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武力は平和を遠ざける、武力は平和を揺るがす

 ここのところ、このブログのトップ画像以外にもコラージュをいくつか作っている。トップ画像はその一つで、武力で他国を威嚇する状態は果たして平和と呼べるのか、という思いが背景にある。一部の政治家らが、ロシアのウクライナ侵略に乗じて日本も軍拡すべきだとか、核を保有すべきだとか、先制攻撃を可能にするべきだ、などと言っているが、どう考えても平和を希求しているとは思えない。

 たとえば、火事が起きなくても消防署は必要だ。不測の事態に備えることは何も悪いことではない。しかし、ヤクザが暴力をちらつかせて住民を威嚇したり、敵対勢力と牽制し合うような町は、果たして平和な町と言えるか。自分には全くそうは思えない。アメリカのように、みんなが銃を持っているような状況で、疑心暗鬼になりながら暮らすことは平和か。概ねみんなが銃など持っておらず疑心暗鬼にならなくてもいい状況の方がよっぽど平和ではないだろうか。
 相手が銃を持っているんだから、こちらも銃を持たなければ平和が維持できない、と考える人もいるんだろうが、こちらが銃を持てば相手は更に協力な武器を持ち込むだろう。で、それは雪だるま式に膨張し、どんどん疑心暗鬼も大きくなっていく。それの一体何が平和なのか。深刻な事態が起きる恐れが大きくなるだけだし、何か合った際に事案の深刻度を自ら大きくするようなものでもある。銃社会アメリカでは頻繁に乱射事件が起きていることが、それを如実に物語っている。やはり、必要最低限の防衛力以上の武力を欲することは、平和を遠ざけること、平和を揺るがすことでしかない。

 昨日、こんなツイートがタイムラインに流れてきた。

 これは、自民党などが敵基地攻撃能力とか反撃能力なんて言っているものそのものだ。もしロシアがウクライナへの侵略を始める前に、ウクライナやその支援国がロシア国内のロシア軍に攻撃を加えていたら、ウクライナは今よりもずっと国際的に支持されていなかっただろうし、ロシアにウクライナへ侵攻することの大義名分を与えることにもなっていただろう。自民党などが保有を検討しろと言う、敵基地攻撃能力とか反撃能力なんてのが、如何に馬鹿げていて、自国を危険に晒すだけの代物か、少し考えたら分かる。
 自民党は、敵基地攻撃能力では印象が悪いからと、約1ヶ月前くらから呼称を反撃能力に変えると言い出した。だが、相手に攻撃される前にこちらから攻撃を行うのに、反撃? 自民党には日本語を正しく理解している人が誰もいないんだろうか。呼称変更を決めたのは自民党の一部だろうが、それに対する内部からの異論はあまり聞こえないのだから、誰も日本語をよく理解していないんだろう。


 テレビはもう殆ど見ていないが、このような話がテレビで指摘された、という話は聞いたことがない。また、新聞でもこのような指摘な全く見かけない。こんな指摘もできないんだとしたら、日本のメディアは死んでいると言っても過言ではないだろう。
 このような自民党の姿勢は今に始まったわけではないのに、それでもずっと自民党が与党であり続けているということは、メディアだけでなく日本の有権者の大半も正常な判断が出来ていないと言える。
 有権者は政治家やメディアに騙されているだけ、のようなことを言う人もいるが、それはあまりにも責任感がなさすぎるし、政治家やメディアへの責任転嫁が過ぎる。うまくいかないのはなぜか?を考えるのは大事だが、安心したくて何かをスケープゴートにしたり、責任逃れをしたりしても、よりうまくいかなくなるだけだ。


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