それは自分の目を疑いたくなるような話だった。産経新聞によると、国民民主党の玉木 雄一郎が、「まずは外国人の人権について憲法上どうするのか議論すべきで、そういう議論がなく拙速に外国人にさまざまな権利を認めるのは、極めて慎重であるべきだ」と発言したそうだ。
国民民主・玉木氏「否決され安心」 武蔵野条例案 - 産経ニュース
まず最初に、この記事は事実に即しているのか、という点に関して触れておく。産経新聞の記事には記者会見らしき写真も共に掲載されているが、それが発言の場の写真かどうかは定かでない。新聞は実際に発言した際以外の写真を添えることも多い。記事には玉木がいつどこで、どんな状況で発言したのかが書かれておらず、またざっと検索した限り、このことに関する他社の記事が見当たらないので、事実に即しているかには疑問も残る。
だが、記事掲載から既に12時間以上が経過しているが、玉木のツイッターアカウントを見ても、この記事は事実に即していない、という反論は見当たらない。そんなことから判断すると、この記事内容は概ね事実なんだろう。
だとすれば、玉木は政治家の資質に著しく欠ける人物だと言わざるをえない。玉木は「外国人の権利の保護を否定するものではないが、極めて慎重な議論が必要だ」と前置きしつつも、「憲法に外国人の権利をどうするのかという基本原則が定められておらず、ここが一番の問題」とも発言したそうだが、日本の学校に通った者であれば、小学校で日本国憲法の三原則について習っているはずだ。
日本国憲法の三原則とは、
- 国民主権
- 基本的人権の尊重
- 平和主義
である。
日本国憲法の3つの原則 | NHK for School
NHKのこの動画では基本的人権の尊重について、
「基本的人権の尊重」とは、国民だれもが人間らしく生きる権利をもつこと。「基本的人権」は一人ひとりが生まれながらもっています。全ての人が自分らしく生きられるよう、年齢や性別、障害のあるなしに関わらず、健康で文化的なくらしを送ることができます。
と解説しているが、これは正しいとは言い難い。基本的人権とは、全ての人間が生まれながらにして持っている権利のことであって、「国民だれもが」ではなく「誰もが」であり、つまり、日本国民であろうがなかろうが全ての人が、が正しい。
このような解説がなされている理由は、基本的人権に関する日本国憲法11条の条文が、
国民は、すべての基本的人権の享有(きょうゆう)を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
となっているからだろう。しかし、この条文を理由に、日本では日本国籍者にのみ基本的人権を保障していると解釈するなら、それは基本的人権の「万人が生まれながらに持つ権利」という意味にそぐわないし、日本は国籍差別をする国ということになる。つまり条文の主語は「国民は」になっているが、それは決して「日本国民だけが」「日本国籍を有する者のみが」という意味ではない、と解釈するのが妥当だ。
更に付け加えると、1978年に最高裁は、マクリーン事件に関する裁判の中で、
憲法第3章の諸規定による基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き、わが国に在留する外国人に対しても等しく及ぶ
という判断を示している。マクリーン事件は、政治活動を理由にした在留期間更新不許可という法務省の対応に異議を唱え、アメリカ人が裁判を起こした事件である。最高裁は在留期間更新不許可は違法でないという判断を示したものの、日本国憲法は基本的人権を日本国民にのみ認めている、ということはなく、外国人にも基本的人権を保障しているという判断も示した。
産経新聞が報じた玉木の発言は、3カ月以上市内に定住する外国籍の人に日本人と同じ条件で住民投票への参加を認めるとした、東京都武蔵野市の住民投票条例案が、12/21の市議会本会議で反対14、賛成11で否決されたことを受けたものだ。
3カ月以上住む外国人に投票権を認める住民投票条例案が否決 武蔵野市長、見直し再提出の考え:東京新聞 TOKYO Web
玉木の姿勢が「日本国憲法は日本人だけでなく外国人にも基本的人権を保障しているが、今回の条例案には反対」であれば、賛同は出来ないが、その姿勢自体は全否定できるものではない。しかし玉木は「憲法に外国人の権利をどうするのかという基本原則が定められておらず、ここが一番の問題」と言っており、つまり日本国憲法は現状外国人の基本的人権を保障していない、いや、日本では外国人に基本的人権を認めていない、と言っている。基本的人権を認めていない、ということは、極端に言えば、外国人は人として認めない、と言っているも同然だ。何故なら基本的人権とは、全ての人が生まれながらに持っている権利のことだからだ。逆に言えば、外国人には基本的人権を認めていないというのは、外国人を人として認めていないということにもなりかねない。玉木はそんなことを言っているのである。
玉木は「外国人の権利の保護を否定するものではないが、」とも言っているが、基本的人権の何たるかを理解できておらず、暗に外国人の権利制限が必要だと言っている者が、そんな言葉を発したところで、そんなのはおためごかし、外国人のために言っているように見せかけて、実態は改憲という自分達の思惑を優先する為にそんなことを言っただけ、としか思えない。
玉木、そして彼が代表を務める国民民主党は改憲派であり、だからこれを利用して「だから改憲が必要だ」と言いたいんだろうが、玉木は武蔵野市の外国人の住民投票を認める条例について「否決されて安心した」と述べており、つまり同条例に反対の立場である。そして「憲法に外国人の権利をどうするのかという基本原則が定められておらず、ここが一番の問題」と言っているのだから、外国人の権利を明確に制限するように憲法を変えなくてはならない、と言っているとしか言えない。
たとえば同条例の賛成派が、憲法は外国人の基本的人権も保障しているにもかかわらず、11条の主語は「国民は、」となっている為、日本国籍者のみに人権を保障しているという誤解が生じている。だから憲法の条文を改めなくてはいけない、のような趣旨で改憲の必要性を主張しているなら、賛同もできそうだ。だが、現在の日本では外国人の基本的人権を認めていないとか、外国人の人権を制限する方向で憲法を変える必要がある、なんて話は到底賛成できない。賛成できないどころか強く非難する必要がある。
国民民主党は、自由民主党以上に羊頭狗肉の看板だ。代表がこんなことを平気で言うんだから、国民民主党とは名ばかりで、実態は国粋排外党であるという指摘も、決して不当なレッテル貼りでもなければ、誹謗中傷でもないだろう。