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世間知らずで自信過剰

 今の中国では漢民族が支配者層だが、つい100年前までのおよそ250年間、つまり清王朝は、中国東北部の民族・女真族による王朝だった。現在征服王朝と呼ばれる、漢民族から見た異民族による王朝は、清以外にも遼・金・元があるし、中国の歴史にはそれ以外にも漢民族以外の国が多く出てくる。

 前漢の歴史書・史記にこんなエピソードがある。漢の武帝が現在の中国南部からベトナム北部に位置していた南越を制服しようと、その足掛かりにする為に漢と南越の境にあった国・夜郎へ使者を送ったところ、夜郎は漢よりも遥かに小規模なのに、夜郎の王は使者に対して「漢孰與我大(漢と我といずれが大なるか)」と尋ねたそうだ。これが夜郎自大の語源であり、夜郎自大とは、世間知らずで自信過剰、自分の力量を知らずにいばること、を意味する。少しニュアンスは異なるかもしれないが、井の中の蛙大海を知らず、と大意では同じだ。

 今は一時期よりは下火になったが、2010年代は日本スゴイと称賛するテレビバラエティー番組が多かった。しかし日本の賃金は先進7か国の中で唯一2000年以降増えておらず、寧ろ減っていて、男女格差も最低、同性婚や選択的別姓も先進国で唯一認めていない時代遅れの貧乏な国になってしまった。新型ウイルスの感染状況も当初はアジアで最悪、デルタ株が猛威をふるって以降は東南アジア諸国の状況が悪化してそれらと同じレベルにはなったが、東アジアに置いては間違いなく一番の劣等生だ。そんな中でオリンピックを強行しその期間中にこれまでで最悪の感染爆発と医療崩壊を招いた。しかも五輪関係者における入院者数を過小に発表し、パラリンピック終了後に実はその5倍だったと発表する始末だ。
 もはや日本スゴイと思っているのは一部の日本人と日本びいきな物好き外国人だけ、その外国人たちのおよそ半分程度も、純粋にスゴイと思っているのではなく、安く楽しめる旅行先等としていい国という評価だろうから、まさに夜郎自大とはこのことなんだろう。


 前述したように、夜郎自大には世間知らずの意があり、それがこの投稿の冒頭で夜郎自大に触れた理由だ。昨日ツイッターで、国連人権理事会において43か国が賛成し、汚染のない健康的な環境は基本的人権であることを認め、気候変動についても人権問題であることを公式に決議したが、日本は中国/ロシア/インドと共に棄権した、ということを知った。しかし、英語記事が出てから1日経っても、この件に関する日本語の記事は一切見当たらない。

 なぜ日本の大手メディアはこの件を記事化しないのか。ロイターやガーディアン、CNNなど、世界的に有名な英語メディアが軒並み取り上げているのを見れば、この件が報道する必要のない些細なこととは思えない。このような状況だと、報道しないのは日本が棄権したから?それが政府与党の衆院選に悪影響だから?そう忖度しているから?と勘繰りたくなってしまう。

 この件に日本語でアクセスする為にはツイッターなど情報に頼るしかない状況なのだが、この件をツイートして多くの反応を得ているツイートの中には、不正確な情報も含まれている。

「歴史的な決議は米英含め43-0で採択」とあるが、ロイターの記事には、

The vote passed with overwhelming support, despite criticism in the lead-up from some countries, notably the United States and Britain. / アメリカやイギリスなどの一部の国からは批判もありましたが、圧倒的な支持を得て可決されました。  
Britain, which was among the critics of the proposal in recent intense negotiations, voted in favour in a surprise, last-minute move.  / 英国は、最近の激しい交渉の中でこの提案を批判していましたが、直前になって驚きの票を投じて賛成に回りました。 
The United States did not vote since it is not currently a member of the 47-member Council. / 米国は現在47カ国の理事会に加盟していないため、投票はしませんでした。

とあり、イギリスは賛成したが、アメリカはそもそも投票に参加していないのではないか
 当該ツイ―トが引用しているガーディアンの記事にも、米英含め43-0で採択、に該当する記述は見当たらない。次のロイターの記事を見れば、米英がこれまでこの件に批判的、つまり反対の姿勢であったことが分かる。

 日本語メディアが記事化して正確な内容を伝えれば、このようなことにはならないかもしれない。しかしこの数年日本語大手メディアは、しばしば恣意的な翻訳をやるので、五十歩百歩でしかないかもしれない。


 世間知らずの意味でも日本の、いや一部の日本人の夜郎自大さが分かる事案だが、自信過剰という意味でも夜郎自大であることも、この件は示している。国連人権理事会での採決における棄権は決してこの件だけでなく、日本、少なくとも現在の日本政府、つまり自公政権の人権意識の低さは世界でも最低レベルだ。しかし日本人の多くは、日本は先進国・先進的と信じて疑わない。

 日本はミャンマーの少数民族・ロヒンギャへの迫害を非難する決議案の採決を棄権し続けている。

「ロヒンギャ迫害」に非難決議 国連委、日本は今年も棄権|【西日本新聞me】

 また昨日、日本政府がミャンマー軍政派遣の外交官5人を承認した、という報道もあった。

 日本は今年・2021年の5月にも、多数の市民に犠牲が出た、パレスチナ自治区ガザにおけるイスラエルとハマスの武力衝突に関する調査実施、についての国連人権理事会における採決を棄権した。

ガザ武力衝突を調査 国連人権理が決議、日本棄権:時事ドットコム

 これらだけから考えても、現在の自公政権の人権意識が如何に低いかがよく分かる。勿論国際的な人権意識だけでなく、同性婚や選択的別姓を認めようとしない姿勢も人権意識の低さだし、排外主義者・差別主義者に対して積極的な批判・対策をしないのも人権意識の低さだ。


 最後に付け加えると、日本が環境は人権問題であるという決議を棄権した背景には、原発事故によって生じた汚染水を海に放出したいから、ということもあるんだろう

海洋放出は「時期尚早」 国連特別報告者、人権理で:東京新聞 TOKYO Web

 汚染水の海洋放出は適切でないという指摘を受けたことは報じつつ、日本が環境は人権問題であるという決議を棄権したことは記事化しない日本語メディアは誠実と言えるだろうか。自分には全くそう思えない。


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