スキップしてメイン コンテンツに移動
 

他人の失敗を笑えば、自分も同じように笑われる

 世の中には、勉強が得意だけど運動は苦手な人、運動は得意だけど勉強は苦手な人、両方とも得意な人、両方とも苦手な人などがいる。勉強や運動が苦手、嫌いな理由は人それぞれだろうが、楽しくない思いをした、嫌な思いをしたことで苦手意識が生まれた、嫌いになった、ということも少なくないのではないか。

 学校の勉強・運動が苦手、嫌いな人が全員怠惰で努力するのが嫌いなのかと言えば、決してそうとは限らない。自分の幼馴染には、勉強はからっきしだったが、サッカーに関しては貪欲に取り組み、どんな努力も惜しまない奴がいた。また、勉強も運動もダメだったがバイクに対する興味は人一倍強く、16ですぐに免許を取って、高校生の頃から自分のバイクを全バラシしていた奴もいる。当時はまだネットもなく、今みたいに分からないことはブログやYoutubeを検索すれば大抵分かる、なんて状況ではなかった。分からなければ本を読む、近所のバイク屋で聞くと積極的だった。

 自分は比較的、というか基本的に人の目をあまり気にしないタイプで、小中学校では間違いを恐れずに積極的に発言をするタイプだったが、自分の同級生たちには、自分のように積極的に発言するタイプは少なかった。大学でもその状況は変わらず、自分は決して優等生ではなかったが、こいつらは一体何しに大学に来たんだろう、と思ったことを覚えている。
 なぜ日本人は授業で積極的に発言しないのだろう。勿論、自分の周りはみんな積極的に発言していたよ、という人に出会うこともあるが、経験上それは少数派で、積極的に発言する生徒は少なかった、という人の方が多い。なぜ積極的に発言しなかったのか、と聞くと、大抵の人は目立ちたくないと言う。そして、間違って笑われたくない、とも言う。
 勉強にせよ運動にせよ、苦手・嫌いになる理由で多いのは、失敗を笑われるなど嫌な思いをしたから、というケースが多いように思う。成功体験の方が強い人は基本的に苦手・嫌いにならない。失敗しても嫌な思いをしなければ、敬遠するきっかけにはなりにくいんだろうが、失敗したことをからかわれたりして嫌な思いをすると、それが敬遠するきっかけになって、敬遠してしまうから苦手になってしまう、ということが決して少なくないだろう。


 日本人には思いやりがある、ということがしばしば言われるが、それは果たして本当だろうか。日本人に思いやりがあるなら、基本的に他人の失敗を笑ったりからかったりはしないだろう。でも、多くの人が失敗を笑われたりからかわれたりしていて、嫌な思いをするから勉強や運動が苦手になったり嫌いになったりする。
 SNSを見ていても、日本人には思いやりがあるという話は全く正確でない、と思わざるをえない。たとえばこの件に関しても、真冬の野宿を本気で心配している人がいる一方で、「考えが足りないんだよwww」みたいに明らかに馬鹿にしたいだけの投稿が少なくなかった。

真冬に徒歩で日本縦断2800キロ ネット注目の19歳少年、5日後に挑戦断念「深く反省しています」: J-CAST ニュース【全文表示】

 人間は失敗を繰り返して成長していくものだ。昨今、公園の遊具はケガをするから危ないとか、ボール遊びは危ないから禁止とか、危ないから川で遊んではいけないとか、兎に角危ないからとあれこれ禁止する風潮がある。昔の子どもがやっていたことを、危ないからと取り上げることは、子どもを保護しているように見えて、子どもから経験の機会を奪っている。子どもから経験する機会を奪う、は、自ら判断する力を養う機会を奪う、という意味でもある。言い換えればそれは失敗する機会を奪う、ということでもある

 前述の記事の件については、真冬の野宿は凍死の恐れがある、と指摘する人が多数派だったが、10月に沖縄から北上していく過程で、本土に入ったらすぐ凍死はあり得ない。そして彼もバカじゃないだろうから、これはヤバイと思ったらそこで中断するとか、考え直すとかしただろう。つまり、この挑戦を始める前に止めさせた人達は、彼から失敗する機会を奪ったのだ。
 中にはクマなどに襲われたらどうするんだなんて言っている人もいたが、野宿で凍死するような気温ならクマは普通冬眠している。クマに襲われる恐れは寧ろ夏の方が高いだろう。それ以前に、クマに襲われる恐れがあるから無謀云々なんて言い出したら、全てのキャンプや登山を禁止・否定しなければならない。そのような話は、単にマウントをとってバカにしたいだけとしか思えない。


 この件に限らず、SNSには他人に対してマウントをとってバカにしたい、嘲笑したいだけの人が溢れている。それは危ないよ、それは間違いだよ、という忠告までは何も問題ないが、同じ人、同じ組織などが同じ失敗、間違いを何度も何度も繰り返しているのでもない限り、バカにしたり嘲笑するのは適切とは言い難い。そんな態度は、思いやりがある、なんて絶対に言えない。でもそのような人が大勢いる。

小室圭さん、米ニューヨーク州の弁護士試験に不合格 | 毎日新聞

 大手と言われる新聞がこんな記事を掲載すること、そしてこの記事に対するSNS上の反応などを見れば、如何に、日本人は思いやりに欠ける国民性、なのかがよく分かる。


 他人の失敗を笑えば、自分も同じように失敗を笑われる。そうやって負の連鎖が続いていく。そんな空気を変えない限り、いじめやハラスメント/嫌がらせが蔓延る日本の陰湿な社会も変わらないだろう。



 トップ画像には、やったぞ2 – イラストストック「時短だ」 を使用した。

このブログの人気の投稿

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

読書と朗読を聞くことの違い

 「 本の内容を音声で聞かせてくれる「オーディオブック」は読書の代わりになり得るのか? 」という記事をGigazineが掲載した。Time(アメリカ版)の記事を翻訳・要約した記事で、ペンシルベニア・ブルームスバーグ大学のベス ロゴウスキさんの研究と、バージニア大学のダニエル ウィリンガムさんの研究に関する話である。記事の冒頭でも説明されているようにアメリカでは車移動が多く、運転中に本を読むことは出来ないので、書籍を朗読した音声・オーディオブックを利用する人が多くいる。これがこの話の前提になっているようだ。  記事ではそれらの研究を前提に、いくつかの側面からオーディオブックと読書の違いについて検証しているが、「 仕事や勉強のためではなく「単なる娯楽」としてオーディオブックを利用するのであれば、単に物語を楽しむだけであれば、 」という条件付きながら、「 オーディオブックと読書の間にはわずかな違いしかない 」としている。

あんたは市長になるよ

 うんざりすることがあまりにも多い時、面白い映画は気分転換のよいきっかけになる。先週はあまりにもがっかりさせられることばかりだったので、昨日は事前に食料を買い込んで家に籠って映画に浸ることにした。マンガを全巻一気読みするように バックトゥザフューチャー3作を続けて鑑賞 した。

敵より怖いバカな大将多くして船山を上る

 1912年に氷山に衝突して沈没したタイタニックはとても有名だ。これに因んだ映画だけでもかなり多くの本数が製作されている。ドキュメンタリー番組でもしばしば取り上げられる。中でも有名なのは、やはり1997年に公開された、ジェームズ キャメロン監督・レオナルド ディカプリオ主演の映画だろう。