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一切誰も傷つけない表現はない

 光陰矢の如しとは全くその通りで、今年ももう後半月を残すのみとなった。最近は殆どテレビを見なくなったが、12月に入ると年末特番が多くなる。お笑いのネタ番組やコンテストのような企画も多く、現在日本で最も知名度の高いお笑いコンテストの1つ・M-1グランプリも、毎年12月に放送されている。

 2019年、ぺこぱ というコンビが決勝に進出し、相方のボケをツッコミがほぼ否定しない漫才を披露して注目された。ぺこぱのネタは、誰も傷つけないお笑い、として話題になった。一部ではこれから主流になるべきお笑いのスタイルだとすら言われた。

 日本のお笑いには、チビデブハゲ、ブサイクなどを武器にした自虐ネタ、ボケを盛大にひっぱたいて笑いを誘う暴力的に見えなくもないネタなども多い。ぺこぱのネタはそのような方法で笑いを引き出そうとするものではなく、ある意味で誰も傷つけないネタだった。だが誰も傷つけないネタこそが素晴らしく、今までのお笑いは古い、のような評価には、当時から異論もあったし、ツッコまないツッコミというイメージが付いた、ぺこぱの松陰寺 太勇自身もそのイメージと実際の自分のギャップに戸惑いを見せたりもしている。


 次の記事は、埼玉県越谷市の小学校が漫才を教育に取り入れる取り組みをしている、という内容である。

講習会などで普及、埼玉発祥の「教育漫才」とは? ネタ作りで調べ学習、誰も傷つけない笑い:東京新聞 TOKYO Web

 見出しにも「誰も傷つけない笑い」というフレーズが用いられているし、本文にも「悪口を言わない、たたいたりしないなどがルールで、誰も傷つかない温かい笑いを目指す」とある。この取り組みは5年ほど前に当時の校長の発案で始まったそうで、始まった時期はぺこぱの漫才が注目されるよりも前だ。また、記事を読む限り、学校関係者が自ら「誰も傷つけない笑い」というフレーズを用いている記述はなく、恐らく記者がそのような文言を足したか、そのような演出を行っているのだろう。
 個人的には、この取り組みに「誰も傷つけない笑い」というラベルをつけた紹介の仕方は適当ではない、と強く思う。


 というのも、厳密に言えば、全ての人が肯定的にとらえる表現もなければ、一切誰も傷つけない表現もないからだ。
 たとえば、フットボールアワーが2003年のM-1グランプリで披露したネタ・結婚記者会見には、

岩尾:奥さんのことを、普段は何と呼んでいらっしゃるんですか?
後藤:嫁はんの名前がね、あの、ユリって言うんで「ユーたん」って
岩尾:奥さんが「ユリ」だから「ユーたん」、じゃあ奥さんが「ジュリ」だったら「絨毯」なワケですね
後藤:なんでやねんそれ。そういう言い方すなよ
岩尾:「ギュリ」やったら「牛タン」やったかもしれない
後藤:どないやねんお前
岩尾:よかったですね「ギュリ」じゃなくて
後藤:いやちょっと待て、どこの世界に「ギュリ」言う名前のやつがおんねん

というやり取りがある。このやりとりには概ね人を酷く傷つける要素はなさそうだが、それでも、ジュリという名前の女性を絨毯とからかう要素、このネタを見た誰かが真似してジュリという名前の女性がからかわれる要素を含んでいる、とも解釈できる。
 また、日本国内だけで考えたら「よかったですね「ギュリ」じゃなくて」「どこの世界に「ギュリ」言う名前のやつがおんねん」は誰も傷つけないと言えるかもしれないが、2007年にデビューした韓国の女性アイドルグループ・KARAのメンバーには、パク ギュリがいる。厳密に言えば、彼女の名前は パッキュリ と発音するそうでギュリではないかもしれない。しかし日本での表記は間違いなくパク ギュリで、アルファベット表記も Park GyuRi だ。

 つまりフットボールアワーのネタ・結婚記者会見の当該部分は、意図せずに 규리/GyuRi という名の韓国人を傷つける恐れがある
 もっと極端なことを言えば、美味しいケーキに嫌な思い出を持つ人もいて、割合的にはかなり少ないだろうが、ケーキでそれを思い出す人もいるだろう。つまり、大半の人が肯定的に捉えるであろう美味しいケーキすら人を傷つける恐れはある。まさに思い出は十人十色で、誰が何に嫌な思いをするか分からない。つまり一切誰も傷つけない表現は理想的ではあるが、一方で非現実的なものでもある。


 当該記事では、小学生が考えたネタの例として、

「もしもーし」
電話の時だけ高い声になるお母さん
「いるよねー」

というネタが紹介されているが、このネタだって、高い声を笑いの対象にしているのだから、自分の声が高いことにコンプレックスを持っている子を傷つける恐れが確実にある。家族の話し方の真似や買い物の場面など、日常生活を題材にしたネタが多い、ともあり、誰かの特徴を誇張した時、相手がそれをコンプレックスに感じていたら、その誇張・モノマネは相手を傷つけかねない
 誰も傷つけない表現を心掛けることは正しくても、それは理想論であって、その達成を誇るようなことはおごりをさらけ出すようなものだ。 なるべく人を傷つけないように配慮するのは大事だが、それが完全に出来ると勘違いしてしまうのはおごりであり、(自分の行為は)いじめ/パワハラ/セクハラとは思わなかった、と言う加害者と同類になってしまいかねない。
 記事の内容を読む限り、校長は「言葉に対する敏感さが身に付き、相手への配慮ができるようになる」と言っているし、相手が特徴を誇張されたら嫌かどうか、などを考えてネタにする、ということを教えているんだろうが、誇張して真似られた当事者が嫌ではなくても、似た特徴を持つ別の誰かが嫌な思いをすることも確実にあるはずで、つまり、一切誰も傷つけない表現なんてありえないわけだ。

 重要なのは、なるべく他人を傷つけないように配慮する、ということであって、だから「”誰も” 傷つけない笑い」なんて極端な表現・演出で記事化するのは、この取り組みを読者に誤解させる恐れがある。記者は記事を読んでもらいたくてキャッチ―なフレーズを用いたのだろうが、この学校の取り組みには沿わない表現ではないだろうか。


 また、自虐ネタや暴力的なツッコミだって否定すべきものではない。何故なら、それはあくまでも芝居・フィクションだからだ。そう言うと、子どもへの影響がー という話が必ず出てくる。何歳から見せるのが妥当か、という議論はあって当然だが、子どもが真似るから見せない、やってはいけない、と言うなら、それは教育の敗北だ。子どもにフィクションと現実の区別をつけさせる教育の放棄でしかない。親、学校、先生、そして全ての大人が、安易に真似てはいけないことを教えなければならない。
 もしも、子どもが真似するから見せない、やってはいけない、という話が正しいのだとしたら、子どもに柔道や剣道や空手などを習わせるのは不適切ということになるだろう。また、暴力や犯罪行為が描かれる映画やドラマやマンガなども一切不適切なものになってしまう。子どもにフィクションと現実の区別をつけさせたいなら、フィクションを見せた上で、それはフィクションであり現実で安易に真似てはいけない、と教えないと、区別ができるようになるわけがない。短絡的に遠ざけるのは決してよい方法ではないし、極端なまでにフィクションを遠ざければ、寧ろ、子どもから判断力を養う機会を奪う、という虐待的な行為にもなりかねない。



 トップ画像には、つっこみのイラスト – イラストストック「時短だ」 を使用した。

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