まさかり くさお、マール ポッカートニー、けつだいら まん、しり もんいち、コーモンでぐれ、マールぽき、バイアントじゃば、ヒルチナ マンギス、まんじょう ほなみ、モエローインキー… これらは、苗字の最初の文字と名前の最初の文字を入れ替えてみました、という企画で、面白いとされた人たちの名前だ。
このサイトのトップページ冒頭には「あなたが1960年代生まれなら、必ず一度はポケットに手を入れて「まさーかりーくさおーです」って言ったことがあるでしょう」とある。自分は、まさかりくさおです、と言ったことはないが、何かの名称の前半部の最初の文字と後半部の最初の文字を入れ替えるという言葉遊びを、小学生の頃にやった記憶はある。たとえば、機動戦士ガンダムならガドウ戦士キンダム、ピンクパンサーならパンクピンサーのように。
これと同様に、ゲリラ豪雨のゲとゴを入れ替えると、前半部分がゴリラになること、後半は厳密にはゲウ雨だが、ゲイ男性にはマッチョ体型を好む人も少なくなく、ゴリラがそれを連想させるからか、ゲウをゲイと言い換えて、ゴリラゲイ雨という言葉遊びをやる人というのは、以前からしばしば見かけた。
昨日の午後に首都圏で激しいにわか雨が降った後、このゴリラゲイ雨というワードがツイッターのトレンドに上がっていた。その時点ではそんなに気にならなかったのだが、後になぜゴリラゲイ雨がトレンドに上がっていたのが見えてきた。それは、このツイートのような理由からだった。
まず言いたいのは、不快に受け止めた人がいたみたいだから謝る、投稿を削除する、というのは、全く理解できない。なぜかと言えば、トップ画像でも示したように、一切全く誰も傷つけることのない表現 というのは存在しないからである。どんなにポジティブな表現でも人を傷つける恐れはある。たとえば「〇〇さんは運動一筋ですね」と感心し褒めたつもりでも、人によっては「俺は運動ばかりで頭が悪い脳筋って言いたいのか?」と受け止める場合もある。勉強一筋でも同じで「座学ばかりで頭でっかちだって言いたいの?」と受け止められるかもしれない。誰かが不快に思うから不適切、という話が妥当であれば、ほぼすべての表現は不適切ということにできてしまう。
それと、差別的な意図はなかった、という話が組み合わせられているのも理解できない。そもそも、差別やいじめをやる人の大半は、大抵「そんな意図はなかった」と言うものだ。意図的に差別したなんて言う人はまずいない。そして、差別の意図はなかったが、不快だと言う人がいるから謝っておく、投稿を削除する、ということだと、自分は悪くない・落ち度はないけど…と言いたげにも見えてしまう。「そのような(差別的な)文脈で使用されることもある単語であるとの認識が不足しておりました」とあるが、別の言い方をすれば、差別的でない文脈で使用されることもある、ということであり、差別的な文脈で使っていないという自負があるなら、謝る必要もないし投稿を削除する必要もない。だから余計に、自分は悪くないけどああだこうだ言う人がいるから取り下げてやる感が出てしまっている。
個人的には、同性愛を一切笑い・ジョークのネタにしてはいけない、というのは過剰だと考える。それは同性愛に限らず、他の属性や特性でも同じだ。昨今、身体的特徴や民族性などを笑いのネタにするのは絶対的にしてはならないこと、かのように言う人が増えたが、たとえばそれぞれの国民性や民族性には確実に差異があり、それに関するジョークは枚挙に暇がない。そのようなジョークで気を悪くする人がいることも確かだが、だからそのようなジョークは絶対的に言ってはならない、というのも過敏だ。
