どんなことでも強い意志をもっていれば成就させられる、ということを意味する慣用表現、為せば成る、は嫌いだ。何故嫌いなのかと言えば、この言葉を歪曲し、外的要因で成し遂げることが出来ないことに関しても、成し遂げられないのはお前の努力が足りないからだ、と言いだす人が少なくなく、そのような方法で所謂やりがい搾取が起きやすいからだ。
しかし一方で、買わない宝くじは当たらないし、始めないダイエットは成功しないのも事実であり、その意味では、為せば成る、為さねば成らぬ何事も、には説得力もある。
自分が初めてパソコンを買った頃、デスクトップパソコンのモニタの主流はまだブラウン管だった。既にノートパソコンや液晶ディスプレイもあったが、当時の液晶はまだまだ動きに弱く、動画を映すと残像感がとても気になるレベルだった。また大きさもせいぜい14インチ程度で、当時は、液晶パネルの大型化は難しい、と言われていた時期だった。
当然テレビもまだまだブラウン管が主流で、現在主流の薄型テレビが市場に出回り始めたのは2000年代に入ってからだった。薄型テレビも当初は、20インチ台までが液晶テレビで、それ以上の大型モデルはプラズマテレビが主流だった。薄型テレビが出始めた頃には、液晶パネルの大型化技術は既に目途がついていたようだったが、早い動きにはまだ弱く、動きの激しい映像にはプラズマテレビの方が有利と言われていた。
しかしそれから約20年を経た現在、どんな状況になったのかと言えば、ブラウン管は当然のこと、プラズマテレビさえも最早過去の遺物になってしまっている。2010年以降は有機ELモニタも商品化され始めてはいるが、それでもまだまだ、大型化は難しい、動きのある映像に弱い、という20年前の定説を覆した液晶モニタが確実に主流である。
20年前の技術者が、液晶モニタの大型化は難しい、動きのある映像に弱い、という定説に基づいて、だから開発しても仕方がない、と最初から開発を諦めていたら、多分この状況にはなっていない。これもまた、為せば成る、のよい例なのかもしれない。
首相の岸田は、新型ウイルス対策・経済対策としての、18歳以下への10万円相当給付が昨年9月以降に離婚したひとり親に届かないケースがある問題について、「制度的な対応は難しい」と国会で述べた。
ひとり親の子どもに10万円届かない現状 「制度的な対応は難しい」と岸田文雄首相:東京新聞 TOKYO Web
この給付は、新型ウイルスの感染拡大の影響で経済的に困難な状況に追い込まれた人たちへの支援という名目なのに、それに該当する恐れが高い1人親の子どもに給付が届かないなんてのは、制度的な欠陥と言うよりほかない。
制度的に対応が困難? 制度作りが下手なだけ、怠慢なだけだ。それ以外の何ものでもない。最も必要とする人に届かない恐れのある給付制度について、制度的な対応は難しいで片づけられるなら、どんなことに関してもやらない理由になってしまう。やる気がないから出来ないだけ。それだけだ。やる気がないことが実現するはずがない。実現する気のない制度は実現出来るはずがない。
岸田自民政権は、当初から世帯主への給付で制度を設計しており、それでは必要な人に届かない恐れがある、という指摘は遅くとも昨年・2021年11月の時点で既にあった。にもかかわらず、彼らはクーポン券による支給にばかりこだわっていて、それに関する議論ばかりやっていた。しかし、結局クーポン券制度を利用するか現金で給付するかの判断は自治体にゆだねることになり、いざ蓋を開けてみると、全国1741自治体のうち、クーポンで支給するのはたった7自治体しかなかった。
10万円給付、クーポン採用は高崎市など7自治体のみ 山際担当相「選択肢として悪くなかった」 :東京新聞 TOKYO Web
全く無意味と言っていいことに時間とコストを割いて、本質的に必要な制度については「制度的に困難」と言う。
昨年の衆院選前から、再び自民党政権となればこのようなことになるのは目に見えていたのに、なぜ日本の有権者の大半が自民党を選ぶのか、全く理解に苦しむ。
日本人には思いやりがある? いやいや、日本人に思いやりがあるなら、こんなことをやる政治は絶対に選ばないはずだ。もう何度も書いていることだが、同性婚制度や選択的別姓制度に明らかに反対する政党に政権を預ける日本人には、間違いなく他人に対する思いやりなどない。
トップ画像には、ベビーカーを押している人(女)のイラスト | ちょうどいいイラスト を使用した。