スキップしてメイン コンテンツに移動
 

できるだけ小出しに最低限の施しをしていくのが最も効率的

 歴史に興味をもったきっかけはゲームだった。小学生の頃に三国志や信長の野望などの歴史シミュレーションゲームをやったことが、歴史上の人物の伝記を読んだり、中国の歴代王朝に興味を持ったりする大きなきかっけになった。それ以来、社会科科目全般に対する得意意識が芽生え、それらの成績は大抵、段階評価で一番上の成績だった。

 自分がそれらのゲームをやっていたのはファミコンやスーパーファミコンの頃で、最近のバージョンがどんな進化をしているのかはよく知らない。なのでここで書くのはそれらのバージョンの話で、そして30年くらい前の記憶なので、多少記憶違いもあるかもしれない。
 信長の野望には、各国や武将それぞれにいくつものパラメーターがあって、国のパラメーターには、その国に生産力を示す石高や、台風に対する耐性を示す治水度、兵士の数・兵力、兵士の訓練度/武装度などがある。国のパラメーターの1つに民忠というのがあって、読んで字の如く民衆の統治者への忠誠度を示している。この民忠が低下すると一揆が発生してしまう。民忠は年貢の徴収率と連動して変化する。また、石高を上げる為に開墾を行っても、民衆が労役に駆り出される為か民忠が低下する。
 この民忠を上げるには、施しというコマンドを実行する必要がある。施しは、民衆に対して金や米を配ってご機嫌を取るコマンドだ。基本的に、年貢率を上げたり開墾に民衆を駆り出すのがムチで、施しで金や米を配るのがアメだと考えていいだろう。施しは、米よりも金を配る方が大きく忠誠度が上がる。また、一度に大量の米・大金を配るより、複数に分けて小出しにした方が効率が良い。

 信長の野望の施しは明らかに政治的なカードだ。民衆は生かさず殺さず、一揆が起きないギリギリの線で、できるだけ小出しに小出しに施しをしていくのが最も効率的だ。


 信長の野望をやる場合、プレイヤーは大名の立場になる。だから思考は為政者目線になるのだが、もし自分がその国の民衆で、為政者が「民衆は生かさず殺さず、一揆が起きないギリギリの線で、できるだけ小出しに小出しに施しをしていくのが最も効率的」と考えていたらたまったものではない。政治的なカードとして施しを行うのではなく、開墾に駆り出され行った労役の対価はちゃんと支払ってもらいたい。年貢を過剰に上げておいて、施しで恩着せがましく返還し、あたかも為政者の好意で恵んでやっている感を出すのもやめてもらいたいものだ。


 昨年・2020年5/26に「感染症対策を政治的なカードとして利用し、小出しにする悪魔」と題した投稿を書いた。タイトル通りの内容で、新型ウイルス対策の給付金や事業者への支援金を政治的なカードとして小出しにするのは止めろ、という内容である。
 この数日、政府と与党・自民/公明が、新型ウイルス対応・経済対策として、18歳以下への一律10万円給付を検討している、と複数のメディアによって報じられている。

どうなる現金給付。18歳以下?10万円?所得制限は? 政府・与党で調整 | ハフポスト

 新型ウイルス対策としての現金給付は選挙前に与野党から出ていた話なので、前向きな動きが出てくることは当然なのだが、18歳以下に限定する理由がよく分からない。また来春までとは対応があまりにも遅くないだろうか。
 そもそも、今回の選挙で政権交代がなかったわけで、与党側が選挙前に現金支給と言い出したのには、ではなぜこれまでやらなかったのか、新型ウイルスの影響が大きかった時期にはやらずに、これまでで最も状態がよくなってからそれを言い出すのはどういうことか、選挙を見据えて国民の前にアメをつるしただけじゃないか、つまり政治的なカードとして利用している感しかない。
 そして、なぜ来春までに支給なんて悠長なことを言っているのか。それは来年・2022年7月に参院選が行われる予定だからだろう。つまり、先日の衆院選でも現金給付をアメに使い、同じアメを参院選でも使おうとしている、というのがその背景だろう。もしかしたら、まず最初に18歳以下に給付と言っておいて、後から全国民を対象にと言った方が、ギャップで余計に有難がられると考えている、なんてこともあるかもしれない。


 今の政府と与党は、信長の野望をやっているプレイヤーの如く、「民衆は生かさず殺さず、一揆が起きないギリギリの線で、できるだけ小出しに小出しに施しをしていくのが最も効率的」と考えているんだろう。必要な時に必要な政策をやることよりも、如何に自分達の選挙に役立てるか、政治的なカードとして使うかが重要なんだろう。
 政府・首相主催の桜を見る会を私物化し、支援者らの接待の場にしていた人達なのだから、その見解には疑いの余地もない。


このブログの人気の投稿

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

読書と朗読を聞くことの違い

 「 本の内容を音声で聞かせてくれる「オーディオブック」は読書の代わりになり得るのか? 」という記事をGigazineが掲載した。Time(アメリカ版)の記事を翻訳・要約した記事で、ペンシルベニア・ブルームスバーグ大学のベス ロゴウスキさんの研究と、バージニア大学のダニエル ウィリンガムさんの研究に関する話である。記事の冒頭でも説明されているようにアメリカでは車移動が多く、運転中に本を読むことは出来ないので、書籍を朗読した音声・オーディオブックを利用する人が多くいる。これがこの話の前提になっているようだ。  記事ではそれらの研究を前提に、いくつかの側面からオーディオブックと読書の違いについて検証しているが、「 仕事や勉強のためではなく「単なる娯楽」としてオーディオブックを利用するのであれば、単に物語を楽しむだけであれば、 」という条件付きながら、「 オーディオブックと読書の間にはわずかな違いしかない 」としている。

敵より怖いバカな大将多くして船山を上る

 1912年に氷山に衝突して沈没したタイタニックはとても有名だ。これに因んだ映画だけでもかなり多くの本数が製作されている。ドキュメンタリー番組でもしばしば取り上げられる。中でも有名なのは、やはり1997年に公開された、ジェームズ キャメロン監督・レオナルド ディカプリオ主演の映画だろう。

同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになる

 攻殻機動隊、特に押井 守監督の映画2本が好きで、これまでにも何度かこのブログでは台詞などを引用したり紹介したりしている( 攻殻機動隊 - 独見と偏談 )。今日触れるのはトップ画像の通り、「 戦闘単位としてどんなに優秀でも同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになるわ。組織も人も特殊化の果てにあるものは緩やかな死 」という台詞だ。