食器や風呂を水で洗うと冷たくて手が辛い、と思うようになると、冬が来たと感じる。最近は朝の冷え込みを感じるようになって、そろそろストーブを出そうかという気がしているが、11月中はなんとか温水ではなく水で食器や風呂を洗い、ストーブなしで過ごそう、のようなことを毎年やっている。
日本では冬になると湿度が下がる。暖房などの使用が増える影響もあるが、その所為で冬場は火災が起きやすい。都市部では最近はやらないところも多いんだろうが、火の用心・マッチ一本火事の元、の掛け声と拍子木を打つ音、火の用心の夜回りは、冬、特に年末の風物詩だ。
東京地検特捜部でボヤがあった、という記事が昨日出回った。しかしボヤがあったのは8月だそうで、空気の乾燥や暖房などの火の不始末がその原因ではない。8月にあったボヤがなぜ今頃記事になっているのかというと、ボヤの現場から見つかった書類に変造された痕跡があったことが関係者への取材で分かった、からだ。取材で分かったということは、検察は公文書の変造があった事実を数か月間隠していた、ということになりそうだ。
東京地検特捜部ぼや現場から変造された書類 関与の検察事務官を内部処分も「ぼやとの因果関係なし」:東京新聞 TOKYO Web
東京新聞の記事には、
ぼやがあった部屋で勤務していた検察事務官が関与したとして内部の処分を受けたが、ぼやとの因果関係はないという
とある。しかしこれは非常に分かりにくい文章だ。ボヤと変造書類には因果関係がない、つまり誰かが証拠隠滅などの為に書類を燃やそうとしてボヤが起きたということではない、という意味なのか、書類を変造したのは同部署の処分を受けた2名だが、それとボヤは関係ない、という意味なのか、ボヤがあった部署の職員が処分を受けたが、その処分はボヤとは関係ない、という意味なのか、いくつもの意味で解釈ができる不明瞭な文章だ。
取材対象がそんな不明瞭なことを言っていて、そのまま書くしかなかったのか、それとも記者の文章力が足りないだけなのかは分からないが、前者にしたって取材が不十分ということだろうし、前者なら前者と分かるように伝えないといけない。兎に角何かしらの欠陥がある。
変造書類の隠滅を画策したとしても、スプリンクラーがある屋内で燃やそうなんて、検察庁内の者がそんな稚拙なことやるとは考えにくいから、恐らく書類変造はボヤと関係がない、という意味なんだろうが、記事にも書かれているように、東京地検特捜部では7月にもボヤがあったそうで、そんなに立て続けにボヤが起きるか?しかも夏に、という気もしないでもない。
但し「スプリンクラーが作動して計8フロアが浸水し、複数の部屋の天井板が落ちる被害が出た」ともあり、ボヤで変造の痕跡がある書類が見つかったという話だが、変造された書類は燃えたものの中から見つかったとは限らない。濡れてしまった書類の中に変造された書類が見つかった、という場合も考えられる。そう考えると、やはりボヤと見つかった変造書類には因果関係はないと解釈するのが妥当か。しかし、スプリンクラーを発動させて浸水を起こし、そのどさくさで書類の廃棄を狙ったという恐れも否定できないだろうから、どんなことを根拠に「ぼやとの因果関係はない」と言っているのかが重要だ。
そして、ボヤがあった部署の職員が処分を受けているが、その処分は、主体的にボヤを起こした/主体的にボヤをおこしてはいないが管理部署でボヤ騒ぎが起きたこと、または主体的に書類を変造したことによるものではない、ということかどうかも重要である。これだけ指摘ができる記事なのだから、ゆるフワ記事と言っても過言ではないのではないか。
都合の悪い公文書が焼かれたことを匂わせるこの件から真っ先に連想したのは、終戦の前後に旧政府や軍が書類を焼いた、という話だ。
- 終戦直後の公文書大量焼却 国文学研究資料館・加藤聖文准教授に聞く | 中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター
- 公文書廃棄、73年前も 敗戦の霞が関に何日も炎と煙が:朝日新聞デジタル
- 機密書類:終戦直後、焼いた 大崎の佐藤守良さん、旧海軍省で 「記録失わせてはならない」 /宮城 | 毎日新聞
敗戦時の公文書焼却について当時の蔵相は「閣議で決めた」と戦後語ったとか、生きて帰れない「特攻攻撃」に当たる特殊潜航艇などの書類が焼却された、なんて話が紹介されている。「陸海軍は、秘密文書が連合国軍の手に落ちるのを防ぐため、重要文書を焼却した」なんて話も紹介されているが、そんなのは建前で、当時の中枢には、ばれたらまずいことをしている、という認識があったんだろう。そうとしか思えない。そんなに重要な秘密なら、焼くのではなく隠すのではないだろうか。
ヒトラーの最後を再現した映画やドラマ、ドキュメンタリーなどでも、書類を焼くシーンが大抵含まれている。ナチもばれたらまずいことをやっていて、その発覚を恐れた、ということを描いているんだろう。
ナチは第二次世界大戦よりも前の1933年に、ナチズムに合わない書物を焼く、ということをやっている。このような行為は焚書と呼ばれ、それをやったのはナチに限ったことではなく、日本では、古代中国の秦における焚書坑儒もよく知られている。
証拠隠滅のための公文書焼却と、言論思想弾圧行為である焚書はその意味が確実に異なるものの、都合の悪い書類/書物を焼く、という点では共通している。そして、紙が文書の主体だった頃は焼くのが統合の悪い書類や書物を排除する主な方法だったんだろうが、電子データも多い現在では、焼かない証拠隠滅や言論思想弾圧、都合の悪い文書等の排除もあり得る。
なんにせよ、都合の悪い書類/書物を焼く、都合の悪い文書等を排除する行為は、記録を軽んじることであり、記録を軽んじることは歴史の改竄にも繋がる行為であり、歴史を軽んじることは、過去に学ばない、ということを意味する。過去に学ばない人、社会、国に進歩はあり得ない。よくて停滞、悪ければ衰退するだけだ。
トップ画像には、File:The House of Leaves - Burning 4.jpg - Wikimedia Commons を使用した。