木綿のハンカチーフは太田 裕美が歌った1975年の大ヒット曲だ。これまでに多数のアーティストがカバーしていることからも分かるように、世代を超えて共感を呼ぶ歌詞がとても印象深い。男が女を故郷に残して都会に出る遠距離恋愛を歌っていて、次第に変わっていく男と変わらない(変われない?)女の間に溝が生まれ、遂には別れを迎える内容だ。
太田裕美 木綿のハンカチーフ - YouTube
特に印象的なのは、1番の「都会の絵の具に染まらないで帰って」という歌詞だ。この曲は男と女の立場を交互に切り替えて歌うという構成になっていて、この部分は都会に行った男に対する女の気持ちである。この曲が原点なのかは分からないが、都会に染まる、東京に染まる、という表現はしばしば耳にする言い回しだ。
人は良くも悪くも大抵のことに慣れてしまう。それを指す慣用表現が、朱に交われば赤くなる、だ。辞書には「交わる仲間や友人によって感化されることのたとえ」とあり、朱に交われば赤くなると言う場合、特に周りの人間に感化されてその環境や行動様式に慣れていくことを指す。
また「交際する相手によって善にもなれば悪にもなる」とあるが、大抵、悪い方に染まる場合に使われる表現である。よい方向に感化される場合に、朱に交われば赤くなると言うケースを見た記憶は殆どない。いや、全くないかもしれない。
木綿のハンカチーフの歌詞などの、都会に染まる、という言い回しも、実際は都会という環境自体に染まるということでなく、都会の人達の行動様式に慣れてそれが当たり前になっていく、都会の人に影響されて行動様式が変わる、のような意味で、また大抵変わってしまったというニュアンス、好ましくないというニュアンスが込められるので、だから都会に染まるも、朱に交われば赤くなるのバリエーションだろう。
今日トップ画像にしたのは、ナチに熱狂する戦前のドイツ人である。ナチに熱狂したドイツ人たちもまた、朱に交わって赤くなってしまった人たちだろう。戦後「私達は騙されていた」と言う人達もいたようだが、流石にそれは虫が良すぎる。ナチの異常性を見抜けずに支持したことには何の落ち度もない、とは到底言えないレベルのことをナチはやったのだから。
この投稿で朱に交われば赤くなるに触れたのは、こんな記事を読んだからだ。この記事テーマは、日本における男尊女卑の異常性についてで、また一部、男女問わず日本の労働環境が異常であることにも触れている。そのような異常性は、日本を外から見ることでよく分かり、内側にいると感覚が麻痺して気づかないこともある、のような論調だ。
日本には「三つの災禍」がある。ロンドンに「避難」した30代女性が伝えたいこと(鈴木 綾) | FRaU
この記事を読んで、真っ先に町山 智浩と水道橋博士が頭に浮かんだ。2人共しばしば社会問題や政治の問題にも言及し、またそれらについて概ね妥当な主張を繰り広げると評価していた。だが、最近この2人がセクハラに関することで到底受け入れがたい主張をしていて、俗な言い方をすれば、この2人も、まともそうに見えて結局感覚が麻痺してしまっていて、自分の感覚がバグっているのに気づかないんだろうな、それは日本社会に長く身を置いてきたからかもしれない、と思っていたからだ。
恐らく、日本という朱塗れの社会にいたら誰でも赤く染まってしまう、ということなんだろう。勿論、日本にいてもまともな感覚を維持する人もいるし、この記事のライターのように、日本に見切りをつけて朱に塗れていない環境に旅立つ人もいるんだろうが、それは間違いなく少数派だ。それは日本の男女格差が先進国中最低レベルであり続けていることが証明している。
朱に交われば赤くなるは、悪い人達の中にいるとそれに慣れて・感化されて自分も悪いことをするようになる、悪事を厭わなくなる、のような意味だが、おかしな人達の中にいることで感覚が麻痺してしまい、加害行為を受けているのに、自分が被害を受けていることに気づけなくなる、のような場合が決して少なくないことも、当該記事から感じた。
また昨日は、給与の少なさを嘆くこんなツイートも目についた。2つ目のツイートからも分かるように、このツイートに対して「不満があるなら転職しろよ」と煽るような反応も見られる。しかしもう一方では、同じような境遇の整備士による共感も複数示されている。
このツイートにまつわる反応には2つの問題が存在する。まずは前者の「不満があるなら転職しろ」という人達についてだが、未来に希望が持てないような給与で労働者を働かせるような職場が多数存在しているのだから、不満があるなら転職しろで解決するような話ではない。たとえば、労働者の売り手市場とも言えるような状況なら、不満があるなら転職しろで解決できることかもしれないが、実際はそうではなく、大企業の業績は過去最高にもかかわらず、労働力の買い叩きが蔓延しているのだから、それは個人の問題ではなく社会や政治の問題だからだ。
同じような境遇のの整備士が複数共感を示している、ところにも問題は隠れている。このような低賃金などによる労働者買い叩きが蔓延しているのに、それを是正するどころか推進する側の政党がずっと与党に選ばれ続けている。つまり日本の有権者の大半は労働者層であるにもかかわらず、なぜか自ら虐げられる政治を選び続けている。または投票を放棄してしまい、自らを虐げる政治を否定せずにいる。
世の中がアベノミクスとやらで景気が上向いたという雰囲気になっていた2014年頃、自分の周りの職人たちも、皆リーマンショック後のドン底よりは忙しそうにしていた。だが建築業界は震災後の需要でその前からそれなりに仕事が増えていて、単にその流れが続いていただけだったかもしれない。勿論、株価がーとか円安誘導でーとか、これから景気が上向いていきそうな雰囲気によって仕事が増えていた、という側面もあるにはあっただろうが。
しかし、バブル期を知る60歳手前の職人達は、皆声を揃えて「仕事は多くて職人の売り手市場のはずなのに、日当は全然増えない」と言っていた。以前にも書いたかもしれないが、その頃の日給は90年代の6割程度しかないとか、バブル期の半分以下とかいう話だった。
その頃はまだ、もう少ししたら所謂トリクルダウンで自分達も潤うという希望もあったかもしれないが、それからもう7-8年経つのに労働者の給与は全く上がらなかった。2018年頃まで自民政権と大手メディアは、誤差程度の微増かほぼ横ばいでしかないのに戦後最長の経済成長などと言っていたのだが、最早そんな話すら聞こえない状況になっている。つまりこの10年、自民政権は労働者から吸い上げて大企業に利益を流しただけだった。
なのにそれでもまだ日本の有権者、つまりその大半を占める日本の労働者は、自民党による政治を否定も拒否もしないのだ。
このように、今の日本は、朱に交われば赤くなる本来の意味を体現しているだけでなく、少し変化球的な意味でも、朱に交われば赤くなるになってしまっている。「不満があるなら転職しろ」という話は否定したが、それは個人の問題ではなく社会/政治の問題という意味であって、労働者は全く何もしなくてもいいという意味ではない。現状に不満があって現状を変えたいなら、何かアクションを起こすしかない。朱に交わって赤くなっている限り、現状はずっとそのままだ。寧ろどんどん悪くなっていくだけだ。