スキップしてメイン コンテンツに移動
 

盲導犬RPGのような社会

 2011年にリリースされたゲームソフト・マインクラフトの人気は今も衰えない。オンラインゲームが定着して以降、メーカーが1つのゲームにかけるコストはそれ以前にも増して大きくなり、1つのゲームを長くプレイしてもらえるような仕掛けが増え、その結果長きにわたって人気を獲得し続けるゲームはそれほど珍しいものではなくなっている。

 たとえば、ファイナルファンタジーシリーズ初のオンライン専用タイトルだったFFXI(11)がサービスを開始したのは2002年だったが、それからおよそ20年が経過した現在でも、まだ公式サービスが提供されている。2010年に続編のオンラインタイトル・FFXIV(14)がリリースされている為、既にファイナルファンタジーシリーズMMORPGの主力の座はそちらに移っていて、2015年にはメジャーバージョンアップ凍結が宣言されているものの、2020年に新シナリオが提供されるくらいには、まだまだプレイヤーがいる。

 また、グランドセフトオートシリーズ初のオンライン対応タイトルだったGTA5が発売されたのは2013年のことだ。流石にプレイヤーからは新タイトルを望む声が強くなっているものの、未だに定期的に追加コンテンツがリリースされる状況が続いている。ちなみに、GTA5は2022年現在、マインクラフトに次ぐ歴代ゲームソフト売上No.2なのだそうだ。


 マインクラフトは非常に自由度の高いゲームであり、1990年代の日本ならばほぼ確実にウケなかったタイプのゲームだ。それが今や小学生にも人気だと言うのだから、状況は大きく変わったという感がある。

 1990年代以前の日本では、ドラゴンクエストやファイナルファンタジーに代表されるような1本道のRPG、言い方を変えればお使いRPG・盲導犬RPGのようなタイプのゲームが大人気だった。それには、スーパーファミコン以前のゲームは常に低容量のチップと本体性能に表現・作品性を制限され、そのような自由度の低いゲームしか実現できなかったことの影響もあるかもしれない。たとえば、ドラクエ1の総データ容量は64KBで、ドラクエ3でも256KBしかなかった。グラフィックも音楽も、そのデータ量で全てを表現していた。ちなみに、1000万画素級のカメラでjpegで写真を撮ると(3648×2736程度の4K映像よりもやや大きい解像度)、1枚あたり3-5MB程度のファイルサイズになる。
 しかし海外では、そのような自由度の低いRPGはあまりウケなかったことを考えると、やはり当時の日本人は、自由度の高いRPGよりも1本道を盲導犬に導かれるようなRPGの方を好んでいた、とも言えそうだ。ドラクエもFFも、2の頃が最もプレイヤーに考えることを要求してきたように思う。実際はどうか分からないが、どちらも2が最も難易度が高いと言われていて、その後はストーリー性重視で流れに身をまかせる傾向になり、難易度は下がったと評価されることが多かった。

 自由度の高いマインクラフトが人気ゲームとなっている今でも、日本人は、何をすべきか、のような判断を自分でするのが苦手なところがある、と強く感じる。言い方を変えると主体性が薄く、敷かれたレールを外れたがらない、寧ろ誰かにレールを敷かれたがる、のような感じだろうか。


