20代以降、遅くとも30歳を過ぎると、誰でも体は徐々に衰え始める。努力でそれを遅らせることは出来ても、たとえば視力だとか聴力だとか反射神経だとか、そういうものはどうやっても老化から逃れられない。だから、年を取ることは決してネガティブなことではないが、誕生日の特別感は年と共に徐々に薄まっていく。年を取ることは老化が進むということでもある。
なので、若い頃はあんなに待ち遠しく、そして楽しみだった誕生日が近づいても、全くウキウキしなくなった。誰かにおめでとうと言われたら嫌な気はしない。寧ろ嬉しさもあるが、それでも素直には喜ばずに「この年になると誕生日なんてこない方がいい」なんてことを、冗談交じりに言いたくもなる。冗談交じりとは、決して冗談だけではない意味がそれに含まれていることを意味する。
正月も似たようなもので、めでたいという感覚は若い時よりもなくなってきた。しかも、去年と今年は新型コロナウイルスの感染拡大が収まっておらず、先行き不安な正月、という要素が例年にも増して強い。それ以外にも、年明けからこんなニュースも目に入る。
書き換え統計、大半の復元困難 国交省に元の調査票・写しなく | 毎日新聞
この国はとうとう統計にも全く信頼がおけないことにも明るい未来は見えないし、この件を伝えるのに、新聞各紙が、改ざん・不正という表現を一切使わないこともまた、どうしようもない程の先行き不安感を強める。
また、東京オリンピックの適切な評価検証もされぬまま、また札幌オリンピックを招致するなんて話も聞こえる。
2030年五輪・パラ招致へ 札幌市が今月から対話事業再開|NHK 北海道のニュース
東京オリンピックの為に新築した国立競技場をはじめ、その他の施設でも赤字が確実とか、この先も活用されるか不透明なものも少なくないし、1998年に開催した長野オリンピック、1972年開催の前回の札幌オリンピックの為に作られた施設にも廃墟と化しているものがいくつもある。なのにまたオリンピックを開催して、無駄なお金、いや一部の関係者だけが儲けるためだけの金を使おうと言うのか。そんなに高額な納税をしているわけではないが、税金を支払うのが馬鹿馬鹿しくなる。
2019年の夏に韓国バッシングに染まったことに嫌気がさして、テレビはそれから殆ど見なくなった。それから3度の正月を経て、正月ムードの大半はテレビによって盛り上げられていただけだった、ということを実感している。新型コロナウイルスの感染拡大がなければ、外出して休み・正月ムードを満喫することも出来たんだろうが、自分はこの状況で積極的に外出する気にはなれず、去年も今年も年末年始どこにも行かずに家にいるから、余計にそう感じるんだろう。そんなことを考えると、ある程度強制的に正月のオメデタイムードを盛り上げる、ドーピングのような行為も必要なんだろう。
今年は大晦日に 小山田 圭吾の件に関する DOMMUNEの配信を見たこともあって、去年の正月にも増して、正月に明るさがない。深刻な気分になっている。勿論興味があってその配信を見たし、DOMMUNE の配信に致命的な問題性があったわけではないが、そこに出演していた人たちの一部の主張に対する納得のいかなさ、そして、小山田 圭吾を擁護する人にも批判する人にも、心無いことを平気で言う人がいることを、配信中/配信後の #DOMMUNE タグツイートなどによって目の当たりすることになった影響もあるだろう。
年明けから今日まで3日間、ずっと家に籠っていたが、明日は気分転換にどこかへ出かけようと思う。
トップ画には、落ち込む会長4 – イラストストック「時短だ」 を使用した。