日本を含むG7は3/4に会合を行い、ロシアによるウクライナのザポロジエ原発への攻撃を非難する共同声明を表明した。共同声明では、戦争犯罪を批判した上で「特に原発周辺での攻撃停止を求める」と要請し、「平和目的の原子力施設に対する武力攻撃および威嚇は、国際法に反する」と批判したそうだ。
「原発攻撃は国際法違反」ロシアを非難 G7外相が共同声明 戦争犯罪の責任追及で一致:東京新聞 TOKYO Web
原発への攻撃は、ジュネーブ条約でも禁じられている国際法違反であり、非難されて当然だ。だから勿論この共同声明には相応の合理性がある。しかし、何とも釈然としない部分もある。
G7の会合に参加した日本の外務大臣・林 芳正は、「福島第一原発の事故を経験した日本として、このような攻撃は断じて受け入れられず、最も強い言葉で非難する」と、外務省での会見で付け加えたそうである。福島原発事故を経験し、原発が危険なものであるということを当事者として体験した国が、いや、その国の現政権である自民政府が、なぜ再稼働に積極的なのか。林が、そして自民政府が、原発事故を理由に原発攻撃は断じて受け入れられないと言うのなら、自分は日本に住む者として、原発事故を理由に原発再稼働は断じて受け入れられないと言いたい。
また、G7諸国が、原発攻撃は国際法違反で許し難いという感覚を持ち合わせているなら、核攻撃だって同様だろう。核攻撃が許し難い行為なのに、核保有国は核廃絶に消極的だ。G7は核保有国である米英仏と、その核の傘の下にあり核廃絶に消極的な日加独伊で構成されている。G7諸国はいずれも核禁止条約には不参加だ。これが、今日のトップ画像で風刺していることだ。
元首相の安倍や、橋下や松井などを始めとした維新の政治家などが、ロシアのウクライナ侵攻に乗じて、日本も核保有(現保有国、つまりアメリカとの核共有)を検討すべきだ、ウクライナが核兵器を保有していればロシアに侵攻されなかったのではないか、などと言っているが、そんなバカな政治家が現れた時の為に、日本は非核三原則を定めている。
日本は80年前の戦争で原子爆弾を投下された世界で唯一の被爆国で、更には第五福竜丸事件という水爆実験による被爆、そしておよそ10年前の福島原発事故も経験していて、世界で最も放射能の影響や恐ろしさ、核兵器の恐ろしさを知っている国である。はだしのゲンなど、原爆被害をテーマにした核兵器がどんなに非人道的な兵器かを伝える作品が複数存在し、他国とは比較にならないほど、国民に核兵器や放射能の恐ろしさが浸透しているとも言えるだろう。
広島や長崎へ原爆を投下された経験から、戦後日本でも当然核兵器の是非について議論がなされた。つまり核保有の議論とは、既に過去の議論ということだ。
言い換えれば、過去の核に関する議論の末に出た結論が「日本は核を持たない、作らない、持ち込ませない」である。つまり非核三原則だ。その過去の議論を見直すというのなら、それが覆る可能性のある何かしらの根拠が必要なはずだが、愚かな人たちは既に議論が終わったことについて、短絡的に「議論もしないというのは思考停止だ」などという詭弁を弄する。
「議論もしないというのは思考停止だ」というのは、それもそうだ、と思ってしまう人もいるかもしれないが、たとえば暴力団などが、暴力や脅迫の合法化を検討すべきだ、議論もしないというのは思考停止だ、と言い出したとして、一体どれだけの人がそれに合理性を認めるだろうか。暴力や脅迫は非合法ということの合理性に関する議論は既に過去のものであり、有限な議論のコスト/時間を、既に合理的な結論が出ていることに割くのは無駄遣いとしか言えない。議論するに値する何かしらの根拠があるなら別だろうが。日本の裁判では三審制で行い、更なる再審請求を通す為には、相応の根拠が必要になるのと同じことである。
使用は断じて許されない兵器の保有を検討する? そもそも日本は憲法9条で武力による紛争解決を明確に放棄している。敵対国とは言え相手国を核攻撃することは果たして自衛か? そんなのは、自衛/平和維持の為と称してウクライナに侵攻したプーチンと同じで、全くの詭弁・歪曲・詐術でしかない。つまり、ロシアのウクライナ侵攻は、核保有の議論を再び行うことの根拠には全くならない。再び議論をと言っていてる人たちが、如何に考え足らずかよく分かる。
安倍は憲法改定についても「議論しないのは思考停止」とさんざん言い続けてきたが、議論を!議論を!と言うばかりで、では一体どこをどう変えたいのか、は安倍が首相だった当時も、そして今も全く見えてこない。度々「自衛隊違憲論に終止符を」とか、「自衛隊を国防軍に」なんて話も出てきてはいたが、そもそも現在自衛隊違憲論なんての全く下火で取るに足らないし、自衛隊を国防軍にする意義もほとんどない。先制攻撃や他国への武力行使を欲する人たち以外には。
それ以外にも、何かにつけて緊急事態条項だの、教育無償化の為だのと、改憲推進派は後付けのように改憲が必要な理由をこじつけるが、どれも結局法改正で事足りることばかりだ。改憲議論をすべき、有限な議論のコストや時間を割くのに充分な根拠が全く見当たらないのに、議論しないのは思考停止だ! と言い張っているだけでしかない。
つまり議論をしないのは思考停止なんてのは、全くの詭弁だ。改憲せずとも実現可能なことの為の改憲議論、改憲の為の改憲議論なんてのは、議論にかかるコストや時間の無駄遣いでしかないからだ。