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異民族/異人種=野蛮 という感覚は今も残っている

 三国志には、孟獲という人物が登場する。三国志随一の知将として名高い諸葛孔明が、捕らえては逃がしてやることを7度繰り返した末に、遂には心から服従させたという、七縦七擒(しちしょうしちきん)の当事者だ。

 孟獲は、現在の雲南省にあった南中の王で、雲南省は現在は中国だが、元によって漢民族が征服される以前は、南の異民族、南蛮と認識されていた地域のようである。

この南蛮という表現は日本史にも登場する。室町時代末期から戦国時代にかけて、ポルトガルやスペインが、南アジア/東南アジアを経て日本にも到達し、南蛮の地から来た人たち、ということで南蛮人などと呼ばれたようだ。そして、日本史では彼らとの貿易を南蛮貿易と呼び、彼らが日本へ持込んだ文化を南蛮文化などと表現する。


 近代以前、いや近代以降も、今からほんの数十年前までは、異民族を野蛮とする感覚は世界中に存在し、当たり前のことだった。というか、日本のように外国人に対する偏見の激しい地域などでは、未だ民族性や人種が異なるというだけで野蛮と見なして見下し、非人道的な行為に及ぶ者が少なくないし、同じようなことは世界各国に根強く残る。
 現在において野蛮なのは、民族性や人種が異なるだけで野蛮と見なすような行為、ということは言うまでもない。しかし日本には未だに、かつて南蛮と呼んだ南アジアや東南アジアの国や人々、そして黒人などを、そのような未熟な感覚を引きずって、民族性や人種、国籍の違いだけで見下したり、暴力行為に及んだりする者が少なからずいる。技能実習生や留学生に対して酷い扱いをする雇い主や、その企業で働く日本人の一部、そしてあまりにも酷い暴力をふるう入管職員、外見が大和民族と異なるという理由だけで、主に白人以外の異民族/異人種に職質や持ち物検査を実質的に強要する警察官なんてのは、その典型的な例だ。

 しかし、だから南蛮なんて表現は一切許されない、というのもおかしい。勿論、現在の東南アジアの人たち黒人、そして当時南蛮人と呼ばれたポルトガル/スペイン人などを、今南蛮人なんて呼ぶことは許されることではないだろうが、過去にそのような感覚が存在していたことは間違いないし、その当時はそれが普通の感覚だった、ということも間違いない。過去の未熟な文化は、今更どうしようもなく、それを歪曲してなかったことにしてはいけない


 なぜ南蛮のことを取り上げたのかと言えば、ロシアのウクライナ侵攻に関連して、米国3大ネットワークの1つで、比較的リベラルなスタンスの放送局とされるCBSの番組の中で、ベテラン戦争特派員が、

ウクライナは、失礼ながら紛争が何十年も続くイラクやアフガニスタンとは違います。ここは比較的文明化した、比較的ヨーロッパ的な国なのです。慎重に言葉を選ぶ必要はありますが、ここはこんなことが起こるなんて想像できなかった場所なのです

と発言したことが話題になっているからだ。

「私たちみたいな青い瞳の金髪の人々が攻撃されるなんて」 ウクライナ報道に見える“人種差別” | イラクやシリアなら戦争が起きて当然なのか | クーリエ・ジャポン

 そして、このようなことはCBSに限らない。次の「The most racist Ukraine coverage on TV News./ TVニュースにおける酷く人種差別的なウクライナ報道」と題した一連のツイートでは、BBCやアルジャジーラ、フランスのBFMなどでも、同種の事案が起きていることを紹介している。


 ロシアのウクライナ侵攻が続く中、昨日、自分のタイムラインに駐日パレスチナ常駐総代表部によるこのツイートが流れてきた。

 このツイートを見て、白人の国で、しかも自分達の国のすぐ目と鼻の先にあるウクライナにおけるプーチンの蛮行は対岸の火事でなくても、イスラエルのパレスチナに対する蛮行は対岸の火事、それが西側諸国の感覚なのかも。どちらにも敏感でありたい、と強く感じた。

 ロシアのウクライナ侵攻には世界中の、というか多くの欧米人が、深刻なことという認識を強く示している。しかし、ロシアがシリアで反体制派勢力を空爆しても、明らかにウクライナ侵攻よりも反応は薄かった。

振り返ってみれば、シリアの内戦は2011年に始まった。日本で最も注目が高かったのはその頃と、IS・所謂イスラム国が猛威を振るっていた頃で、その後は殆どニュースになることもなくなってしまっている。自戒を込めて言えば、自分も慣れてしまっていて注目は薄れていた。
 勿論、一人の人間が世界中の出来事全てに注目することなどは無理で、新たな事象が発生することによって注目が移り、それ以前のことからある程度注目が薄れるのは仕方ないことでもあるが、今回のロシアによるウクライナ侵攻を機会として、それだけを考えるのでなく、まだまだ深刻な状況が続いているのに注目が薄れていることにも再び目を向けるようにすべきだろう。


 最後に、話題になっているウクライナの大統領 ゼレンスキーに関するこの記事付いても言及しておきたい。

ロシア「ウクライナの非ナチ化を」ホロコースト生存者の孫のゼレンスキー大統領「私がどうしてナチスに?」(佐藤仁) - 個人 - Yahoo!ニュース

 この記事では、プーチンにナチ化していると言われたゼレンスキーの発言とされる、

ロシアはウクライナをナチスと言いますが、私たちはナチスとの戦いで多くの命が失われました。そのような私たちがナチスでしょうか?そして(ユダヤ人である)私がナチスになれますか?私たちがナチスだと、赤軍でナチスと戦ってきた私の祖父の前でも言えますか?

を紹介している。この「(ユダヤ人である)私がナチスになれますか?」について言いたい。ウクライナがナチ化しているとは思わないが、イスラエルによるパレスチナへの蛮行を見れば、ユダヤ人だってナチ化することはありえる。というか、現に一部のユダヤ人はナチ化している、と言っても過言ではないだろう。「私たちがナチスだと、赤軍でナチスと戦ってきた私の祖父の前でも言えますか?」についても、ゼレンスキーや現在のウクライナ政府がナチ化しているとは思わないが、第二次世界大戦後、ヨーロッパで迫害を受けたユダヤ人が多くイスラエルに新天地を求めたことに鑑みれば、ナチスと戦ったユダヤ人の子孫は絶対にナチ化しない、とは間違っても言えない、と言える。
 転じて、それは日本についても同じ事が言える。蛙の子は蛙とは限らない。戦争で特攻に行かされた人たちが親戚にいた人でも、それを美化して歪曲し、再び戦前のような軍国化を望んでいる人が少なからずいる。そして、日本は核兵器を投下された世界唯一の国なのに、ロシアのウクライナ侵攻に乗じて核保有を検討しろと言っている人がいて、そのような人たちの筆頭は日本の元首相や西日本最大都市の首長らなのだ。つまり、そんなのを支持している者が決して少なくない、ということだ。


 1つのことからそのことだけを考えるのはあまりにも効率が悪い。つまり、ロシアのウクライナ侵攻に抗議することが重要なのは当然のことだが、ロシアのウクライナ侵攻を反面教師として、それを他の地域のこと、自国のこと、を再びよく考える材料にすることもとても重要なことだ。


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