カメルーン出身で関西育ちの漫画家 星野 ルネが、カメルーンではフランス語を話していたので、日本に来た当初、カメルーン人の母と彼は、テレビの映画を見る際に副音声の英語も分からず、見ながら日本人の父にいろいろと解説を求めたが、その度が過ぎるとが父がイライラする、のような内容のマンガを投稿していた。
言葉と動作が一致してこそ本当に理解出来るんだよね。フォローで応援嬉しすぎて床を転がり回ります。リツイートで意思疎通が快適になります。いいねで、欲しいお弁当が売り切れません。#アフリカ #漫画 #エッセイ #通訳 #映画 pic.twitter.com/BDHSqAZi9U
— 星野ルネ (@RENEhosino) May 15, 2018
自慢じゃないが自分は国語の成績は良かった。読解力は人並み以上にあると自負している。それは多分、以前にも書いたことがあるが、小学校の時の担任が週に1,2回程度、100文字作文・若しくは200文字作文を宿題として出したことに理由があると思っている。文章を書くことは、同時に読むことの勉強にもなる。自分で書いた文章を読み返して、言っていることが分かるかどうかを確かめるという作業が必要になるからだ。隣の席の子と書いた作文を交換して互いに読んでみる、なんてこともやっていた。
読解力とは読んで理解する力と書くが、実際には、読んで理解、には限らない。人が言っていること、言葉以外の表現やその意図を理解することも広義の読解だ。他人の言っていることが言葉足らずだったり、一般的には伝わりにくい表現をしたりしていても、仕草や口ぶり、その人が持つ背景などから、言いたいこと、思っていることを汲むことができることも読解力が高いと言えるだろう。
だから小説や漫画だけでなく、映画を理解するのも読解と言えるだろうが、自分は、とんでもなく難解な映画でもない限り、内容が分からずに困るということは殆どない。勿論、前作が前提になっている小ネタなどはそれを見ていないと分からないし、史実が下敷きになっていることは、それを知らないと厳密には正確に理解はできないが、それでもだいたい大筋では理解することが出来る。
だから誰かと一緒に映画を見ていると、「え?アレはどういうこと?」と解説を求められることが結構ある。前述の漫画で言えば、父のポジションだ。以前付き合っていた彼女には、理解が追いつかないと一時停止して説明させられることがあったが、その頻度が余りにも多いと興ざめしてイライラしてしまった。
1度見た映画ならそれでもいいが、初めて見る映画は落ち着いて見たいものだ。しかし理解が追いつかない方は、分からないままではモヤモヤしながら見ることになるし、分からないことが多ければ飽きてしまい、つまらない時間を過ごすことにもなる。それだと、自分は映画が好きなのにパートナーが見たがらなくなることにもなりかねない。だからその折り合いをつけるのは結構難しい。
日本人だからといって、みんながみんな日本語が達者なわけではない。ナニワ金融道やカバチタレなどで、相談してくる依頼者が困りごとをスムーズに説明するのに対して、主人公たちが「この人は物事をちゃんと説明できる頭のいい人」のように認識する場面がたまにある。若い頃は自分の感覚がその基準だったので、え?そんなの普通でしょ? と思っていたが、接客業をやってみると、同じ日本語を喋っているのにコミュニケーションが成り立たない人、というのが一定数いることを身をもって知ることになった。それでマンガの中で主人公たちが言っていたことに共感出来るようになった。
SNSをやっていても、同じ言語を使っているのに、コミュニケーションが成り立たない人が一定数いることがよく分かる。こちらの話は一切無視で言いたいことだけをただただ押し付けてくる人、話が飛躍しすぎて言葉のキャッチボールにならない人、助詞の使い方など文法が変で、文脈と言っていることが乖離してしまっている(ように見える)人などだ。最後の例は、自分はある程度あたりをつけて解釈できるものの、その解釈が絶対正しい保障はどこにもないし、それをこちらがいちいち確認してコミュニケーションを成立させる義理もないので、これらのようなタイプとはコミュニケーションを諦めることにしている。
