新型ウイルスの感染拡大以降、酒をほとんど飲まなくなった。そもそも家で酒を飲む習慣がなかったこともあって、外出の機会が減った為、それに比例して酒を飲む機会も大きく減った。
自分の両親はともに下戸で、家にあるのは料理酒だけだった。母の親族は皆酒を飲むが、父親の方は筋金入りの下戸一族で、父の親兄弟は誰も酒を飲まず、祖母の通夜の際に、酒屋に「栓を開けなければビールは返品できるか?」と聞いていたくらいだ。酒を飲む習慣がある人なら絶対にそんな心配しない、と父の兄の奥さん、つまり父方の一族ではない叔母が言っていた。
そんな家に生まれた自分も、お酒はほとんど飲めなかったが、20歳になって酒の席に出るようになると、慣れなのか徐々に飲めるようになった。すぐに顔が赤くなって体が熱くなるのは、体質なのかほとんど飲めなかった時と変わらなかったが、飲める酒の量は、気がつくと人並み以上になっていて、ほとんど飲めなかった、酒に弱い、なんて言っても誰も信用してくれないくらいになっていた。
それでも家で酒を飲むとすぐに眠たくなって寝てしまうこともあって、家で酒を飲む習慣は出来なかった。いや、居酒屋などでの飲酒も家同様に眠たくなって寝てしまう。自分が酒を飲むのは、基本的には音楽の方のクラブだった。
酒は毒なのか薬なのか、という議論はかなり昔からあるが、近年、所謂適量のアルコールとは、かなり少ないという話が支配的になっている。そして遂に「どんな量でも飲酒は心臓の健康を害する」という話が出てきた。
「適度な飲酒などあり得ない、どんな量でも飲酒は心臓の健康を害する」と世界心臓連盟が声明を発表 - GIGAZINE
この記事には、心臓病に関する世界会議を主催する、ジュネーブに本拠を置く世界心臓連盟が「飲酒に適量はない。どんな量でも心臓の健康を害する」という声明を発表した、とある。世界心臓連盟が「飲酒に適量はない」とする声明を出すに至ったのは、アルコール関連の死や障害が増加しているからだそうだ。
日本語でも、酒は百薬の長、と言うし、英語でも、Good wine makes good blood /
良いワインは良い血を作る、という言い回しがあるそうで、適量の酒は寧ろ健康の為になる、のような話はよく耳にする。しかしざっと検索しただけでも、適量の飲酒ならば健康的なリスクは神経質にならなくてよいレベルという話は見つかるが、適量であれば飲酒は寧ろ健康によいという話は、根拠に乏しいという話しか見当たらず、現時点では適切な認識ではないようである。
寧ろ健康によい、というのは多分、その方が都合がよい酒好きが、飲酒の正当化の為にやや大袈裟に言っていることなのかもしれない。
当該記事を読んだ第一印象は、「適度な飲酒などあり得ない、どんな量でも飲酒は心臓の健康を害する」なんて極端な話は、「ならば、ちょっと酒を飲んでも浴びるように飲んでも同じようなもの」という発想を誘発しかねないのではないか、だった。実際は、飲んだアルコールの量で身体へのダメージ量は変わるんだろうし、飲み過ぎは精神的なアルコール依存にも繋がりかねず、ちょっと飲もうが浴びるように飲もうが、健康を害するのは変わらない、というのはかなり乱暴な認識なのだろうが、そんな風に考えて、だったら好きなだけ飲む、と言い出す人を生み出しかねないように思えた。
人間がアルコールの接種を始めたのは農耕を始めるよりも前なのだそうだ。つまり、人間の歴史とアルコールは切っても切れない関係にあると言ってもいい。飲酒を禁じる宗教も少なくいないが、仏教やイスラム教では飲酒を禁じているのに、実質的には全面禁止出来ていない実状や、1920年代のアメリカにおける禁酒法の失敗などに鑑みれば、人間とアルコールは切っても切れない関係、と言っても過言ではないだろう。
つまり、酒は有害だから全面的に飲酒を止めるべきだ、とか、全面的に飲酒を禁止すべきだ、なんてのは寧ろ弊害の方が大きいと言わざるを得ない。だから、「適度な飲酒などあり得ない、どんな量でも飲酒は心臓の健康を害する」なんて話は、それが厳密には事実であったとしても、極端すぎると感じる。
酒以外にも健康によくないとされる食べ物や飲み物は他にもある。それらも結局は摂取量で影響は変わるんだろうが、現代社会には糖分過多な飲み物が山のようにある。糖分は人間が生きていく上で欠かせないものではあるが、それは日々の食事で自然に接種する量で充分なはずで、甘いジュースやコーラ、エナジードリンクなどで接種する必要はないから、「ジュースやコーラ、エナジードリンクに適量などあり得ない、どんな量でも健康を害する」という話はある意味で正しいと言えるだろう。
他にも同じ様に言えるであろうものは沢山あるが、全てについてそんな極端なことを言い、禁欲的に生活することこそが健康的で望ましい、みたいな話に、一体どれほどの人が賛同するだろうか。
記事には、
世界心臓連盟はアルコールに起因する死だけでなく、アルコールが生み出す経済的・社会的コストも問題視しています
ともある。また、世界心臓連盟の政策提言委員会に所属するモニカ アローラは
『張りのある生活にはアルコールが必須』といった類いの宣伝は、飲酒の害から目をそらさせており、「1日1杯の赤ワインが心臓病に有効」というフレーズはあまりにも広く知られています。こうした主張はあえて良く言うならば誤解を招く表現で、悪く言うならばアルコール産業による一般大衆をだまして製品を売り込もうという試みの一環です
とも言っているそうだ。確かに、現代社会では酒に限らず、商業的な目的で、大した効能もないサプリメントや、場合によっては単なる水を、あたかも健康に大きく寄与するかのように宣伝する手法が目に付く。そのようなことへの警戒は必要で、この主張もそれを促したいのだろうが、流石に表現が極端で、陰謀論染みていてあまり共感を呼ばないのではないか、と感じる。
人間は良くも悪くも感情的な生き物なので、絶対的な正しさに共感するとは限らない。見た人・聞いた人がどのように感じるかを考慮して訴えないと、言いたいことがうまく伝わらないことも決して少なくない。
それは逆に言えば、耳障りのよい話には最大限注意しなくてはならない、ということでもある。印象だけを重視した字面・言葉面や、あまりにも乱暴に分かり易さだけを重視したような話には注意しなければ騙される。今の日本がまさにそんな状態なんだろう。
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