バイクレースが好きなので、F1のバイク版と言われるMotoGPや、市販車による世界選手権のWorldSBKなどは、毎戦欠かさずに見ている。これらのシリーズでは、昨年から開催国の状況によって有観客でレースが行われ始めた。今年はMotoGPはこれまでに5戦、WorldSBKは2戦開催されたが、ここまでは全てのレースで観客を動員している。
新型ウイルスの感染拡大が始まって以来、基本的にチーム関係者にはマスク着用が義務付けられているようで、それは今も変わらず、当初よりは多少ルーズというかフランクにはなってきているが、それでも殆どのチーム関係者は今もマスクを着用している。しかし、観客の殆どはマスクを着用していない。ただそれは決して今に始まったことではなく、観客を動員しての開催が始まった昨年の夏頃も同じような状況だった。
MotoGPもWorldSBKも、新型ウイルスの感染拡大が始まった2020年以降、基本的にヨーロッパだけでレースを行ってきた(2020(感染拡大以降)と2021の2シーズンで、ヨーロッパ以外で開催されたのは、2020/2021年のMotoGP開幕戦カタールと11月に開催されたMotoGPアメリカ戦だけ)。だからそれらの中継映像から分かるのは、ヨーロッパの人たちのマスク着用状況というか、マスク着用に関する感覚のようなものだ。ただし、今年・2022年は既に、約2年ぶりのアジア開催・インドネシアGPが3/20に開催された。インドネシアの観客はヨーロッパと違って皆マスクをしていたかと言えば、決してそうとは言えないが、マスクをしている観客の率は間違いなくヨーロッパよりも多かった。
一応付け加えておくと、ヨーロッパの観客にはマスクの着用者が皆無かと言えばそんなこともなく、中にはマスクをつけている者もいる。特に子供、ワクチン接種条件に満たないような年齢の子供は、マスクをしている率が大人よりも高い。しかし、ヨーロッパの観客については、マスク着用者は確実に少数派であり、珍しい存在と言っても過言ではない。但し、サーキットでのレース観戦は基本的には屋外でするものなので、マスクを必ず着用すべき状況とも言い難い。しかしメインスタンドなどは他の観客との距離も近く、そのような場合は、自分だったら屋外でもマスクを着用するだろう。
マスク着用に関する意識については、欧米とアジア、アジアでも日本や韓国と東南アジアでも感覚は異なりそうだ。欧米では、マスク=病人がするものというイメージがあるようで、マスク着用に抵抗が強いという話をしばしば耳にする。また顔を隠すことにも悪いイメージがあるように思う。一方で日本や韓国では、新型ウイルス感染拡大以前から、風邪予防の為にマスクをする文化があったし、特に日本では治安の良さからかマスクで顔を隠している人を怪しいと思う人も少なく、以前からマスク着用への抵抗感が薄かった。
東南アジア、というかイスラム教徒が珍しい存在ではない国では、顔を隠す女性も少なくないので、マスク着用で顔が見えなくても不審感が芽生えず、だから欧米よりはマスク着用に抵抗がないのではないか?と推測している。
4月も下旬となり、ここのところ夏のような陽気の日も珍しくなくなった。しかしそうなると、感染予防効果があるとは言えど、マスク着用は暑苦しいと感じるものだ。今年の夏は新型ウイルス感染拡大が始まってから3回目の夏で、もう少ししたら、またマスク着用が不快に感じられる季節がやってくる。
そんなこともあって、ここのところ日本でも、マスク着用はいつまで必要なのか? という話をよく見かける。
マスクいつ外せる?緩和の基準は? 専門家「感染予防効果あるが、人がいない屋外では不要」:東京新聞 TOKYO Web
日本政府などのアピールの所為で、一部にワクチン接種すれば新型ウイルスに感染しなくなる、と思っている人もいるようだが、実際は重症化する確率を下げられるだけで、感染自体は防げない。ワクチン接種が始まる以前から無症状の感染が確認されていて、ワクチン接種しても無症状の感染者になる恐れはある。つまり、家族にワクチン接種できない幼い者や高齢者、持病を持つ者などがいる場合、感染を家庭に持ち込まないようにする為には、マスク着用は必要と言えるだろう。それは家庭に限った話ではなく、例えば職場でも同じだ。つまりマスク着用には集団的な感染拡大防止の効果があると考えられる。
ただ、そのようなことが言えたとしても、個人的には、公の場でのマスク着用については、最終的には個人の自由で、マスクを着けるも着けないも個人に委ねるしかないんだろう、とも思っている。マスクは基本的には自分自身の感染を防ぐ為のものであり、感染してもいい、と思っている人にマスク着用を強制することはできないと思っている。例えば毎日PCR検査ができる環境であれば、自分が感染した際に素早くそれを察知し、感染後に自分を隔離することで周りに広げないように対処することはできる。テレビタレントらがマスク着用せずに出演し、また彼らの感染がしばしば発覚するのは、彼らが頻繁にPCR検査をやっているからだろう。
勿論、頻繁に検査もしてマスクもする、のが最も効果的な対策なんだろうが、いつどの場面でマスクを着用するか、の判断は個人に委ねるしかない。だから、感染してもいい、と思っている人にマスク着用を強制することはできないと考える。
しかし、マスク着用したくない人が、それを過剰に正当化しようとして、マスク着用には何の意味もない、みたいなことを言うのは明らかに間違っている。マスクを着用しない自由はあっても、マスク着用には何の意味もない、というデマを広める自由はない。それは自由の意味を勘違いしている。嘘を真実のように話して人を騙そうとすることを容認するのは、自由を認めることではなく無秩序の容認だ。
昨今何かにつけて表現の自由を大義名分にして主張を通そうとする人たちがいる。確かに表現の自由は重要だが、表現の自由は何を言っても咎められないという概念ではない。他者の権利を侵害するような表現は抑制される場合もある。もしそうでないなら、誹謗中傷やりたい放題、詐欺したい放題になってしまう。
トップ画像には、フェイスマスク マスク Coronavirus - Pixabayの無料ベクター素材 を使用した。