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規則やルールは適切な運用が重要

 ツイッターが個人情報に関するポリシーを改訂し、個人の写真や動画をツイッター上に投稿する場合はその個人の同意が必要になる、としたそうだ。これまでも、電話番号・住所など、他人の個人情報をツイッターで公開することは禁止されていた。それを拡大し、個人の写真や動画にまで拡大するのが今回の改訂の趣旨だそうだ。

Twitterが「個人の写真や動画を投稿するには本人の同意が必要」とポリシーを改訂 - GIGAZINE

 近頃は気味が悪い程映り込みにセンシティブで、SNSやYoutubeなどに写真や動画を投稿する場合、映り込んだ人の顔や車のナンバーにはぼかしを入れるのが当然のようになっている。自分はこれを、やり過ぎ・過敏だと思っていて、ぼかしで絵面を汚すことを好ましく思っていない。店内などプライベートな場所ならその店などの方針に従うべきだとは思うものの、公の場、路上や公園内などまでそうしなければならない、というのには異様さを感じている。現にニュース番組等で街頭映像を放送する場合に、映り込んだ人やナンバープレートにボカシを入れているのを見たことがない。
 だからこの記事の見出しの第一印象も、そのようなことが明確化されるの? と思い、記事内容に興味を持った。しかし読んでみると、そのようなことを明確化するわけではなくて、勝手に個人情報を公開されないよう、電話番号や住所などの情報のみならず、その人の肖像、その人を撮影した写真や動画も勝手に公開してはいけない、ということの明確化だった。
 そのような趣旨のポリシー改訂は確かに必要だっただろう。しかし、ポリシーを改訂しただけでは絵に描いた餅にしかならない。そのポリシーをどれだけ適切に運用していくか、が最も重要であり、言い換えればポリシー改訂はそのスタートラインだ。ポリシーを改訂してもそれを適切に運用/適応していかなければ、そのポリシーは実態を伴わない単なる机上の空論になってしまう。個人的には、このポリシーを拡大解釈して、ほんのわずかに映り込んだだけで「勝手に写真/動画を公開された」なんて言い出す人を野放しにするのも、適切な運用がなされないケースだと考える。但しその場合は机上の空論と言うよりも、拡大解釈による悪用、と言うべきかもしれない。


 そんなことを考えた理由は、他人を酷く誹謗中傷するツイートに関するある判断を11/30に裁判所が示したからだ。

伊藤詩織さん、漫画家はすみとしこさんらに勝訴。リツイートにも賠償命令、「大きな一歩」と訴え | ハフポスト

 ツイッターの投稿で名誉を傷つけられたとして、ジャーナリストの伊藤 詩織が漫画家のはすみ としこらに対して損害賠償などを求めた訴訟の判決が東京地裁で示され、東京地裁はツイートしたはすみに88万円、はすみの投稿をリツイートした2人にそれぞれ11万円の支払いを命じた。はすみは伊藤を連想させる女性・「枕営業大失敗」などの文字が書かれたイラストを複数ツイッターへ投稿しており、伊藤は、これらのイラストが性被害を訴えていた自身の名誉を傷つけたとして、慰謝料など550万円と投稿の削除、謝罪広告の掲載を求めて提訴していた。

