女性差別に声をあげると、「男性だって辛い」「男性の辛さをまず理解ようとするべきだ」 という言葉が跳ね返ってくることがある、と、フォトジャーナリストの安田 菜津紀がツイートしていた。
女性差別に声をあげると、
— 安田菜津紀 Dialogue for People (@NatsukiYasuda) November 14, 2021
「男性だって辛い」
「男性の辛さをまず理解ようとするべきだ」
という言葉が跳ね返ってくることがある。自分の中の権力性を認めることには勇気がいるし、時には居心地が悪いことでもあるけれど、撥ねつけても前には進まない。
https://t.co/6vKCt9PInH
ツイートにある彼女が書いた記事「「こっちだって辛いんだ」という言葉と「特権」|安田菜津紀(フォトジャーナリスト)」には、
そもそも差別の問題は、力の不均衡の中で起きる。「その不平等を変えたい」と声をあげているのに、構造的に権力を持っている側が「まず、自分たちのことを理解しろ」というのは、それ自体が暴力的な言動でもある
とある。力が不均衡な状況で、少数派が声を上げたのに対して、多数派が「自分達も大変なのに不満ばかり言うな」と反論することは、AではなくBだ。
A
B
Aの状況は、概ね男女同権が実現した状況で初めて妥当性を持つ話であり、現在の日本の状況は、間違っても概ね男女同権が実現しているとは言えない為、だから実状はBでしかない。
もし、状況がBではなくAだったとしても、言い換えれば、女性が女性差別に対して声を上げたのに対して、百歩譲って「男性だって辛い」
「男性の辛さをまず理解ようとするべきだ」と反応するのが容認出来るとしても、彼女も記事の中で、
その(男性にも生じているという)生きづらさが、男性中心主義的な社会の中から生み出されてしまうものなのであれば、共に声をあげてほしいと思っている。
と言っているように、「男も辛いんだから女も女性差別くらい我慢しろ」 は全く道理が通らない。
一時期猛威を振るった生活保護バッシングの論法は、働いているよりも高い額が生活保護で貰えるのはおかしい。生活保護受給者は楽してお金を貰っている、だから悪だ、のような話だったが、生活保護で受けられるのは最低限度の生活を賄うだけの金額であり、つまり働いても生活保護で貰える額以下の給与しか支払われないのがおかしい。働いているのに生活保護以下の収入しか得られないことがまずおかしいが、もしそんな状況にあるのなら、その差額の生活保護費を受け取るべきなのだ。不当な扱いを受けている者を基準にして、それに合わせろと言うのはあまりにもおかしい。
全部が全部当てはまるわけではないが、俺も我慢しているんだからお前も我慢しろ、というのは、大抵筋の通らない話でしかない。
トップ画像には、残高 スイング 平等 - Pixabayの無料画像 を、挿入した画像には、SILHOUETTE DESIGN – シルエット素材専門サイト の素材を使用した。