注意深くて、軽々しく行動しないこと。慎重を辞書で引くとそう書いてある。軽率の対義語だとも解説されている。君子危うきに近寄らず、と言うが、実は君子いくじなしなだけだ、とか、石橋を叩いて渡る、ならぬ、石橋を叩いて壊すだ、のように、慎重というニュアンスが否定的に用いられる場合もあるが、慎重とは基本的にはポジティブな表現である。
東京新聞がこんな記事を載せている。
岸田首相、緊急事態宣言に慎重姿勢 衆院予算委で与野党から発令検討求める意見:東京新聞 TOKYO Web
2/2の衆院予算委員会で、東京都などへの緊急事態宣言発令について質問された首相の岸田は、「今後の推移を見極めながら考えていかなければならない。今は検討していない」と重ねて否定した、と書かれている。この記事を書いた記者、あるいはその上司に当たるデスクなのか、それよりももっと上なのか、この記事の見出しで、岸田のこの姿勢を ”慎重” と表現している。果たしてそれは妥当なんだろうか。
自分には全く妥当とは思えない。2/2の日本全体の新規感染者数は8万5000人を超えて過去最高だった。東京だけを見ても2万1500人超えで過去最高だった。しかも、このこれまでの新規感染者数が更新される傾向は昨日今日始まったことではなく、この1ヶ月毎日のように各都道府県で過去最高だと伝えられている。にもかかわらず、緊急事態宣言について検討していない、と言っている首相は慎重だ、と東京新聞は言うのだ。
前述の辞書サイト・コトバンクには、慎重の使い方の例文として「慎重に検討を重ねる」とある。しかし検討しないことが慎重だなんて話は全く聞いたことがない。勿論特殊な状況ではそんなケースもありえるだろうが、検討しないのが慎重だなんてのは基本的にはおかしい。また、経済や社会に与える影響を考えたら、緊急事態宣言を出すことには慎重になった方がよい、という考え方は、賛同はできないが理解は出来る。しかし、岸田は検討していないと言っている。検討した上で今は発令の時期でない、と言っているのではない。一体これのどこが慎重なのか。
記事の本文には「政府は発令に慎重になっている」ともあるが、新規感染者が過去最高を更新し続ける中で「今後の推移を見極めながら考えていかなければならない。今は検討していない」と発言した首相の姿勢を慎重と言うのは、政府や首相に忖度し、消極的姿勢でしかないのに「慎重」とポジティブな表現に歪曲している、としか言いようがない。こんな言語感覚で新聞記者になれるのだから、やっぱり日本の大手メディアは死んでいる。
この慎重姿勢という表現の罪深さはこの件に限った話ではないし、東京新聞に限った話でもない。G7の中で選択的別姓、同性婚を制度化していないのは日本だけだ。この2つの制度について、自民党は頑なにその制度化を拒み続けている。しかし日本のメディアは、この時代遅れとも女性や同性愛者の権利否定とも言える態度のことを、選択的別姓や同性婚の導入に慎重な自民党、と表現する。
選択的夫婦別姓 自民、目立つ慎重姿勢 同性婚への言及も避ける | 毎日新聞
女性や同性愛者が、男性や異性愛者と同等の権利を持つための制度を設けることを拒む姿勢のことを、日本のメディアは ”慎重” と表現するのだ。はっきり言って、自分には日本のメディアはそのような人権否定の共犯者にしか見えない。優しく言っても消極的姿勢と否定的なニュアンスで表現すべきだし、もっと言えば人権軽視姿勢とはっきり書くべきだと考える。それが出来ない?いや、やらないのだから、日本の大手メディアはやっぱり死んでいる。