木曜日の Dommune を見ながら、こんなことをツイートした。「人間が機械でなく人間たる要素には、確実に感情の存在があるが、しかし一方で、人間が他の動物と異なる点には、確実に理性の存在がある。理性的かつ感情的な存在という矛盾」
攻殻機動隊SAC_2045 が取り上げられていて、ゴースト(攻殻機動隊独特の言い回しで、身体を機械化できる設定を前提とした、人間の人間たる部分のような意味での ”魂” のような意味)の有無とか、メタバースの中に人が入る時、周りにいるのは人間が操作するアバターである必要性があるのか、それともAIやアルゴリズムがその代替になりえる存在で、仮想空間で自分以外の人間は必要ないのか、みたいな話題から、そんなことを連想したような気がする。
その話題は、今年・2022年1月に閉店した日本で最も大規模なナイトクラブだったageHaがテーマだった昨日の Dommune
の中でも、仮想空間におけるナイトクラブは現実のクラブの代替になりえるのか?
みたいな文脈で取り上げられていて、それを見ながら今度はこんなツイートをした。「自分もクラブ好きな寂しがり屋だけど、一時期FF11にドはまりして1日の半分くらいログインしていたし、GTAオンラインにもハマってかなり長い時間をオンライン空間で過ごした。熱気や触覚、呼吸が直接感じられなくても、向こう側に人がいる、という感覚がそれを補完するのかも。でも、向こう側に人がいる、ってのがかなり大事で、それはAIやアルゴリズムが発展しても、代替できない気がする。
でも、生身の人間よりアニメキャラにのめり込んだり、AIBOの葬式をやるくらい本物の犬のように扱う人がいるくらいだから、人それぞれだろうか」
個人的には、AIやアルゴリズムが、人並に、人の代替となりえるレベルで、思考やコミュニケーションできるような状況になるには、少なくともまだ10年はかかると思っていて、それはやはり、AIやアルゴリズムには人の感情のようなものが感じられないからだと思っている。またAIやアルゴリズムからは、仮想空間の特性とも相まって、視覚聴覚的に認識する以外に、気配をフィジカルに感じられないことも大きい。そんなことを考えて、前述のツイートをする前にこんなツイートもした。「フィジカルな空間の共有は、熱気、触覚、呼気、がないと感じられない気がする。だからHMDが見せる映像だけでは、その代替にはならない気がする」
しかし、アニメやマンガ、ゲームのキャラクターを、生身の人間よりも身近に感じて愛でる人たちもいるし、AIBOを愛玩動物の代替として同様に扱う人たちも既にいて、そのような人のすべてではないかもしれないが、その中には確実に、架空のキャラクターや、機械の犬に感情のようなものを見出す人もいる。そんなふうに考えると、感情とはなんなのか、という気持ちにもなる。
また、AIに関するこんな話も目についた。
YouTuberが4chanでAIを訓練して「ヘイトスピーチマシン」を生み出しネットに放流してしまう、AI研究者は困惑と懸念を表明 - GIGAZINE
4chan(比較的検閲が緩いため過激な言論やヘイトスピーチの温床にもなっている、世界最大規模の画像掲示板)の中でも特に物議を醸す「/pol/(Politically Incorrect板、政治的非中立/政治的に正しくない/非ポリコレ板)」から抽出した330万件のスレッドで訓練したAI「GPT-4chan」を作ったところ、過激で人種差別的な発言をまき散らす「ヘイトスピーチマシン」が誕生してしまったとのことです
世の中には、人間なのに理性的でなく、動物的に感情のままに暴力的に振る舞う人が、想像以上にたくさんいるのは、SNSなどを見ていればよく分かる。AIも、そんな感情的な人たちの言説に大量に触れさせたら、ヘイトスピーチを繰り返すようになった、という話だ。似たような話は以前にもあって、2016年に、ユーザーが話しかけた内容に対して意味のある返事をするMicrosoftが開発した人工知能の Tay が、会話理解研究のために試験的にTwitterなどでリリースされたのだが、悪意のあるユーザーたちが人種差別・性差別・暴力的な表現を教えこんだ為、不適切な投稿を連発してしまい、リリースから約16時間後にサービスが停止されてしまった。