 現在、はすみのツイッターアカウントはルールに違反したとして凍結されている。しかし、凍結されたのは当該イラストの投稿からかなり経ってからのことで、ツイッターははすみの投稿を長年放置したままだった。ツイッターではかなり前から誹謗中傷をしてはいけないことになっているが、積極的な排除はなされず、それは長い間絵に描いた餅だった。今は数年前に比べればいくらかマシではあるが、明らかな誹謗中傷、差別的な主張、酷い偏見などが未だに多く放置されているし、そのような投稿を繰り返しているアカウントなのに凍結されずにいるアカウントも少なくない。
 自分は数年前にFacebookの利用を止めた。それは運営の対応があまりにも酷く、誹謗中傷の報告したところ、当該投稿は誹謗中傷に当たるという考えを示したが具体的対応はなく、なぜ投稿削除やアカウント凍結などの対応がないのかと再び批判したら、再検討の結果当該投稿は誹謗中傷には当たらないと運営が急に言い出す、ということがあったからだ。ツイッターだけでなく、FacebookやインスタグラムなどのSNSも、そしてYoutubeも同じ様な問題を抱えている。どのSNSやYoutubeにも誹謗中傷や差別的・酷い偏見に関する投稿禁止規定はあるが、適切な運用がなされているとはお世辞にも言えない
 これはあくまでも推測だが、それらの企業はアクセスを集めることが利益につながる構造であり、誹謗中傷対策よりもアクセス数維持/向上を優先している、利益優先だから誹謗中傷対策に消極的なんだろうと思っている。誹謗中傷対策で投稿を削除したり、アカウントを凍結することは、アクセス数を減らすことはあっても増やすことはない。そのSNSから誹謗中傷や差別的な投稿が排除されることで、住みやすい地域に人が集まるのと同様に、長期的にはユーザーやアクセスが増える可能性もあるが、目先の利益優先なんだろう。表現の自由云々を大義名分にすることを、利益優先の隠れ蓑にしているとしか思えない。そう思われたくないなら、もっと積極的な対策/対応をすべきだ。

 サッカーやバスケットボールには様々な反則行為が定められているが、審判がそれを適切に適用せずに、不公平なジャッジをしたり、公平ではあるがどちらにも緩い判定を行うなどすれば、試合は大抵荒れた展開になる。いくらルールがあってもそれが適切に運用/適用されなければ意味がないということは、スポーツの例からもよく分かる。現在の各SNSやYoutubeでは、誹謗中傷や差別/酷い偏見が放置される一方で、寧ろ逆に、問題のある投稿とは思えないものが削除されたり、問題があるとは思えないアカウントが凍結されるなんてこともしばしばだ。


 同じようなことが政治の世界にもあって、日本は先進国でダントツに女性議員の少ない国なのに、10月末に行われた衆院選では、女性議員数はそれまでよりも寧ろ減少してしまった。女性議員が増えない理由の一つに、女性候補者の少なさがある。立候補しなければ当選できないのは当然で、それで、まず女性候補者を増やそう、ということになり、2018年に、国会や地方議会の選挙で男女の候補者数をできる限り均等にするよう政党や政治団体に求める法律、所謂 候補者男女均等法ができた。

 しかし、候補者男女均等法が施行されてから初めての国政選挙だった、2019年参院選から、与党の自民・公明(と維新)はそれを無視した(2019年3/10の投稿)。与党は女性活躍というスローガンを掲げていたにもかかわらずだ。そしてそれから2年、今年・2021年10月の衆院選でも同様に無視した。

【グラフでみる】女性候補者は17.7%、自公は1割満たず。ゼロ〜1人は17県 衆院選2021 | ハフポスト


 いくら法律を定めたところで、それが適切に運用されなければ、それは絵に描いた餅、机上の空論にしかならない。その法律に如何に血を通わせていくか、社会に適切に反映していくかが重要だ。今の自民政権は、戦後70年以上どの政権も示してきた、集団的自衛権を日本国憲法は認めていない、という解釈を勝手に変え、いづれかの議院の総議員の1/4以上の要求があれば、内閣は国会召集を決定しなければならない、という憲法の規定も、再三にわたり無視するような状態だ。
 規則やルールは、それを設けただけでは意味をなさない。適切な運用が伴わないなら、規則やルールがないのと何も変わらない。規則やルールがあるのにそれを尊重しない、軽視するのは、規則やルールがないよりも寧ろ悪い



 トップ画像には、デザイン枠専門サイトFRAME Design – 1000以上の飾り枠のある素材サイト と、イラストストック「時短だ」 – 時短に役立つ素材サイト の素材を使用した。

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