企業のネットが星を被い、電子や光が駆け巡っても国家や民族が消えてなくなるほど、情報化されていない近未来、は攻殻機動隊の冒頭の一節だ。攻殻機動隊は、原点である士郎 政宗のマンガが1989年に発表され、1991年に単行本となり、1995年に押井 守監督で映画化された作品だ。この冒頭の一節はマンガ版でも映画版でも用いられている。
攻殻機動隊は、2000年代に入るとTVアニメシリーズも制作された。マンガ版/映画版/TVアニメ版は同じ世界観や基本設定を用いている同名の作品だが、それぞれ微妙に異なる世界が描かれている。だが、それぞれで時系列に微妙な差はあるものの、どれも概ね2020年代を舞台にしていて、つまり、1990年代から2000年代初頭に空想された2020年代の未来が描かれている、と言える。
要するに、企業のネットが星を被い、電子や光が駆け巡っても国家や民族が消えてなくなるほど、情報化されていない近未来、とは、2020年代前後のことを言っている。
マンガ版攻殻機動隊が描かれた1990年頃、パソコン通信は既に一般化していたが、インターネットは1988年に商用利用が始まったばかりで、まだまだ影も形もないと言っても過言ではない状況だった。インターネットが一般化し始めるのは Windows95 の登場以降だから、最初の映画版が公開された1995年も、まだまだネット黎明期も黎明期で、今と比べれば驚異的に遅い32kbpsでの通信が一般的であり、画像1枚読み込むのにもかなりの時間を要するような状況だった。
その当時に2020年代を、企業のネットが星を被い、電子や光が駆け巡っても国家や民族が消えてなくなるほど、情報化されていない近未来、として描いているのは、先見性があるな、と言える。しかし、攻殻機動隊で描かれた世界は、実際の2020年代よりもかなり先進的だった。
パソコンやスマートフォン、モバイル通信の一般化、もうすぐ内燃機関に電気モーターが取って代わりそうな状況など、20世紀から明らかに未来化したものは少なくない。だが、1970年代、大阪万博の影響を受けた未来観・21世紀のイメージは決して現実になったとは言い難いし、1980-90年代のフィクション作品で描かれた未来は、軒並みまだ現実になっていないと言えそうだ。
1989年に公開されたバックトゥザフューチャー2で描かれた2015年では、自動車が空を飛んでいたが、実際の2022年では自動車は未だにタイヤで走っている。攻殻機動隊と並ぶジャパニメーションの金字塔・AKIRA(マンガ版は1982年、アニメ映画は1988年の作品)の舞台も2010年代で、東京湾の大半が埋め立てられ近未来都市となっていたが、実際の2022年の町並みは、1980年代のそれと大きくは変わっていない。
攻殻機動隊には、瞬時にアルコールを体内から除去するシステムがあるので、酒を飲んでいる際に非常招集がかかっても問題にならない、という設定が出てくる。しかしそのようなシステムは未だに実現してもいないし、実現の目途も見えない。というかそもそも体の一部を義体化(サイボーグ化)するなんてことも出来ない。
実際の2022年では、完全自動運転もまだ実現していないから運転することを考慮したらお酒は未だに飲めないし、もっと早く実現していると想像されていたEV・電気自動車も、日本では充電インフラが整えられていない所為でまだまだ普及していない。1980年代-1990年代に一体誰が、2022年に日本で一番売れているのは軽自動車で、当時と大して変わらない性能のキャンピングカーや、クルマで寝泊まりする車中泊が流行っているなんて想像しただろうか。キャンピングカーや車中泊が流行っている理由にはポータブルバッテリーの高性能化という進歩が影響はしているが、どう考えても20世紀後半に想像された未来の姿とは程遠い。
何が言いたいのかと言えば、1970年代から1990年代に想像された未来、進歩の速度は、明らかに現実のそれを上回っていた。言い方を変えれば、1990年代以降、中国の大都市のように明らかに急速な発展を見せた街もあるが、少なくとも日本ではバブル崩壊以降進歩や変化の速度が急速に落ちた。そう感じられる理由は、日本が戦後、世界に類を見ない程の速度で発展していたからかもしれない。1970年代から1990年代頃は、これからもその発展の速度は落ちずに続く、という感覚があって、だからその頃の近未来作品は、その速度で発展した日本の未来を描いていたのかもしれない。
バックトゥザフューチャー2は所謂ハリウッド映画であって日本の作品ではないけれど、2015年の世界で主人公マーティは日本企業で働き、日本人上司に叱られている場面が描かれている。当時日本企業は世界で最も勢いがあって、その勢いが2010年代も続くと考えられていたからそんな設定になっているんだろう。しかし実際は、日本企業は2010年代以降、世界的には韓国や中国の企業に取って代わられつつある。もしバックトゥザフューチャー2が2000年代の作品だったら、恐らくマーティの上司は中国人か韓国人だったのではないか。
日本の進歩は寧ろ止まっている、いや後退している感すらある。それを象徴するのがこんなツイ―トだ。
!うちの娘ちゃんが、きちんとした文具屋で買った消しゴムが、「白くない」と言う理由で、学校で禁止された。これって、理屈が無いんですよね。透明な消しゴムがダメってロジックはどこにある?、これ学校に持ってちゃダメなんだぜ🤔 pic.twitter.com/VSBqrq3k8d
— insomnia 🌏 Revolution4Change🍊 (@psyche2nakano) January 11, 2022
簡単に言えば、ある小学校では、消しゴムは白に限る、という全く意味不明な校則が存在している、という話だ。今は2022年なのに。
1990年代、自分が通っていた中学校には、バスケットボールシューズのような踵の高いスニーカー禁止、という校則があった。どの先生に聞いても誰もその合理的理由を説明できなかった。 履き難くて踵をつぶすからダメ、と言った教師がいたが、だったら踵をつぶすのを禁じればいいだけで、踵の高い靴禁止の意味が分からない。踵をつぶして履く奴は、普通の踵の高さのスニーカーでも、バレエシューズタイプの上履きやスリッポンのような靴でも、踵をつぶす。いや寧ろ、踵の高いスニーカーの方が踵をつぶし難いのではないか。
1990年代ですら理不尽で合理性がない、馬鹿げている、としか思えなかったような校則を、2020年代にもなって、未だに生徒や児童に強要する学校が多く存在している。そんな理不尽な校則に右へ倣えさせられた者が大人になってそれを再生産していたら、そりゃ社会の進歩も滞って当然としか言いようがない。
日本の現状はそんな状態だ。つまり日本は未だに20世紀のままと言えるのかもしれない。