過去に日本でも問題視された所謂ブラックフェイス、黒人に扮する為の顔の黒塗りも同じだ。差別的意図がなくても顔を黒く塗る化粧で黒人に扮するのはアウト、というのは過敏だ。黒人に扮したわけではない顔の黒塗りまで、黒人差別だと言い出す人がいたことは、その感覚が過敏であることを物語っている。差別的な意図を持って黒人に扮したわけでないどころか、黒人に扮したのではない場合までアウトというのは、どう考えてもおかしい。差別の意図のあるなしにかかわらず、顔を黒く塗ることがアウトなら、差別の意図のあるなしにかかわらず、付け鼻をつけたり金髪のカツラを被ったりして白人に扮するのもアウトだろうし、本来黒髪の東アジア人が髪を金髪にするなんてのもアウトになるのではないか?自分にはそうとしか思えない。
同性愛という特性を一切笑い・ジョークのネタにしてはいけない、が正しいとしたら、ハゲやチビ・デブ・ブスだって同じだ。しかしもしそうだとしたら、ハゲやチビ・デブ・ブスの当事者がその特性を使って笑いをとることだってダメなのではないか。一般的に容姿がよいとされる者がそれを武器に人気を誘うのはOKで、一般的に容姿がよくないとされる者の場合はNG? それは明らかに変だ。
当事者が自分の特性をネタにするのはOKで、自分の特性でないものをネタにするのはNG、という基準で考える人もいるかもしれないが、では、かっこいい/カワイイとブサイク/ブスの線はどこで引かれている? どの程度のハゲならネタにしてOK?生え際が後退している程度だとNG? 頭頂部に分離したハゲがあったらOK? 性的少数者は更に複雑で、実際には異性愛者であっても「私はバイセクシャルだ」と言えば、それだけで性的少数者側に立つことが出来る。そもそも性的指向は千差万別で、誰もが性的少数者の当事者であるとも言える。つまり、民族や人種、国籍のような属性と違って、特性というのは明確な線引などできないものだ。民族や人種だって、たとえば人種は黒人で日本国籍を持つ日本人もいれば、祖父母は朝鮮人だが日本生まれ日本育ちの人の民族性とは、果たしてどう捉えたらいいんだろうか。
このように考えれば、絶対的に笑いやジョークのネタにしてはいけない特性や属性なんてのはない、と言えるのではないか。あくまでも ”絶対的に” という意味においては。
”絶対的に” と念押ししたのは、絶対的に笑いやジョークのネタにしてはいけない特性や属性なんてのはない、と言える一方で、無頓着になんでも笑いやジョークのネタにしてもよい、とは言えないからだ。ハゲやチビ・デブ・ブスに関するネタだって、過度に陰湿・侮辱的で、ネタにする属性に対して一切全く敬意のないネタ、そのような人がやるネタは、多くの人は受け入れ難いだろう。そのようなネタをやれば批判を受けても仕方がない。場合によっては責任を問われる場合もある。誰かを拳で殴ればその責任を問われるのと同じで、言葉や表現で誰かを殴りつければ、その責任はとらないといけない。
今の日本は、同性愛はハゲやチビ・デブ・ブスと同じような感覚で笑いやジョークのネタにしてもよい状況と言えるだろうか。同性愛者にも、ハゲやチビ・デブ・ブスと同程度には社会的地位があって市民権を得ているなら、そう言えるだろう。しかし現在日本は、先進国で唯一同性婚を認めていない。ハゲやチビ・デブ・ブスは結婚出来ても、同性愛者は出来ない。これでは同程度の社会的地位があって市民権を得ている、とは言い難い。しかも同性婚を頑なに認めない方針の政党を日本人の大半が支持し、その政党が与党で有り続けているのだから、日本人の大半はいまだに同性愛者に対する偏見を持っている、差別的である、と言えるだろう。つまり、今の日本は、同性愛はハゲやチビ・デブ・ブスと同じような感覚で笑いやジョークのネタにしてもよい状況とは言えない、というのが実情だ。
個人的には、早く同性愛を気軽に笑いやジョークのネタにできる状況を実現しないといけないと思っている。笑いやジョークのネタにできる状況というのは、その属性に対する偏見や差別が概ね解消しないと実現しないからだ。
同性婚を認めるのはその第一歩なのに、この国では相変わらず国単位でそれが認められる兆しがない。それは、同性婚を認めない方針の政党を有権者が支持しているからだ。極端に言えば、日本人は差別や偏見をあらためる気がない、とも言えるし、日本人とは同性愛への差別や偏見を続けたい人たち、とも言えるかもしれない。