手塚 治虫が描いたアドルフに告ぐというマンガがある。第二次世界大戦前後の、ナチス支配下のドイツと同時期の日本・主に神戸を舞台にした作品で、作品自体はフィクションなのだが、あちらこちらに歴史的事実が織り交ぜられている。手塚は戦前兵庫県で暮らしていたので、当時の日本の描写にはその実体験や実感も反映されているんだろう。
トップ画像は、主人公の1人が、白人であることを理由にアメリカやイギリスのスパイではないかと言いがかりをつけられ、路上で暴力を振るわれるという、アドルフに告ぐの一場面だ。彼は戦時中日本の同盟国だったドイツ人であるにも関わらず。また、アドルフに告ぐ には、ドイツ人の夫を亡くした未亡人の日本人女性がドイツ料理店を始めると、欧米の料理はけしからん、そばやうどんを出せ、と嫌がらせを受ける、という描写もある。
日本には今でも外国人差別が残っているし、日本社会における白人/黒人が明らかに今よりも少なかった2000年以前は、確実に今よりも外国人に対する偏見は強かった。その傾向は時代を遡れば遡るほど強かったというのが、1980年代に幼少期を過ごした自分の実感でもあるし、つまり戦前は更にひどかったんだろう、と容易に推測することができる。それに加えて人権意識も低かった戦前や、欧米の国と敵対していた戦中は特に、戦後の比ではなかったんだろう。
JR恵比寿駅、「不快だ」の声受け、ロシア語案内表示を覆う 「過剰反応」批判受け、15日に撤回:東京新聞 TOKYO Web
これは、JR恵比寿駅が、利用者から「不快だ」などの声が寄せられたことなどから、西口改札内のロシア語の乗り換え案内表示を「調整中」と書いた紙などで覆って見えなくしていたが、今度は「過剰反応だ」と多くの批判が寄せられた為に紙を外し元に戻すことを決めた、という内容の記事である。
記事には「不快だ、などの声が寄せられたことなどから」としかないので、実際に他にどんな声があったのかは分からない。しかし記事が実態に即しているなら、不快だという趣旨の一部の客の声に迎合して、恵比寿駅・JR東日本がロシア語の案内を隠した、撤去しようとした、ということだろう。
不快だ、という声があったから案内を撤去する?
記事には、「ロシア大使館に向かう乗り換えの問い合わせが減り、「外国語の案内表示の整理を検討していた最中で、複合的に判断した」と説明した」という、JR側の言い分も書かれているが、「その後、一転して「ニーズがあるため」紙を外すことにしたという」ともあり、後付感は拭えないというか、なんとかして「私たちは間違いは犯していない」ということにする為に、後付の理屈をひねり出した、としか思えない。
JR東日本 駅のロシア語案内板 覆い隠すも批判受けて元の状態に | NHK | ロシア
この記事には、「JR東日本によりますと、理由について、ロシアがウクライナに軍事侵攻して以降、利用客から「案内板を見ると不快だ」という声が複数寄せられたためとしています」とある。これは、前述の言い分は後付けでしかない、という推測を強く補強する。
更に、元に戻したことについて、JR東日本の
批判を受けて元の状態に戻すことが適切だと判断した。差別にあたるという誤解を与えたことをおわび申し上げたい
というコメントも紹介していて、責任逃れの為に後付の理由をひねり出したことはほぼ間違いない。しかし、このコメントでもまだ「差別にあたるという誤解を与えた」という、意味の分からないことを言っている。誤解なんてどこにもない。JRは実際に差別的対応をしたのだから。
この、差別的対応をしたのに、差別的なことをやったと誤解された、ということにする責任逃れの手法は、80年前の戦争について、侵略戦争と誤解されているがアジア解放の為の戦争だった! 侵略と誤解されるような戦争になってしまったことが間違いだった、みたいな論法でしかない。実際に侵略戦争をやった責任、差別をやった責任から逃れたいだけだ。国の主要な交通機関が平気で差別的な声に迎合し、差別的な対応を実際にやり、しかも指摘を受けてもその責任に向き合わない。これが日本の現実だ。
日本には、戦時中に白人というだけで石を投げた人の同種が今も少なくないし、公共交通機関の中にも同類がいる。だからアドルフに告ぐを思い出したのだ。厳しく言えば、関東大震災で朝鮮人を殺した人たちまであと一歩、という状況とも言えるだろう。
なぜ、関東大震災で朝鮮人を殺した人たちまであと一歩、という状況とも言えるか?それは、この件に乗じて「国防からロシア語のみならず、中国語、ハングルも道路標識、駅の案内から消さなくてはならない」のようなことを言っているのが複数いるからだ。
Game Changer ”习近平是小熊维尼” @GameChangefreak
この2件だけを根拠に、その種の主張が複数ある、と言っているわけではなく、他にも似たようなのが多数ある。
JRが「不快だ」という声を受けてロシア語案内を撤去した、というのは、このような声が複数あれば、中国語やハングルの案内も撤去する、ということでもある。そんな馬鹿げた話があるだろうか。
しかもそんなことをやっておいて、差別的対応をやったことの責任に向き合わずに、理屈をこねて誤解を招いただけと言っているのだから。あやまちに真摯に向き合わないなら、同じあやまちを再び繰り返すことになりかねない。
ちなみに、このように「中国語やハングルの交通標識・案内は不快だから撤去しろ」などと言ってしまう種類の人たちの大半は、同時に「ここは日本だからそれが嫌なら出ていけ!」のようなことも平気で言う。ならば彼らに提案したい。外国人観光客などに配慮した外国語の標識や案内があることが気に食わないなら、自分たちこそが日本から退場したらどうか。「嫌なら出ていけ」とはそういうことである。