テレビ報道の劣化、いや劣化という言葉では足りない程の陳腐化、低俗化に関してはこれまでも何度も書いてきた。テレビにまともな報道や記事は一切ないなんて極端なことは言わないが、最早テレビは報道機関とは到底呼べないレベルに達している、と思っている。
その一方で、テレビと並ぶ大手メディアの一角を為す新聞は、一部を除けばテレビよりはまだマシだ。しかしそれでもマシというレベルでしかない。個人的には、最早日本には信頼できる報道機関は1つもない、と感じている。そんなレベルに成り下がっている。重大な政治スキャンダル、不正に関する情報の多くは、大手テレビ局や新聞からではなく、週刊誌、特に週刊文春、そして共産党の機関紙・赤旗によってもたらされる状況だ。
週刊誌は芸能関連など眉唾物の記事も少なくないし、赤旗は新聞と言っても共産党の機関紙で、共産党に関する不都合な情報があった際に積極的に報じるか、という疑問は残る。現時点ではテレビや新聞よりは信頼できる、と感じられるものの、それでも報道機関の役割を、まるまる肩代わりできるような存在とも思えない。
この投稿では、幾つかの新聞報道を例に、その劣化ぶりについて書く。
東京五輪追加公費なしの見通し 1500億円、経費節減か | 共同通信
これは共同通信の記事であり、厳密には新聞ではなく通信社の記事だが、共同通信の配信記事は多くの地方紙に掲載される。つまり新聞記事化されるものであり、ここでは新聞記事として扱う。記事には、
東京五輪の開催経費は昨年12月の時点で、大会組織委員会、東京都、国を合わせ、総額1兆6440億円を見込んでいた。これが1兆5千億円以下になる可能性がある。
とあり、見出しに「東京五輪追加公費なしの見通し 1500億円、経費節減か」とあるように、東京オリンピックは予算の肥大化が批判されていたが、実際には予算を当初見通しよりも1500億円節約した、と強く印象付けようとしている。しかしこれは誰がどう見ても印象操作だ。
この時事通信の記事が指摘しているように、東京オリンピックの為に作られた都の施設のうち、黒字運営が見込まれているのは6つのうちたった1つでしかない。つまり、東京オリンピックの為に作られた施設の大半は、今後ずっと赤字を出し続けることになる。公営施設は営利目的ではない為、赤字運営は必ずしも悪ではないが、果たしてその負担に見合う公益が見込めるのか、はとても重要なことだ。共同の記事はこのようなことに一切触れずに、予算の肥大化が批判されていたが、実際には予算を当初見通しよりも1500億円節約した、と強く印象付けようとしている。実際は今後赤字が当分、最悪の場合ずっと続くのに。
ちなみに、時事の記事で触れているのは都の施設だけで、国立競技場には触れていない。誘致が始まった当初は、1964年の東京オリンピックの為に作られた旧国立競技場を使うので予算はコンパクト、のようにアピールしていたのに、いつの間にか新国立競技場に建て替えることになっていた。最初はザハ
ハディドによるデザインで検討が進められていたものの、建築費が当初見積もりを大幅に上回る2500億にも膨らむ恐れが明らかになり、2015年に首相
安倍が「計画を白紙に戻す」「予算は1500億」と鶴の一声で撤回し、新たに検討されたのが現在の隈
研吾デザインによる新国立競技場だ。
しかしその新国立競技場も、年間の維持費が24億かかるとされており、赤字運営は必至と言われている。
五輪競技会場「負の遺産」に? 重い維持費、赤字へ危機感:東京新聞 TOKYO Web
そのようなことに全く触れずに書かれた共同通信の記事は不誠実、そして不正確と言うよりほかない。寧ろ分かっていてそんな記事を書いている、配信しているんだろう。この数年の共同通信の記事にはそんな印象ばかりだ。共同通信の配信を掲載する地方紙は多く、その影響は絶大なため、政府や与党などがそのような記事が書かれるように画策している、政治宣伝に利用している、としか思えない。癒着を強く疑っている。
静岡・川勝知事「本当に恥ずかしい」 女性蔑視ともとれる発言を撤回:朝日新聞デジタル
この朝日新聞の記事は、静岡県知事が、6月の知事選の集会で、新東名高速道路の建設現場を女子学生らと訪問した際のエピソードを紹介し、女子学生について「顔のきれいな子は賢いことを言わないときれいに見えない。ところが全部きれいに見える」、開通が予定より早まったことについて「現場監督はかわいい女の子が気に入ったのでしょう(それで)仕事がはかどり、1年半前倒しできた」などと述べたことに関する内容だ。
この朝日新聞の記事では、知事の当該発言の内容がとても分かりにくい。顔のきれいな…
に関する実際の発言はこうだった。
静岡知事 また失言「顔きれいな子は賢いことを…」|テレ朝news-テレビ朝日のニュースサイト
(かつて自身が学長を務めていた静岡文化芸術大学の女子合格者は)11倍の倍率を通ってくる。皆、きれいです。めちゃくちゃ顔のきれいな子は、あまり賢いことを言わないとですね。なんとなく、もうきれいになる。きれいに見られないでしょう。ところが、全部きれいに見える
