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今の日本がいかに非論理的か、場当たり的か

 小学校2年生の時の担任は、早く食べ終わった者からおかわりしてよいという方針だった。揚げパンやソフト麺のような人気メニューの日に欠席者がいると、その分が余っておかわり用となる為、おかわりしたい者は、我こそがそれを手に入れようと早食いを競ったものだった。

 食べるのが早いのは大抵男子児童だった。数ヶ月後、女子らを中心に「不公平だ」という声があがった。先生は、給食時間内に食べられないのにおかわりする者が複数出たら元に戻す、という条件を提示したものの、それ以降は、おかわり希望者を募ってじゃんけんで争奪戦を行う方式に変わった。自分が小学生だった昭和末期はまだ、好き嫌いで給食を残すなんて言語道断、みたいな時期だったので、他のものを残すのにおかわりするのもダメ、だったように記憶している。
 そんな風潮だったので、給食時間が終わって皆が掃除を始めているのに、まだ嫌いなメニューとにらめっこしている子なんてのも結構いた。だからその先生の、給食時間に食事を終えられるように、早く食べ終わった者からおかわりしてもよい、という方針も決して全く合理性がないことはなかったんだろう。だが当時も、ゆっくりよく噛め、という教育は行われていたので、おかわりの為に早食いを競うなんてのは少し変でもあって、希望者を募ってじゃんけん、ってのがやはり妥当だったんだろう。

 こんなツイートが話題になっていて自分のタイムラインにも流れてきた。まず、自分の頃の給食の時間は一体何分くらいだったんだろう、と思い出してみた。確か20分程度だと思うのだが、かなり前のことなので記憶が曖昧だ。少し検索してみるとこんなサイトがあった。

小学生の時間割を徹底解説!1日の流れ、学年別科目のコマ数、授業時間の特徴とは? | HugKum(はぐくむ)

  • 給食:給食は12:15〜13:00の45分間です。時間配分は、準備に15分、食事に20分、片付けに10分程度で考えられています。給食当番を交代で行い、配膳や片付けをします。 
  • 昼休み:13:00〜13:20は昼休みの時間です。天気のよい日は運動場で遊んだり、雨の日には図書室や教室で過ごします。  
  • 掃除:昼休みが終わった13:20〜13:40に、全員で掃除をします。掃除をする場所は、分担されています。なお、掃除時間は学校によっては給食の後に行う学校や昼休み後に行う学校があるようです。

このサイトの記述は自分の記憶とつじつまが合う。掃除の時間まで嫌いなメニューとにらめっこしていた子がいたのは、給食の後が掃除の時間だったからだろう。

 自分は食べるのが早い方だったので、給食を食べるのに10分もかからなかった。でも普通の子は15-20分程度かかっていたように思う。食べるのが遅い子は20分でギリギリという感じだったと記憶している。そんなことから考えると、15分で食事を済ませろというのは軍隊だとか刑務所的、そんな感じすらある。

 このツイートにはそれが事実であると裏付ける根拠は何も示されていないので、本当なのかどうかはよく分からない。本当かもしれないし、実は創作かもしれない。又は、子どもから伝え聞いたことで実際とはやや異なる部分もあるかもしれない。しかし、日本の学校教育には理不尽なことが沢山あるので、何も根拠が示されていなくても、そんなこともあり得ると思えてくる。


 そもそも、マスクを外して他人と接していても15分以内なら濃厚接触者にならない、なんて定義自体が変だ。これは厚労省の濃厚接触者の定義からそう判断しているんだろうが、オミクロン株は不織布マスクを着用していても、対面で感染者と15分程度会話をするだけで感染する恐れがある、という報道はこれまでに多数されている。

つまり、マスクを着用していない状態なら、15分以上だろうが14分以下だろうが、大した差はない。感染者の傍で食事をしていたら感染する恐れが確実にある。マスクを外して他人と接していても15分以内なら濃厚接触者にならないなんて定義もおかしいし、だから14分以内に給食を済ませれば、感染対策はOKという感覚もおかしすぎる
 学校や教員という、社会でもっとも論理的でならなければならない組織、職業の人たちが、そんな非論理的なことをやっている、というのはかなり深刻ではないだろうか。

 これは苦肉の策であって、現場の教員はそうするよりほかない、それしかできない、という側面もあるのかもしれない。しかし、そんな泣き言は聞きたくない。何故なら、今はもう最初の感染拡大から2年以上も経っているからだ。勿論、最もアホなのは自民政府であり、厚労省や文科省であり、その方針に異論を呈さずに従って何も準備してこなかった自治体であり首長であり、教育委員会なんだろうが、現場の教員たちだって教育委員会側の人たちだし、学校や教員が教育委員会や自治体に対して積極的に異論を呈していたら、こんなことにはなっていなかったかもしれない。
 勿論、積極的に異論を呈していてもこんなことになっていたかもしれないが、でも、現場の教員や学校が積極的に異論を呈してきた、という話は殆ど記憶にない。

 紹介したツイートは、今の日本が如何に非論理的か、今の日本が如何に場当たり的かの縮図でしかない。何故なら、前述したように最もアホなのは自民政府なのだが、日本の有権者は、そのアホな自民政府を、昨年・2021年10月の衆院選で再び選んだのだから。


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