このブログを始めたのは2017年の1月だった。当時はまだテレビを結構見ていて、ニュースを見て知った社会問題や政治の動きに関して、自分が感じたことを書き残しておこう、というのが始めた動機だった。2017年当時の投稿を読み返すと、当時既に自分が政治とメディアに不信感を募らせていたことは明白だ。
そして2019年の夏、日韓政府の対立が深まった際に、テレビ報道が軒並み嫌韓に偏ったことで、自分は、テレビは全般的に最早見るに値しないメディアに成り下がった、という判断を下した。TBSの報道特集やNEWS23など、ごくわずかに良心を残す番組もあったものの、テレビ報道全般という意味ではアウト、という判断によって、報道や情報番組を一切みることを止めた。微力ながら始めたボイコットだった。その頃はまだ、テレビ局にもまともな人たちがいるだろう、という希望というか、見たいバラエティーやアニメなど報道以外の番組の視聴を正当化する為にそんな理由付けをして、報道や情報番組以外は見ることもあったが、そんな正当化もできなくなるくらいにどんどん状況は悪化していった。そして、新型コロナウイルスの感染拡大が始まった2020年初頭、テレビ報道があまりにも不誠実になったことから、報道や情報番組に限らずテレビはほぼ見なくなった。
自分が政治やメディアに不信を感じ始めたのは誰より早かった、なんて言うつもりは全くない。自分よりも早く同種の違和感・不信感を訴えていた人は勿論いる。今日本は世界的に見て、明らかに新型コロナウイルスの感染拡大への対応に失敗している国だ。だが、もし多くの人が、2017年頃に、または遅くとも2019年の夏に、政治とメディアへの不信感と、それらの不誠実に対する危機感を募らせていたら、日本の新型コロナウイルス対応はもっとましだったかもしれない。だが、いかんせん危機感のある人が少なすぎた。そして危機感のある人が少なすぎ問題は今も尚変わっていない。
日本の新型コロナウイルス対応における検査抑制論、そしてみなし陽性などという非科学的な対応、更には自宅療養と称した感染者・患者の放置、中には、隔離が必要だと言うのに食料は自分で調達しろだとか、医療現場がひっ迫しているから119番をかけてくるなとか、自治体の首長がそんな非人道的なことを平気で言っていたりもする。政府や首相も、そのような対応を全く否定しない。そしてメディアも、そんなことについてほとんどおかしいと言わない。
新型コロナウイルスへの、政治やメディアの姿勢・対応を見ても尚、政治やメディアに危機感を抱く人が少ないことに驚き、落胆し、絶望的な気分にさせられている。 このままでは、新型コロナウイルスの感染拡大が収まっても、この国はどんどん坂を転げ落ちるだろう。いや、最早崖から落ちるレベルかもしれない。
日本は2011年に大地震大津波と原発事故に見舞われた。当時想定外の災害みたいなことが言われたが、後に事前に想定されていたことが判明した。想定されていたのに、大丈夫大丈夫、と対策を怠った人たちがいる。 この国の現状もかなり危機的なのに、未だ日本人の大半は、大丈夫大丈夫、と、対策を怠っている。日本人がすべき対策とは、政治やメディアの姿勢に危機感を持ち、そしておかしな人たちを政治から排除することだ。つまり選挙においてまともな政治家を選ぶということだ。しかし日本人は、昨年・2021年11月の衆院選で、自民政府を再び容認した。だから、政治やメディアに危機感を抱く人が少ないことに驚き、落胆し、絶望的な気分にさせられている。
ナチを支持した戦前ドイツ市民は、おそらく、ナチは危なっかしいけど多分大丈夫大丈夫、みたいな安易な感覚で支持したのではないだろうか。それがどんな結末を生んだか。日本だって同じだ。1930年代の日本では軍部が台頭して強権的な政治が行われたのも事実だが、当時の日本人の大半はそれに抵抗しなかった。抵抗しなかったと言うか、寧ろ迎合していた部分さえあっただろう。それがどんな結果を生んだか。歴史を見れば明らかである。国内の大都市がほぼ焼かれ、広島と長崎には原子爆弾を落とされた。また、トップ画像のように、日本中から若者たちが万歳の掛け声と共に戦争へ送り出されたが、その多くが補給もままならないまま餓死させられたり、自害させられるなどすることになった。
大丈夫大丈夫、と根拠なく思っていれば、そのうち取り返しのつかないことになる。取り返しのつかないことになってから気付いても遅い、ということを過去や歴史に学ばなければ、何度も同じ失敗を繰り返してしまう。
2011年の原発事故だけに注目しても、原発事故後も関連企業も関連する役所も、かなりいい加減な事ばかりやっているのに、日本人は原発再稼働を推進する人たちを与党に選んで政治をまかせている。これらのことから言えば、ニホンジンは失敗に学ぶことが出来ない愚か者の集まり、なのかもしれない。つまり、この国が同じ失敗を再び繰り返すことは必然なのかもしれない。