 なぜそんなことを考えたのかというと、SNSやYoutubeを見ていて、自分達が見るもの、知ることは、それらのアルゴリズムに大きく左右されている、と感じたからだ。たとえばYoutubeのホームに表示される動画は、自分の閲覧履歴などに合わせて、Youtubeのアルゴリズムがそのユーザーの好みであろうと推測した動画の一覧だ。つまり、各ユーザーは見たい動画を見ている動画を見ている、というよりも、これが見たいんだろ?とYoutubeのアルゴリズムが判断した動画を見せられている、とも言えるだろう。
 ツイッターやFacebookのタイムラインも同様で、ツイッターでは設定を最新ツイートにすればフォローしているアカウントのツイ―トを時系列順に全て表示することも可能だが、デフォルト設定のホームでは、ツイッターのアカウントがユーザーのいいねなどに合わせて、フォローしているアカウントのツイ―トを選り抜きで表示する。これも結局、ユーザーは見たいアカウントのツイ―トを見ているとも言えるが、ツイッターのアルゴリズムが見せたいツイートを見せられている、とも言えるだろう。
 これは日本に限ったことではなく、世界中で同じような状況なのだから、日本はーという話ではないが、RPGでフィールドを歩いていると、あたかも自分の意思でそれをしているような気分になるが、実際にはゲームのストーリーに導かれてそうさせられている側面もあって、それととてもよく似ていると思えた。

 動画を投稿する側や、SNSで多くのフォロワーや反応を獲得したい人たちも、どうやったらYoutubeやSNSのアルゴリズムが自分の投稿を取り上げてくれるか、を勘案して投稿を行っていて、見る側だけでなく投稿する側もアルゴリズムに大きく左右されている、と言えそうだ。言い方を変えると、最早YoutubeやSNSのアルゴリズムに支配されている、と言っても過言ではないかもしれない。


 そんな風に感じるならYoutubeやSNSを使うのを止めたら? と思う人もいるだろう。確かにその通りかもしれない。しかし、ネット以前はそれをすることも容易だったのかもしれないが、ネットが普及し黎明期を抜けて、各種サービスが独占的になっている現在、それらのサービスは最早インフラにも似た側面を持ち始めている為、利用を止めるハードルは決して低くない。

 ネット以前も、それぞれのユーザーが触れる情報は、ある種のアルゴリズムに左右されてきた。たとえば本やCDは、平積みにされたり、大きなPOPを付けたコーナーをが用意される作品ほど目に付いたし、音楽番組が取り上げる曲、CMタイアップを獲得した曲などを、ある意味で聞かされていたとも言える。出版社やレコード会社は、そんな風に取り上げて貰えるように、本屋やCD屋に働きかけたり、音楽番組やCMを流す企業に提案書を送ったりするなどしていただろうから、今はその舞台がネット上・YoutubeやSNSに変わっただけ、とも言えるだろう。
 しかし、ネット以前と今では大きな違いがある。ネット以前は、ここのオススメは嫌い、と思った本屋やCD屋を使わずに、他の本屋やCD屋を選ぶという選択肢があった。CMを避けることは難しくとも、この音楽番組のセンスは自分に合わないと思えば、別の音楽番組を見るとか、音楽番組は見ずに音楽雑誌を情報源にする、なんて選択肢もあった。新聞や報道も同じで、読む新聞や見るテレビ局には別の選択肢があった。

 しかしYoutubeと類似のサービスは殆どない。全くないわけではないが、他とは規模感があまりにも違いすぎる。SNSも同様で、ツイッターの代替となりえる対抗馬はないし、それはインスタグラムも同じだ。Facebookは少なくとも先進国ではかなり廃れてきたが、それでも同種のサービスは殆ど見当たらない。ロシアではFBと同種のVKが強いようだが、それが日本や他の地域で代替になるレベルかと言えば、全くそんなことはない。所謂サブスクリプション動画や音楽のサービスは、いくつか選択肢があるが、Youtubeとは方向性の異なるサービスだ。日本ではニコニコ動画なるサービスもあるが、Youtubeの規模感とはかなり大きな差があって、代替になるとは言いがたい。
 こんな状況に置かれていることを思えば、やはりYoutubeやSNSのアルゴリズムに支配されている、と言っても過言ではないのではないだろうか。


 必要性を感じるのは、サービス本体によるオススメ・キュレーション以外の第2・第3の選択肢だ。ツイッターに関しては、Togetterなるツイートをまとめるサービスがあって、それはサービス本体によらないオススメ・キュレーションサービスとも言えそうだ。

