街道レーサーと呼ばれる、所謂1980年代の暴走族スタイルの車を紹介するYoutube動画で、紹介していた車両の中にミッキーマウスグッズがあり、違和感を隠せない若手出演者に対して、当時を知る世代のオーナーらが「昔のヤンキーは mikiouse を好んだみたいに可愛い系も結構好きで、ディズニーグッズを好む者も多かった」と話していた。
アメリカ国外初のディズニーランドとして、東京ディズニーランドは1983年に開業したので、1980年代にはヤンキーだってディズニーランドフィーバーの影響は受けただろうから、多分実際にそうだったんだろう。
1983年か84年かは定かでないが、九州に住んでいた従妹の親子が、ディズニーランドに行くために上京してきて家に泊っていったことを、幼少の記憶として覚えている。自分はなぜかその時に一緒にディズニーランドに連れて行ってもらえなかった。理由はよく覚えていない。
自分が初めてディズニーランドに連れて行ってもらえることになったのは、それから数年後、1986年の夏休みのことだ。なぜハッキリと1986年と分かるのかと言えば、その時はディズニーランドにまでは行ったものの、駐車場が満車で入園は断念せざるをえず、そのかわりに天空の城ラピュタ(と同時上映の名探偵ホームズ)を映画館で見て帰ったからだ。
後に、ディズニーランドに入れずにふてくされていたが、ラピュタを見られると言ったらすぐに機嫌が直った、と親によく言われた。なぜ幼い自分がラピュタが見られることで機嫌が直ったのか。それは多分、風の谷のナウシカの面白さを知っていたからだ。でも、ナウシカを劇場で見た記憶はないし、VHSビデオデッキがうちに来たのは1980年代後半のことで、ビデオで見たわけでもない。調べてみたら、ナウシカの公開は1983年だったが、1985年に最初のテレビ放送があったようで、多分それで見たんだろう。
このような流れで、宮崎 駿作品の面白さを幼い頃に知った。なので、その次の宮崎作品である、となりのトトロにも興味を持つのは当然の流れだった。
トップ画像からも分かるように、この投稿で特に触れたいのはとなりのトトロではなく、その同時上映作品だった火垂るの墓だ。火垂るの墓は、自分が映画館で初めて涙を流した映画だ。初めて泣いた映画ということなら、多分ほぼ同じ時期に見ているはだしのゲンだが、はだしのゲンは小学校体育館での上映会で見た。
映画を見て泣いた、というのは、言い換えれば、映画に感動した、とも言えるだろう。感動した、は、深い感銘を受けたとか、胸が熱くなった、目頭が熱くなった、心を強く揺さぶられた、とも言い換えられる。つまり、感動とは喜・楽などポジティブな心の動きに限らず、怒・哀などネガティブな心の動きを表すことにも用いられる表現だ。素晴らしいと称賛する場合に使われることが多いが、嘆きや悲しみを示すこと使っても決しておかしくはない。
ロシアの侵攻を受けているウクライナの大統領
ゼレンスキーは、各国の議会でオンラインでの演説を行っていて、3/23に日本の国会でも演説を行った。
ゼレンスキー大統領の国会演説全文。「侵略の津波を止めて」日本に訴える | ハフポスト 政治
このゼレンスキーの演説を受けて、日本の国会の代表として参議院議長の山東 昭子(自民党)がコメントをしたのだが、そのコメントが波紋を読んでいる。山東は次のように発言した。
参議院議長の山東昭子です。わが国へ来訪された閣下とお会いし、2人で両国の友好と、世界の平和を語り合ったのは、もう2年ほど前でございましょうか。今は状況が一変して、胸の痛む思いでいっぱいです。ウクライナでは罪のない人々が苦しみ、子どもたちをさえ、標的にする。蛮行を目にし、激しい憤りを感じてやみません
そうした中、閣下が先頭に立ち、また、貴国の人々が命をも顧みず、祖国のために戦っている姿を拝見して、その勇気に感動しております。日本国民もこのようなロシアの暴挙は絶対に許せないと。ウクライナへのサポート、そして支援の輪が着実に広がっております
わが国とウクライナは、常に心は一つにあります。一日も早く、貴国の平和と安定を取り戻すため、私たち国会議員も全力を尽くしてまいります。ゼレンスキー閣下、そして親愛なる日本の国会議員の皆さま、共に頑張ってまいりましょう
波紋を読んでいるのは「人々が命をも顧みず、祖国のために戦っている姿を拝見して、その勇気に感動しております」という部分である。
これについて、多くの人が「命を落とすこともかえりみずに祖国のために戦うことに感動、とは何事だ!」と言っている。
前述したように、感動には称賛のような肯定的な心の動きだけでなく、嘆きや悲しみなどのマイナス方向への心の動きを示す用法もある。もし山東が、人々が命を賭して戦わないといけない状況を嘆いている、そのような状況は悲しい、のようなニュアンスで感動という表現を用いているなら、そこには特に問題はない。
しかし、決してそのような解釈はできない。何故なら山東は「人々が命をも顧みず、祖国のために戦っている姿を拝見して、その勇気に感動した」と言っているので、勇気に感動ということは、つまり命をかえりみずに戦うことを称賛している、と言える。命をかえりみずに戦うことを素晴らしく思う、のような意味で感動という表現を使っている。それは、山東が実際にコメントする映像からもよく分かる。
余談ではあるが、山東は元俳優だそうで、その演説は非常に芝居がかっている。「そうした中、閣下が先頭に立ち、また、貴国の人々が命をも顧みず、祖国のために戦っている姿を拝見して、その勇気に感動しております」などと言っている姿は、まるで北朝鮮のテレビアナウンサーのようにしか見えなかった。
今日本では、軽々しく「命をかえりみずに戦うことを素晴らしく思う」なんて言ってしまう者が議会の長になっている。多くの若者を無駄死させ、最終的には自爆攻撃までさせた旧日本軍や政府と何が違うのか。そんなのはまさに戦前の価値観だ。
そして山東のコメントは、ほとんどゼレンスキーの演説内容を加味していない。つまりゼレンスキーの演説内容にかかわらず、ただただ事前に用意したものを読み上げたとしか思えない。暗唱しているようにも見えるが、チラチラと手元のモニターに目を落とす様子は、動画でみればよく分かる。
そのようなことから考えれば、ゼレンスキーがなんと演説しようと、山東昭子は「命を顧みず祖国の為に戦う姿に感動」と言っただろう。 ウクライナのことなんてほとんどどうでもよくて、戦前の価値観を美化/正当化することしか頭になかったんだろうから。
日本の有権者は、いつまでこんな異様な状況を許すのか。80年前の過ちを反省してこんな状況は早急に改善すべきで、いつまでもこのような政治家に国をまかせていたら、再び80年前と同じ間違いを繰り返すことになる。