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その括りや呼称は妥当なのか?

 2輪のF1・MotoGPの日本語中継は、日本テレビのCSチャンネルや配信サービス・Huluで視聴することができる。MotoGPはF1と違って、排気量などのレギュレーションが異なる3クラスがあり、日本語中継の解説者も何人かいるのだが、最高峰MotoGPクラス中継の解説者・ 宮城 光はレース車両のことを一貫してクルマと呼ぶ

 それが絶対的におかしいと言うつもりは決してない。広義では2輪も4輪も自動車だし、更に言えばフォークリフトやトラクター、そしてキャタピラーを装着した雪上車なども自動車だ。そもそも、クルマ/車は自動車だけに限らず、動力の有無にかかわらず車輪付きの乗り物、もしくは車輪そのものを指す表現でもあり、バイク/2輪車をクルマと呼ぶことはある意味では妥当だ。

 しかし一般的には、日本語でクルマと言えば多くの人が自動車/4輪を連想し、バイク/2輪車のことを連想する人は少数派だろう。バイクのことをクルマと呼ぶ人も同様に少数派であって、バイクをクルマと呼ぶことは決して間違いではないが、紛らわしい表現ではある。勿論、バイクレース中継の中でバイクをクルマと呼んでも、大多数の人はバイクのことを言っているんだろうと想像できるだろうし、中継の性質上、それ以前の文脈が確実にあるから、誤解を招く表現とは言えないだろう。誰かが宮城の解説のその部分だけを切り取らない限りは。
 でも決して耳慣れた表現ではないので、宮城が2輪のことをクルマと呼ぶ度に、「相変わらずの宮城節だな」くらいには思うものだ。


 この投稿のテーマは、その括りや呼称は妥当なのか?についてだ。そんなことを考えさせられたのはこの記事だった。

反ワクチン派になる人は「児童虐待や親がアルコール依存症など悲惨な過去」を持っている場合が多いとの研究結果、認知機能との関連も - GIGAZINE

 この記事は、ニュージーランド・オタゴ大学の研究者が1037人に対してワクチン接種の意向についてのアンケートを実施し、アンケート結果を集計した結果、回答者の約13%が「ワクチン接種を受ける予定はない」と答えたこと、ワクチンに対する抵抗感がある人とない人の幼少期の生活を比較したところ、ワクチンに抵抗感がある人の中にはネグレクトを含む虐待を受けていたり、貧困家庭だったり、親がアルコール依存症だったりと、幼少期に不利な経験をしていた人が多いことが分かった、ということについて書かれている。
 これは、因果関係が認められたということではなく、相関関係がありそうだ、という程度の話で、研究者がこの調査結果から何を導き出したかと言えば、ワクチン接種率を高める為には、政府や接種をすすめる団体などの信頼性向上が欠かせない、ということだ。その点については異論はないし、違和感もない。

 しかしこの記事を読んで、まずその見出しに強い違和を覚えた。見出しには「反ワクチン派」という表現が使われている。そして記事の冒頭で、

陰謀論者で構成される日本の反ワクチン団体「神真都Q」のメンバーがワクチン接種会場に乱入し現行犯逮捕される事件が発生するなど、反ワクチンは身近な問題となっています

としており、更に

ニュージーランドの首都・ウェリントンで国会議事堂の前で約1カ月にわたって反ワクチンデモの集会が開かれ250人の逮捕者が出るなど、反ワクチン運動はニュージーランドでも激化しています

と、ニュージーランドの似た事例も紹介している。
 しかし、実施されたアンケートはあくまでも ”ワクチン接種の意向についてのアンケート” であり、回答者の約13%は「ワクチン接種を受ける予定はない」と答えただけだ。また、記事には ”ワクチンに対する抵抗感がある人とない人の幼少期の生活を比較したところ” ともあり、これはつまり、副作用に対する不安などの理由から、ワクチン接種を望まないだけの人から、デマとしか言えないような陰謀論を声高に叫ぶような人までを、一括りにして反ワクチン派と呼んでしまっている、と言えるだろう。
 そんな乱暴な表現は果たして妥当なんだろうか。自分には全く妥当とは思えない。確かに、ワクチン接種に対してネガティブな印象を持っているという意味においては、どちらも反ワクチンと言えるかもしれない。しかし、特に新型ウイルス用のワクチンは、まだ長期的なリスクの検証はできておらず、どれ程の効果があるのかも限定的にしか分かっていない状況なので、接種をメリットと捉えるかリスクと捉えるかは個人の自由意志の範疇と言えるだろう。だから接種するかどうかも個人の判断で決定されるべきだし、それは妥当な権利行使の範疇だろう。それと、陰謀論のような明らかなデマを広げたり、暴力に訴えるような行動を起こす人たちを一緒にするのは、乱暴としか言いようがない。なぜなら妥当な権利行使と不適切な権利主張を同一視してしまっているからだ。

 少なくとも日本語においては反ワクチン派の定義が社会的に定まっていない以上、その表現を安易に、漠然とワクチン接種に抵抗がある人全般に適用するのは、雑なレッテル貼りでしかない。そのようなことをすれば、余計な誤解を招く恐れがあるし、差別や蔑視を誘発する恐れだってあるだろう。
 つまり、反ワクチン派の定義が社会的に定まっていない以上、その表現を安易に、漠然とワクチン接種に抵抗がある人全般に適用するのは、括り方や呼称として決して妥当とは言えない。


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