スキップしてメイン コンテンツに移動
 

他人との距離感とそのバランス感覚

 今日のトップ画像を作るにあたって、他人の対義語とは?という疑問が浮かんだ。他人の対義語としてまず考えられるのは自分だろう。自分とそれ以外という感覚で対義語を考えた時、他人の対義語は自分になる。

 だが、他人の対義語として考えられるのは自分だけではない。知人も他人の対義語になりえる。知っている人と知らない人という区分をすれば、他人の反対は知人と考えられる。他人の対義語としてまず自分をあげるか知人をあげるかは、自分の範囲の違いかもしれない。知人は決して自分ではないが、知人を自分側の人間と捉えて考えれば、他人の対義語としてまず知人が思いつきそうだ。自分の範囲を主に自分だけ捉えていれば、他人の対義語としてまず自分を連想するのではないか。
 この差は単に感覚の問題であって、どっちが正しいとか優れているとか言うようなことではない。また、知人とはどの程度の人までを指すのか、だって人によって違う。ごく親しい友人程度しか知人と思わず、それ以外は他人だと思っている人もいるだろうし、一度顔を合わせたことがあれば知人だと思っている人もいる。また場合によっては、同じ民族や出身地、国籍なだけで他人とは言えない、のような基準も確実にありえる。

 一口に自分/知人/他人と言っても、それは共通認識に基づいているようで、地域差だったり、個人それぞれでも感覚に差があったり、言葉の基準は曖昧で、必ずしも同じ基準での定義とは限らない

 この星野 ルネのマンガで描かれている、主に関東と関西におけるアホとバカについての認識差も、言葉の認識に地域性や個人それぞれで微妙な違いがあることを示している。関西ではアホの方が軽い感覚で用いられているし、関東ではバカの方が軽めのニュアンスだ。そして関西ではバカが、関東ではアホが攻撃性が高い表現として認識されている。
 しかしこの地域性も間違いなく「概ね」であり、地域に関係なく、アホだろうがバカだろうが冗談でも言われたくない、という人もいるだろうし、逆に、アホでもバカでもその程度なら言われても何とも思わない、という人もいるだろう。

 このアホやバカという言葉がどのように聞こえるのか、ということには、純粋な言葉の感覚だけでなく、言う側と言われた側の関係性、距離感なども影響するだろう。だからトップ画像に、他人との距離感、のイメージを使った。関係性が近ければ、多少乱暴にアホとかバカなどと言っても、その言葉はトゲを持たないだろうが、全く見ず知らずの他人に言われたら、たちまちとげとげしい言葉に変わる。
 そして、自分とそれ以外という認識が強い人にとっては、たとえ近しい関係性であっても、アホやバカという言葉はどんな言い方や口調であってもそれだけで許し難い、なんてこともありえる。


 他人との距離感、をトップ画像に選んだのには、こんなツイ―トが話題になったことも影響している。

 このツイートには、この投稿を書いている1/8の時点で、2万8000件以上のいいねが付いている。つまり、このツイートから連なる一連の話に共感を示している人が決して少なくはない、と言える。
 このツイートを見た際に、自分もまず共感を覚えた。他人との距離感がおかしい人自分の見えている世界・範囲が世界の全てとか、自分の考えは圧倒的に正しいと考えているような人は確実にいて、その手の人がアドバイス魔になりがちだな、と感じた。少し前に話題になった、ゴルフ練習場やボーリング場で、頼んでもいないのに他人に教えたがる、所謂コーチ魔なんてのもその類だな、と思った。

 しかし一方で、逆に全肯定でないとケチをつけたと言い始める人も決して少なくない、と思っている。
 このツイートから連なるスレッドでは、仕事上の客であればそんなアドバイスもスルーできるが、友人にはそんな「客あしらい」はやりたくない、と言っている。これは、仕事上の客に対してはすべて「客あしらい」で対応する、と言っているわけではなく、多分あまりにも押し付けがましいことを言ってくる客は丁重にあしらう、という意味なんだろうが、たとえば、飲食店関係者が自分の店の料理を「あまり美味しくなかった」と言われたことに腹を立てて、そう言った人を攻撃している場面、映画監督が自分の作品に対する否定的な評価に腹を立て攻撃している場面、などに出くわすこともしばしばある。
 そんなに否定的評価が気になって仕方がないなら、それを生業にしなければいいのにと思う。生業でなくても、否定的評価、いや全肯定以外がいやならば、SNSなどで作品を公表しなければいいのにと思う。勿論「ださ」とか「下手くそwww」なんて嘲笑に嫌悪感を持つのは当然だ。だが、ここで言っている否定的評価・全肯定以外の評価とはそのようなことではない。
 金を払って料理を食べたり映画を見たりしたんだから、客には、期待を下回る内容ならばそれを否定的に批評する権利は当然あるだろう。でも世の中には、否定的な批評/全肯定以外の評価が一切許せないタイプの人もいる。押し付けがましいアドバイスをする客がいるのと同時に。

 そんなことを考えると、このツイートに賛同している人の中にも、そのような類の人も含まれていそうだな、なんて思えて、ある種否定的な感想も持った。


 押し付けがましい客は押し付けがましい客で、自分の感覚が一番正しいと思っているんだろうし、客からの否定的評価に過敏で許せない側も自分の感覚が一番正しいと思っているタイプだろう。しかし前者は他人との距離が近すぎると言えるだろうが、後者は他人との距離感があまりにも遠すぎる為、自分以外の考え方・感覚を受け入れられない、というような状況であり、他人との距離感という視点でみれば真逆のようだ。

 結局なににせよ、大事なのはやはりバランス感覚である。自分と相手の関係性、相手の感覚を見極めてその距離感を適切に保つ、そのような意味での「空気を読む」はある程度必要なことだ。



 トップ画像には、イラストストック「時短だ」 – 時短に役立つ素材サイト の素材を使用した。

このブログの人気の投稿

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

フランス人権宣言から230年、未だに続く搾取

 これは「 Karikatur Das Verhältnis Arbeiter Unternehmer 」、1896年ドイツの、 資本家が労働者を搾取する様子を描いた風刺画 である。労働者から搾り取った金を貯める容器には、Sammel becken des Kapitalismus / 資本主義の収集用盆 と書かれている。1700年代後半に英国で産業革命が起こり、それ以降労働者は低賃金/長時間労働を強いられることになる。1890年代は8時間労働制を求める動きが欧米で活発だった頃だ。因みに日本で初めて8時間労働制が導入されたのは1919年のことである( 八時間労働制 - Wikipedia )。

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになる

 攻殻機動隊、特に押井 守監督の映画2本が好きで、これまでにも何度かこのブログでは台詞などを引用したり紹介したりしている( 攻殻機動隊 - 独見と偏談 )。今日触れるのはトップ画像の通り、「 戦闘単位としてどんなに優秀でも同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになるわ。組織も人も特殊化の果てにあるものは緩やかな死 」という台詞だ。

あんたは市長になるよ

 うんざりすることがあまりにも多い時、面白い映画は気分転換のよいきっかけになる。先週はあまりにもがっかりさせられることばかりだったので、昨日は事前に食料を買い込んで家に籠って映画に浸ることにした。マンガを全巻一気読みするように バックトゥザフューチャー3作を続けて鑑賞 した。