これは、果たしてAIが負の感情を持ったと言えるのだろうか。それとも実際には、オウムがオウム返しをするようなもので、AIは実際に何かの価値感を持っているわけではなく、教え込まれた言葉を撒き散らしているだけなんだろうか。AIに理性があれば、どんなに差別的・暴力的言説を教えても、その様な主張をするようにはならないだろう。つまり、現時点ではAIには理性もなければ感情もない、と言えるのではないだろうか。それとも、理性のようなもの、社会的規範を学習する前に負の思想に染められた、ということか。
木曜日の Dommune を見つつ、こんなツイートもした。「たとえば、アイドルばかり見て育った子の何%かは、憧れてアイドルになりたがるだろうが、それはアイドルを見て、見せられて育ってきたからでもあり、アイドルに触れる機会が少なければアイドルに憧れたりなりたがる率は下がるはず。 この場合アイドルに憧れてなりたがるのは自由意志?」
親や周囲の人間によってアイドルを見せられて育てられた、と言うよりも、子どもが主体的にアイドルに興味を持って多く触れたのならば、それは子どもが自由意志でアイドルに憧れ、アイドルになりたがっている、と言えるだろう。しかし、物心つく前から、刷り込みのように常にアイドルの映像を見せられ、歌を聞かされ、家にアイドルグッズが溢れているような状況だったとしたら、それは果たして子どもの自由意志と言えるだろうか。
勿論これはアイドルに限った話ではなく、たとえば野球でも同じだし、テレビゲームでも同じだ。親の生業や趣味によって子が育つ環境は大きく左右されるのは当然で、決して、それは絶対的によくない、そのようなことは好ましくない偏りを生む、のようなことを言いたいわけではない。しかし、親がエゴで自分の仕事や趣味を子に押し付けてしまうケースも確実にある。やりたくなさそうに少年野球やサッカーをやらされている子、やらせている親なんてのはザラだし、楽器などの習い事をさせられている、やらせているというケースも少なくない。
そのようなケースは大抵、小学校高学年から中学生にかけての子どもの反抗期に破綻するんだろうが、中には、大人になるまで親に逆らわない、逆らえない子もいるし、大人になるまで、自分がやりたくないことをやらされていた、ということに気づかない子もいれば、自己防衛的に、無意識的にそのようなことから目を背ける子というのもいる。
前述のツイートを前提に、こんなツイートもした。「結局、日米の関係性に関する認識もこれと同じで、強烈な刷り込みが連綿と続いてきたことによって、歪んだ関係、日本が隷属的な地位であるにもかかわらず、それを殆どの人が受け入れてしまう現在があるんだろう」歪んだ日米関係には、当然不平等な日米地位協定も含まれていて、それは確実に沖縄の基地問題とも深く関係しており、沖縄に在日米軍の大半が押し付けられている状況、本土の人がそれに対しておかしいと積極的に言わない状況も含んでおり、つまり、これまで続いてきたんだからそんなにおかしいことではない、という根拠に乏しいバイアスが固定化していて、だから日本では沖縄に在日米軍を押し付けるという形式による沖縄差別がまかり通っている、ということではないだろうか。
そんなことを考えると、日本人の大半は、差別的な言説を教え込まれヘイトスピーチを繰り返すようになったAIと対して違わないのでは?と思えてくる。昨日の投稿で、
自民党に投票するということは、沖縄への基地固定化を容認し、同性婚や選択的別姓を認めない、ことも容認することになる。沖縄に基地を押し付けるのは沖縄差別だし、選択的別姓を認めないのは男尊女卑の容認だ。同性婚を認めないのも同性愛者への差別容認になる。それでもあなたは自民党へ投票しますか?
と書いたが、もう何年も自民党を与党に選び続けているのだから、日本の有権者の大半は、沖縄差別も男尊女卑も同性愛差別も、それだけでなく、在日コリアンを始めとした外国人差別なども容認する人たち、ということである。
これは、これまでの環境がそうさせてきた面も確実にあるが、しかし人間は理性的な動物なのだから、環境を言い訳にして感情のままに差別を容認していいはずがない。しばしば、日本人は論理性に欠ける、という話を耳にするのだが、まさにその通りだとしか言いようがない。