【後悔】日本語能力試験に挑戦!こんな問題あり? - YouTube
これは、ピロシキーズという関西育ちのロシア人2人組による動画で、彼らは幼少の頃から日本で育った日本語ネイティブと言える立場なのだが、最近日本のコンビニなどで働く外国人が増えた、外国人が日本のコンビニで働くには日本語能力試験で上から2番目のN2に合格しないといけないらしい、日本語ネイティブと言える立場の自分達も日本語能力試験の問題に挑戦してみよう! という内容である。
ピロシキーズの1人・小原 ブラスは頭がいい。以前他の動画で、ロシアでは飛び級で5歳で小2だったのに、日本ではまた保育園からやらされてふてくされていた、というエピソードを紹介していたし、結構と色々なことに精通している。日本語も並の日本人以上のレベルだ。しかしそれでも、日本語能力試験の問題には、一応合格レベルではあるが結構苦戦している。
その一方で、もう1人の中庭 アレクサンドラは、小学生の頃から日本で生活しているにもかかわらず、いまだに漢字が苦手だ。別の動画ではそれをネタにしている。漢字が苦手なロシア人と言うと、そんなの普通じゃん、と思うかもしれない。しかし、中庭が漢字が苦手なのは、決して彼女が外国人だからではないだろう。彼女は小学生の頃に来日し、全く日本語が出来ないところからスタートした、という点で他の日本人と差はあるものの、日本人だって漢字を勉強するのは基本的には小学生からで、漢字を学校で勉強した期間にはそれ程大きな差はない。そして、彼女と同じくらいに漢字が苦手な日本人というのもザラにいる。たとえば、元セクシー女優の泉 麻那がこんな動画を投稿しているが、彼女の漢字力と中庭のそれに大きな差はない。つまり彼女たちは単に、漢字が得意ではない日本語ネイティブなだけである。
日本人の中には、コンビニや牛丼チェーンなどで働いている外国人を見下す人がいて、外国人だから日本語がー のような難癖をつけたり、嫌味を平気で言う奴も結構いる。しかし前述のように、日本語のような何かを喋る・書くのに、日本語でのコミュニケーションが成り立たない日本人なんてのも結構いて、しかもSNSでは、日本大好き! 日本人でよかった!などとプロフィールでアピールしていて、外国人差別をやってしまっているような人に限って、しょうもない言い間違い、書き間違い、タイプミスや変換ミスではあり得ない漢字やカタカナ語の間違いなんてのをやっていたりする。
00年代にブログが一般化し、10年代以降にはYoutubeが普及し、校閲を受けない日本語表現が、それ以前と比べて明らかに増えた。校閲を受けないそれらの中には、目障り耳障りな日本語も結構多い。個人的には助詞の使い方がいい加減なのが一番気になってしまう。一番多いのは”が”の使い方がいい加減なタイプで、次に多いのは”に”と”を”の使い分けがいい加減なパターンだ。
漢字の読み書きが適切できなかったり、文法がおかしかったり、正しい日本語を使えない日本人は結構多い。言語は生き物とも言うし、確かにその通りだとも思うが、正しい日本語を使える、知っている上で新しい表現を使うのと、正しい表現を知らずに雑に正しくない表現を使うのは明らかに違う。そして、外国人の日本語を馬鹿にすることはそれ自体が不適切だが、皮肉を言いたいにしてもまずは自分の日本語を見直してみろ、と言われても仕方がない人も結構いる。
何にせよ、校閲があるとされる新聞やテレビを見ていても分かるように、日本語を全く完璧に使いこなせている人なんてのは、言語表現を生業にしている人にだって殆どいないだろう。だから、日本語ネイティブであることを前提としたマウンティングなんてやらないに限る。間違った表現や読み書きを指摘すること自体を否定するつもりはないが、明らかなマウンティングなんかしたら恥をかくことになるだけだ。
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