クレジットカードの”クレジット”は信用って意味なんだよ、というのはよくある小ネタだ。よくあり過ぎて、小ネタにすらならないくらい知っている人の方が多いかもしれない。自分が初めてそれを聞いたのは、多分中学校の英語の先生の雑談だったと思う。
Credit という単語に触れる機会が、日本ではほとんどクレジットカードくらいしかないからか、また、パチスロやゲームセンターのゲーム機の、プレイする為のコインの投入口に Credit と書いてあったり、一部のゲームでゲーム内通貨単位が Credit だったりすることから、クレジット=お金 という認識を持っている人が多く、だから クレジットカードの”クレジット”は信用って意味なんだよ、という小ネタが生まれたんだろう。
「私を信じて!」を英語にしなさい、という問には、大抵の人は Trust me
か Believe me
と回答するだろう。この2つにも微妙なニュアンスの差があって、Trust me
は、私が正直な人間であると信用して欲しい、のような漠然とした信用、私の人間性を信頼して欲しい、のようなニュアンスであるのに対して、Believe
me
の場合は、その時に主張していることなどを念頭に置いて、それを信用して欲しい時に用いられる傾向があるように思う。
日本語にも微妙にニュアンスの異なる、信用・信頼・信憑などがあるように、英語にも信用に関する表現は他にもあって、convince・credence・rely
などがある。credit も信用を意味する単語の1つで、give me some credit も「私を信じて」と訳すことができる。厳密には「もう少し信用してくれてもいいじゃん」のような感じだろうか。用いる場面によっては、自分と約束を交わすことを躊躇する相手に対して「信用してもらえませんか?」みたいな感じにも使う。credit
には(約束・取引・契約する相手としての)信用のようなニュアンスがある。
不信を招く、という表現を聞いたらどんな状況を想像するだろうか。それは単に、信用出来ない空気を作った、図らずも信用出来ない空気になってしまった、の意で、ある人は失敗続き、問題続発で不信を招いた、という状況を連想し、また別のある人は、実際には失敗もしていないし問題があったわけでもないのに、疑わしいことをしたことで不信を招いた、のような状況を連想するかもしれない。
前後の文脈が何もなければ、どちらを連想しても全くの間違いにはならない。つまり、不信を招く、とだけ言うのは、結構曖昧なことを言っていることになる。不信を招く、とだけ聞いた人が、実態は前者なのに後者のように受け止めたり、又はその逆だとしても、それは受け手が勝手に誤解した、と言える余地がある。敢えて誤解を狙い、前後の文脈を省略した、濁した、とすら感じられる場合もある。
なんでこんなことを言っているのかと言えば、この東京新聞の見出しにそんな懸念を感じたからだ。
癒着起きやすい役所なのに… 不信招く甘い対応 発足1ヵ月で接待問題に揺れるデジタル庁:東京新聞 TOKYO Web
本文を読めば、記者は、まだクロと断定はできないが、デジタル庁の対応、というか同庁の責任者である大臣
平井
卓也の言い分、行いは限りなくクロに近いグレーという認識を持っているであろうことは伝わってくる。だから記者がこの見出しに込めているのは、いい加減なことをやっているのに、それへの対応も甘く、2つの意味で不信を招いている、のようなニュアンスなんだろうが、つまり実際に問題が複数起きていてそれが不信を招いている、のような意味なのだろう。だが、単に「癒着起きやすい役所なのに… 不信招く甘い対応 発足1ヵ月で接待問題に揺れるデジタル庁」とだけ見出しに書くと、見出ししか読まない人が、実際には問題はないが、疑わしいことが起きて、それを防止する対応が甘いから不信を招いている、と解釈する余地が生じてしまう。
この記事・見出しの場合は、錯誤を狙っている恐れは薄いと感じるが、記事の内容を適切に見出しに反映しているとは言えず、図らずも勘違いを生じさせる恐れがある見出しになってしまっているとも感じる。もう少し表現を工夫できないだろうか。
なぜこんな意地悪な見方をしてしまうのかと言えば、そのような伝え方を、東京新聞に限らず大手メディアが全般的にちょくちょくやるからだ。
こんな無能な人を「鉄壁」と称したり 「パンケーキおじさん」と親しみやすさを強引に演出したり
— 弁護士 太田啓子 「これからの男の子たちへ」10刷 (@katepanda2) September 30, 2021
そんなことしたことあるメディアに対する不信感の強さ。容易には払拭できません
このツイートはそれをよく示している。広島の原爆に関する式典で菅が原稿を読み飛ばしたことについて、メディア各社は「事務方の用意が悪く糊で原稿がくっついていたのが原因」という政府関係者の話を、裏付けもなくそのまま報じた。しかし10/1に、それが姑息で稚拙な嘘だったことを示す記事が出た。
- 首相の原稿、のりでめくれず 広島式典の読み飛ばし | 共同通信
- 首相の読み飛ばし 原因は「原稿がのりでくっついてはがれず」 | 毎日新聞
- 長崎原爆忌、1分遅刻 あいさつ読み飛ばさず―菅首相:時事ドットコム
- 【総理の挨拶文】のり付着の痕跡は無かった(上) | InFact / インファクト
- 【総理の挨拶文】のり付着の痕跡は無かった(下) | InFact / インファクト
太田 啓子のツイートは、その件を例に挙げ、更に昨年の今頃、菅が自民党の総裁に就任する前後、メディアは、官房長官会見で質問に答えることを避け続けた菅を「鉄壁」と称したり 「パンケーキおじさん」と親しみやすさを強引に演出した、と指摘し、それがメディアに対する不信感の強さにつながっていると言っている。まさにその通りで、だから何がどう不信を招いているかを明確にしない見出しを書く記者や、それを掲載するメディアにも不信を感じてしまう。
このように、不信を招いているのは自民政権だけではない。報道もまた不信を招いている。大手メディアに必要なのは、人の振り見て我が振り直せ、だ。それをやらないのに、Trust me、Believe me、Give me some credit、と言われても信用できる筈がない。
トップ画像は、アメリカンエキスプレス カード クレジット - Pixabayの無料写真 を使用した。