バイクいじりやクルマいじりをすれば手は真っ黒になる。その後にデートでもあれば全ての汚れを入念に洗い落とすが、次の日も作業の続きをするような場合は、どうせ次の日もまた同じ様に汚れるからと、あらかた洗うだけで、細かいシワに入り込んだ汚れはそのままにしてしまうこともある。
英語では、朱に交われば赤くなる のことを He who touches pitch shall be defiled. と言うそうだ。直訳すると、ピッチに触れる者は汚れる である。ピッチとはタールよりも弾性が強く樹脂状のものを指す。この場合は油汚れのようなものと解釈してもいいかもしれない。この表現は石炭や木炭をいじれば手が真っ黒になるのを意味している、と解釈してもいいかもしれない。
つまり、He who touches pitch shall be defiled. は、朱に交われば赤くなる ならぬ、炭を触れば黒くなる のような表現であり、転じて、悪人とつるんだり違法行為に手を染めれたりすれば、自分も堕落してしまう、のような意味である。日本語の 朱に交われば赤くなる は、人は周囲に影響されやすく、交際する相手によって善にもなれば悪にもなる、という意味だと解説されている。つまり、人は周囲に影響され良くも悪くも染まるのような、悪に染まることに限らずポジティブな場合にも使える表現だ。だが、He who touches pitch shall be defiled. にはネガティブなニュアンスしかない。と言っても、朱に交われば赤くなる も概ね悪に染まるの意で用いられるので、その英語版は He who touches pitch shall be defiled. だとされているのだろう。
政治家の、主に自民党関係者らの選挙に絡んだ買収案件が報道されても、最早驚きもない程になってしまった。そのような報道では、みんなやってる、誰でもやってる、だから大したことない、というような話もしばしば聞こえてくる。それで不起訴なんてこともしばしばだ。当事者の政治家ら、買収に応じた有権者、買収を知って尚支持する有権者、そして罪を問わない捜査機関などは、まさに朱に交われば赤くなるだ。
朱に交われば赤くなる というのは、慣れて感覚が麻痺してしまう、ということだろう。人間は大抵のことに慣れてしまうが、絶対に慣れたらいけないこともある。例えば、人の命に係わる仕事の安全確認などがそれだ。慣れて麻痺してなあなあになることは絶対いけない。 作業効率などを考えると慣れることは必ずしも悪ではないが、感覚が麻痺して漫然とするのは、何事においてもダメだ。
みんなやってるからOK? だとしたら治安の悪い地域では、万引きし放題、暴力し放題、やったもん勝ちになってしまう。それではそこからの改善は望めない。赤信号、みんなで渡れば怖くない を許したらいけない。
大学生の時にやっていた運送会社のバイトは、土日休日、夜勤も関係なく、時給は一律800円だった。10年ぐらい前に働いていた会社はもっと酷く、夜勤には800円の夜食代が加算されるだけ、土日休日の手当は一切なし、そして休みの日に出勤した分の代休もなしという状況だった。これらは、労基法で決められた休日出勤や夜勤、時間外の割増賃金を無視したもので、違法な労働環境だが、少なくとも自分が働くようになった1990年代以降は、そんなのが普通にまかり通ってしまっている。
このようなことに不満を感じて誰かに相談した際に、
- みんな我慢している
- そんなの普通だ
- 俺なんてもっと悪い
- 昔に比べたら今は全然マシ
- そんなことを言ったら社会が回らない
みたいなことを言われた際の絶望感はかなりのものだ。関係性の近い信頼していた人に言われる程ダメージは大きい。更には、自分が楽したいだけなのに社会の所為にするな! みたいなことまで言う人もいて、その度に「ああ、この国は終わってるな」と思えてくる。
被雇用者なのに、なぜか経営者目線で「自分勝手なことを言うな」みたいなことを言うバカがあまりにも多すぎる。バカと言うより奴隷志願者と言った方が適切かもしれない。だってそうだろう、当然のはずの権利を行使せず、しかも「権利を行使できないのはおかしい」と言う人を非難するんだから。おかしいのは権利を行使させない環境なのに。
赤信号、みんなで渡れば怖くない、はビート たけしがツービート時代に流行せたギャグだ。悪いこともみんなでやれば罪悪感なく出来てしまう、のようなニュアンスとしてだけでなく、多数派に同調し合理的な思考や判断力が鈍りがちな、日本人の集団心理を示すことにも用いられている。
「俺たちが我慢しているのに、なんでお前は一人だけ我儘なことを言うのか!」みたいなおかしな集団心理が、違法な労働環境について「みんな我慢している」とか言ってしまう人たちを歪めているんだろう。
そんなことを考えると、やはり、朱に交われば赤くなる というのは、慣れて感覚が麻痺してしまう、ということで、感覚が麻痺して漫然としてはダメだと、合理的な思考や判断を疎かにするのはダメだと強く感じる。ここで紹介したようなケースでは、自分の首も絞めることになる。
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