本当に5万円を誰かが彼の財布から抜き取ったのか、それとも彼の勘違いなのか、もしくは抜き取られてもいないのにそんな風に騒ぎ始めたのか、も定かでないのに、その現場の管理者が、財布から5万円を誰かが抜き取ったことを前提にして犯人捜しを始め、自分ともう一人、財布から5万円が抜き取られたとされるタイミングの前後に、その現場に1人でいた時間帯のある人間に明らかに疑いの目を向けているからだ。もし本当に5万円が抜き取られたのだとして、何故それが単独犯ということになるのか。2人以上が結託して口裏合わせをやり、それぞれのアリバイ工作をやっている恐れだってあるのに、自分かそのもう一人が犯人であることが濃厚という空気に、明らかに現場全体がなってしまっている。
これがものすごいストレスで、昨日から腹立たしいやら悲しいやら、負の感情が頭の中を支配している。もうその人達には一切関わりたくないが、現場を途中で放り出すわけにもいかず、そんな状況が更にストレスを増幅する。
前段の話をここに書くことにはためらいもあって、しかし他のことで数百文字以上の文章を書くような気分になれず、今日は投稿を休もうかとも思った。このブログは、当初は毎日更新を想定していなかったものの、始めてから半年くらい毎日更新したことで、その後は自分の中で毎日更新が義務化している。強いストレスに晒されていることで更新を休もうかと思ったのだが、ずっと続けてきた毎日更新に穴をあけるということも、自分にとってはまたストレスになりそうな気がして、だったら、文字化・文章化して何にストレスを感じているのかを整理しよう、それを今日の投稿にしよう、ということで落ち着いた。
このブログは自分の趣味の延長線上であり、収入には全くならないので、比較対象にはならないかもしれないし、比較対象にすることはおこがましいような気もするが、新聞などに何十年も毎日連載を持っている漫画家などを尊敬する。彼らにだって確実に感情があって、そして日々の生活がある。その中では嫌な気分になることも起きるだろうし、それで頭がいっぱいになってしまうこともあるだろう。でも彼らは何十年も連載に穴をあけない。
仕事なんだから当然だ、という声もありそうだが、仕事ってのはそんなに何よりも優先されるべきなんだろうか。仕事以外のことでストレスに晒されたならまだしも、仕事上の人間関係で強いストレスに晒されているのに、仕事はそれを我慢してやらないといけないことなんだろうか。
勿論生きていくのに一定の収入は必要で、それを確保する為にはある程度の我慢も必要だろう。しかし、精神的にまいってしまうような強いストレスに晒されても、それでも仕事を優先させないといけないのか。もしそうなんだとしたら、今すぐにでも死んだ方がマシだ。強いストレスに晒されても仕事を優先させないといけないような社会で生きることには全く価値を見出せない。そんな社会で生きていくしかないなら、さっさと死んだ方がマシだ。
This is the City of Philadelphia today pic.twitter.com/sIj5Em51zn
— Jack Posobiec 🇺🇸 (@JackPosobiec) September 5, 2021
数日前にこのツイートが話題になっていた。フィラデルフィアのとある街頭を撮影したとされる映像が添えられていて、そこには多数のヘロイン中毒と思われる、フリーズした人、フリーズしかかっていてかなり動きが遅い、動きが危うい人達が複数映っている。
フィラデルフィアはアメリカ東部・ペンシルベニア州最大の都市で、ニューヨークからも2-3時間の距離にある。ペンシルベニア州は所謂ラストベルトの一つに数えられる州であり、貧困が社会問題化している。それはフィラデルフィアも例外ではない。果たしてこの動画が本当に9/5に撮影されたのかは定かでないが、フィラデルフィアにこのような状況がある、ということはもうかなり前から指摘されてきたし、このような状況があるのはフィラデルフィアに限らない。
この映像を見て、自分はこう感じた。
いつまでも理想的にはなり得ない現実で、苦労して寿命まで生きるのが幸せなのか。ヘロインに依存して自分の内側に閉じこもり、肉体はボロボロになってオーバードーズして死んでしまう方が幸せなのか
と。
マトリックスの新作が公開される、と話題になっているが、あの映画の設定では、人類は機械のエネルギー源にされ、カプセルで培養されてそこから出ることなく死んでいく。あの映画の設定では、効率よく人をエネルギー源にする為に、人は一生目覚めることなく生まれてから死ぬまで夢の中だけで人生が終わる。でも夢の中だけで生きられるだけマシなのかもしれない。あの映画の中では、機械に支配されまいとする人達が住めなくなった地上を捨てて地下に籠って細々と生きている。それに比べたら夢の中にだけ生きる方がマシなのかもしれない。
現時点が理想的でないのはある程度仕方ない。しかし、将来的には少しは改善していくだろう、という希望が見えなければ、ずっと我慢して生き続けるよりも死んだ方がマシと思う人も出てくるだろうし、そんな社会で子どもを作り苦しい目に合わせたくないと思う人も出てくるだろう。将来はもっと悪くなる、という風に感じられる社会なら尚更だ。
トップ画像は、ガラス ディスク 壊れた - Pixabayの無料写真