容姿のよい女子学生は、賢いことを言うときれいに見える、若しくは言わない方がきれいに見える、と間違いなく言っている。11倍の倍率を乗り越えて合格した、全員きれいに見える、という文脈上恐らく、女子学生は賢いことを言うときれいに見える、と言っている。しかしこの言い方だと、静岡文化芸術大学の11倍の倍率を乗り越えられず不合格となってしまった女子学生は、合格できなかったのだから賢いことを言わないだろう、だからきれいに見えない・容姿が悪い、と言っていることにもなる。更には、容姿が悪い女性は賢いことを言わない、と言っているとも言えるだろう。
それは明らかに酷い偏見であり、女性蔑視としか言いようがない。なのに朝日新聞も、そしてテレビ朝日の記事も、女性蔑視ともとれる発言・“女性蔑視”とも受け取れる発言 と書いている。テレビ朝日の記事は知事の釈明以前のもので、発言意図を確認していないから、まだそれでもよいと言える余地はある。しかし朝日の記事は知事の釈明を受けた記事だ。
知事の当該発言の意図について、記事には
川勝知事は発言について「報道で知らされた」と話し、「どういう心情だったか分からない」と述べ、発言の意図は明言を避けた
とあり、発言を擁護できる意図があったとは到底言えない状況だ。それなのに当事者の「差別につながりかねない発言で本当に恥ずかしい」という謝罪をそのまま受けて、女性蔑視ともとれる発言、と書いている。ハッキリ言って蔑視に甘いとしか言いようがない。他にとりようがない発言なのだから、女性蔑視発言と断定した表現にすべきだ。一体朝日の記事は何に配慮しているのか。この国に残る性別に関する無意識の思い込みや偏見、所謂アンコンシャスバイアスに無頓着としか言えない。
現在自分は、全国紙である読売/朝日/毎日よりも、地方紙の方が信頼できると思っている。勿論、全ての地方紙が信頼に値するとは言えないが、たとえば西日本新聞などが信頼に値する地方紙の例だ。関東地方で購読できる東京新聞も、全国紙よりは信頼できると思っている。自分は神奈川県出身なので、神奈川新聞も実家で・WEBでしばしば目にするが、神奈川新聞よりも東京新聞の方が印象がよい。
しかし、その東京新聞にも、こんなことを書くのか… と感じる記事がないわけではない。たとえばこの記事がそれだ。
岸田首相は「納得感」持てる説明できるか 変異株対策、10万円給付、文通費…6日から臨時国会で論戦:東京新聞 TOKYO Web
これは、臨時国会が12/6から12/21までの会期で召集されることが決まった、ということに関する記事で、新型ウイルスオミクロン株への対応、18歳以下への給付金、国会議員の文書通信交通滞在費、所謂文通費などが主な議論の対象となる見通しであること、それについて政府が妥当な説明をできるか、という内容だ。
この記事の見出し「岸田首相は「納得感」持てる説明できるか」に強い違和を覚えた。この納得感とは、岸田が「国民に納得感を持ってもらえる丁寧な説明をする」と言っていることを受けたものだが、納得感を見出しにするのは果たして妥当か。自分には全くそうは思えない。そもそも岸田は、納得感 を強調していて、それはつまり、実態が納得できる内容かどうかよりも、納得感を得られるか、納得感を醸せるか、言い換えれば、実態よりも印象・イメージが重要だ、と言っているにも等しい。しかし実際に大事なのは印象やイメージではなく、妥当な政策かどうか、大半の有権者が、”納得感を得られるか”ではなく実際に納得できるかどうか、だ。
見出しの納得感に「」をつけていることで、自分は岸田の発言を受けたものであることを予測できるが、大半の人がそれを予測できるかと言えば、全くそうは思えない。大抵の人は見出しを深く考えずに読み流す。本文を読まずに見出しだけしか見ない人も少なくない。だから猶更すなおに”納得を得られる説明・納得できる説明”と表現すべきだ。納得感を得られる説明できるか、では、東京新聞も、実態が妥当でなくても印象やイメージさえ良ければそれでいい、イメージこそ重要で実態はどうでもいい、と言っているように見えるし、読み手に、実態よりもイメージが重要だ、という印象を与えかねない。
維新が票を伸ばし、自民党が与党であり続けている理由には、確実に実態の伴わないやってる感の演出がある。実態がどうであれイメージが重要、という印象を醸すことは、それに加担する行為ですらある。だからこの「岸田首相は「納得感」持てる説明できるか」という見出しには違和感がある。記事本文を読んでも、その表現が妥当である理由は見当たらない。
新聞は、勿論テレビもそうだが、報道とは言葉を生業にする職業の代表例なのに、それがこんな実態とは異なる印象を醸す表現を平気でやっているのだから、それは報道の劣化と言わざるをえない。もっと正確で適切な表現をするべきだ。逆に言えば、こんな表現を平気でやるから、日本にまともな報道はない、と言わざるをえなくなってしまうのだ。
トップ画像には、万年筆 ノート ページ - Pixabayの無料写真 と、干ばつ ひびの入った地球 乾燥した地球 - Pixabayの無料写真 を使用した。