しかしYoutubeに関しては、そのようなサービスは見当たらない。自分は以前から、Youtubeの動画をオススメするサービスの必要性を感じていて、ある分野におけるそんなブログを以前にやっていたこともあるが、殆どビューを集めることができなかった。ネットでビューを集めるには、Google検索に引っかかる効率を考える必要があるのだが、YoutubeはGoogle傘下のサービスである為、Youtubeの動画をオススメするだけ、まとめただけのサイトは検索順位を上げにくいのかもしれない、なんて感じている。勿論単に自分のやり方が下手だっただけの恐れもある。


 ヨーロッパでは既にターゲット広告に対する規制が検討されていて、近い将来何らかの規制が成立しそうである。

これは決して大手サービスのアルゴリズムによるユーザー支配に対する動きではないものの、「ユーザーがトラッキングを簡単にオプトアウトできるようにするサービス追加」「ページのデザインや機能でユーザーが無意識に企業に有利な選択をするよう誘導することを禁じる」という条項も含まれているため、全く無関係とも言えないだろう。

 昨今は多様性の尊重が叫ばれている。既に情報コンテンツの多様さはかなりの広がりを見せていて、1人の人間が全てを見渡せない状況が明らかに眼前に広がっている。だから何らかのオススメ・キュレーション機能、サービスは確実に必要だ。だが、いくらコンテンツに多様さがあっても、オススメ・キュレーションが一元的に行われたら、そこに取り上げてもらえないコンテンツは、存在しないにも等しいものになってしまう
 これは検索サービスのGoogle一強状態にも同じことが言える。マイクロソフトのBingやYahoo!などもあるが、それらもGoogleの検索エンジンによって成り立っていて、ネット全体のオススメ・キュレーションが一元的に行わている、と言っても過言ではない。検索サービスには、たとえば検索結果のパーソナライズを行わないDuckDuckGoなどもあるから、他の選択肢がないわけではないが、やはりYoutubeの動画投稿サービス独占状態は、最低でもオススメ・キュレーションが一元的に行われている状況を改善する必要がある、と強く感じる。

このブログの人気の投稿

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

読書と朗読を聞くことの違い

 「 本の内容を音声で聞かせてくれる「オーディオブック」は読書の代わりになり得るのか? 」という記事をGigazineが掲載した。Time(アメリカ版)の記事を翻訳・要約した記事で、ペンシルベニア・ブルームスバーグ大学のベス ロゴウスキさんの研究と、バージニア大学のダニエル ウィリンガムさんの研究に関する話である。記事の冒頭でも説明されているようにアメリカでは車移動が多く、運転中に本を読むことは出来ないので、書籍を朗読した音声・オーディオブックを利用する人が多くいる。これがこの話の前提になっているようだ。  記事ではそれらの研究を前提に、いくつかの側面からオーディオブックと読書の違いについて検証しているが、「 仕事や勉強のためではなく「単なる娯楽」としてオーディオブックを利用するのであれば、単に物語を楽しむだけであれば、 」という条件付きながら、「 オーディオブックと読書の間にはわずかな違いしかない 」としている。

あんたは市長になるよ

 うんざりすることがあまりにも多い時、面白い映画は気分転換のよいきっかけになる。先週はあまりにもがっかりさせられることばかりだったので、昨日は事前に食料を買い込んで家に籠って映画に浸ることにした。マンガを全巻一気読みするように バックトゥザフューチャー3作を続けて鑑賞 した。

敵より怖いバカな大将多くして船山を上る

 1912年に氷山に衝突して沈没したタイタニックはとても有名だ。これに因んだ映画だけでもかなり多くの本数が製作されている。ドキュメンタリー番組でもしばしば取り上げられる。中でも有名なのは、やはり1997年に公開された、ジェームズ キャメロン監督・レオナルド ディカプリオ主演の映画だろう。