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Japan is a land of vanity / 虚栄の国、日本

 新型コロナウイルスの感染拡大によってガソリン価格が値上がりしていたが、それに加えてウクライナ危機も起きたことで、更なる高騰が起きている。ハイオクで180円台はザラで、地域や店によっては200円を超えていることもあるようだ。

 昨日の夜、ニュージーランド在住の日本人がやっているクルマ系Youtubeチャンネルの雑談ライブ配信を見ていたら、そこでもガソリン価格が話題にのぼった。日本でハイオクが180円/1Lもするという話に対して、ニュージーランドにおけるガソリン価格は、日本のハイオクに相当するオクタン価98で大体3-3.5ニュージーランドドル/1L、とのことだった。現在のニュージーランドドルは約80円で、つまり290円/1Lくらいになる。
 ニュージーランドの近年の物価は大体日本の1.5倍くらいの感じだったし、新型コロナウイルスの感染拡大以降、ニュージーランドでは急速にインフレが進んでいることもあって、円換算で単純に日本のガソリン価格と比較するのは正確な比較と言えないんだろうが、それでも「かなり高いな」という印象は否めない。

 3/11は、東日本大震災と福島原発事故の発生から11年目の節目だったので、ガソリン価格が高くなっても買えるだけマシだ、という思いが、配信でのやりとりを見ていて頭をよぎった。東日本大震災によって東京湾岸の石油コンビナートでも被害が発生したことなどの影響で、翌日の3/12からやく1週間程度、首都圏ではガソリンが売り切れるという状況に陥った。ガソリンが売り切れるなんて生まれて初めて見る光景だった。
 必要な時に買えない、という不安感が、余計に品薄に拍車をかけたのだろう。タンクローリーがガソリンスタンドに到着すると、そのスタンドには長蛇の列が出来て、数時間後にはガソリンが再び売り切れる、という状況が大体1週間程度続いた記憶がある。自分が住んでいた地域は都心寄りで、郊外のようにマイカーがないと生活が成り立たないという状況ではないのだが、当時は発電所も被災して電力供給が安定せず計画停電がなされていたし、また、地震発生直後から約2日間程度電車はほぼ全て運休、3日後の週明け以降も計画停電の影響で、突然運休が発生するという公共交通機関も不安定な状況だったので、クルマやバイクがないと移動がままならない、という不安もあった。
 更に付け加えると、福島原発事故も発生していて、更に状況が悪化する恐れもあったため、移動手段が確保できないというのはかなりの不安だった。

 自分はもともとガソリンを入れる時は満タンにするタイプだったが、知り合いの中には、貧乏だった大学生当時からの習慣で、いつも2000-3000円しか入れず、タンクは常に半分程度という奴がいた。しかし彼も、震災によってガソリンが買えないという状況を体験した後は、給油の際は満タンにするようになったと言っていた。
 そんな経験から、ガソリン価格が高くても買えるだけまだマシ、という思いが湧き上がってきたんだろう。

 フリーライターの武田 砂鉄が、今朝こんなツイートをしていた。

 東京オリンピック公式アカウントの2012年8月のツイートを引用し、被災地から離れたところで言い訳のように乱発されただけだった、と "復興五輪" というスローガンの欺瞞を批判している。
 この東京オリンピック公式アカウントのツイートは今見ると強烈な気持ち悪さがある。何と言うか、宗教的? いやカルト宗教とか宗教染みた自己啓発セミナー的な気持ち悪さだ。このツイートへの反応からも、同じようなことを感じている人が複数いることが分かる。

 しかし、当時の自分はこれを見ても、今感じる程の違和感を感じなかったんだろうし、多分違和感を覚える人もそれ程多くはなかったんだろう。それは、2012年は震災・原発事故発生の翌年で、当時はまだ震災や原発事故の影響が色濃く残っていて、社会全体に暗い空気が蔓延していたからだろう。そんな暗い空気を一時でも忘れてくれるような、過剰なポジティブさも必要だったんだろう。今は大変な時期だが必ず明るい未来がやってくる、のような希望が必要だったんだろう。
 でも、言葉だけで中身を伴わないポジティブは何の足しにもならない欺瞞だ。10年もの時間と膨大なお金をかけて、それを証明したのが東京オリンピックだった。というか、そんな当時の閉塞感に乗じて自民党が民主党から政権を奪還し、アベノミクスとやらで一瞬は良くなるかのように見えた時期もあったが、当初掲げた2年で物価上昇率2%という目標はいつまでも達成されず、株価と物価が上がっただけで庶民の賃金も増えず、女性活躍というスローガンを掲げつつも、2020年までに指導的地位における女性が占める割合を少なくとも30%程度とする目標、所謂202030も達成されず、それどころかGDP算出に関わるデータの改ざんなど、経済政策だけでなく様々な粉飾・虚飾も発覚し、この10年日本の社会は、実際は何も全く良くなっていない、ということが証明されている。

 これを虚飾・虚栄と言わずしてなにを虚飾・虚栄と言おうか。


 パチンコやパチスロにハマる人は、1つの台に固執しがちだ。自分が台を離れた後、次の客が座ってすぐに大当たりするのを想像して、それでは自分が他人の為に資金をつぎ込んで大当たりを献上することなる、のような思考を背景にして、「後5000円あれば出る」みたいな感覚でどんどんお金をつぎ込んでいく。で、結果として大損する。
 日本人は、リーマンショックの後始末中に大震災と原発事故が発生するという二重苦を負った民主党政権を3年で見限った。確かに民主党は内輪揉めが絶えず頼りなさが目に付いたが、いくつかの数字を見れば、明らかにその後の自民政権よりもはるかにましだった。民主党から政権を奪取した安倍は、首相がコロコロと変わるのはおかしい!と言い、また粉飾を重ねることで長期政権を確立したが、少なくとも2017年以降はその欺瞞が次々と発覚している。でも日本人は自民政権を選ぶことを止めない。

 これでは、日本人の大半は、パチンコやパチスロに大金をつぎ込んで大損するタイプの人と言っても過言ではない。いつまで虚飾や虚栄を信じ続けるつもりなのか。10年前は、閉塞感が漂う中で新政権に夢を見たのだろうが、その夢は夢でしかなかったことは、もう既に明らかだ。いつまでも夢を見ていないで現実にも目を向けなければいけない



 トップ画像には、You searched for Vanity Fair James Tissot - Artvee を使用した。

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