首尾一貫とは、方針や考え方などが始めから終わりまで変わらずに筋が通っていること、を指す。読んで字の如く、頭(首)のてっぺんから尻尾の先まで一貫性がある、ということだ。首尾一貫した姿勢、のように肯定的に用いることもあれば、言っていることがてんでばらばらで首尾一貫していない、などと否定的に使うこともある。
政治の世界では非論理的なことも多く、首尾一貫しない話は珍しくもない。しかし、2012年末に成立した安倍自民政権、そしてそれを引き継いだ菅政権ではそれが著しく顕著になった。論理よりも情緒が優先され、非論理的な説明・政策方針が示され続けた。朝令暮改で言っていることが変わることもしばしばだし、二枚舌でいい加減なことを言いまくる大臣や官房長官ばかりだ。
新たに自民の新総裁となった岸田は「生まれ変わる」などと言っているが、収賄疑惑で説明から逃げ続けた甘利を党幹事長に据え、その甘利は収賄疑惑はもう説明を果たしたと言っているのだから、これからも非論理的で首尾一貫しない政治が続くんだろう。
宣言明け初の週末 浅草で観光客にぎわう 都は感染予防行動の緩みを警戒:東京新聞 TOKYO Web
この記事を書いた記者は、そして掲載を許可したデスクか編集長などの責任者、またこれを読んだ東京新聞の関係者たちは、これを、一貫性がない、首尾一貫していない、と思わないのだろうか。
東京都は緊急事態宣言解除によって、マスク着用など感染防止対策の行動が緩むことを警戒。あらためて注意を呼びかけているそうだが、行動が緩むことを警戒するなら、なぜ緊急事態宣言を解除したのか、という話だ。解除をしたのは政府であり都ではないが、都知事、都議会等は宣言解除に明確な懸念や反対を表明したか。そんな風には全く見えなかった。つまり都がやっていること、担当者が言っていることに一貫性がない。
都は解除にあたってリバウンド(感染再拡大)防止措置を決定し、新型コロナウイルス特措法に基づき、①外出は少人数で混雑している場所や時間帯を避ける②帰省や旅行など都道府県間の移動時は、基本的な感染防止対策を徹底③午後9時以降は飲食店などに出入りしない④路上や公園での集団での飲酒などの自粛―を都民らに要請している
という記述もあって、緊急事態宣言と同様の措置を講じるなら、宣言解除せずに続けた方が市民の気の緩みは起きにくいはずだ。宣言解除、と聞けば、少なくない人が、もう大丈夫だろう、と思うだろう。それで「気を緩めるな」と言うのは支離滅裂だ。全く一貫性がない。しかしそのような注釈も指摘も記事には一切ない。行政の言いなりになって広報をやっている状態でしかない。つまり、このような記事を書く記者や、内容に違和を感じない関係者も、一貫性のなさを理解していないと言えるのではないか。
これまでも、少し状況が改善すると気が緩むのは市民ではなくて行政だった。特に自民、維新、都知事、とその仲間たちだ。GOTOも、聖火リレー、五輪強行もその例で、行政の気の緩みとその悪影響は、もう何度も見た光景である。次の感染拡大もありえると指摘されている中で、神奈川県ではもう病床を減らすという。どう考えても緩んでいるのは行政でしかない。
<新型コロナ>神奈川県、即応病床を2000→1300に 横浜の酸素センター閉鎖へ:東京新聞 TOKYO Web
予備で三百床を準備しておく態勢は変えず、感染者数が増加してきたら三週間以内に即応病床を拡大する、とも書かれているが、7月の感染爆発でどんな状況が起きたかを考えれば、3週間は対応スピードとして間違いなく不十分で、その間に診療治療を受けられずに命を落とす人が出てしまう対応スピードでしかない。
一つめの都に関する記事の後半では、緊急事態宣言の影響で経営が苦しい飲食店観光業などについて触れている。しかし、足りないのは行政の支援や補償であるという論調は全く見られず、首相の菅が唱えた自助論、都知事 小池の好きな自己責任論に同調している感しかない。この記事がどんな目線で書かれているか、それはそういう、書かれていないことから推測出来てしまう。
記事は書かれていることが全て、というわけではない。触れるべきことに触れていないなら、批判されて、不信を持たれても仕方がない。触れるべきことに触れないのは、沖縄の選挙で、都合が悪いので基地問題に全く触れない候補のようなものだ。
トップ画像は、ちょうどいいイラスト の素材を使用した。