近年明らかにクリスマス以上の盛り上がりを見せるハロウィン。ハロウィン直前の週末・若しくは当日である10/31の繁華街、特に渋谷は仮装した者でごった返す。これまでも人が集まり過ぎることで起きる問題や、あちらこちらにゴミが無造作に放置される事などが問題視されていたが、昨年・2018年は一部の者が軽自動車を横転させたことなどが注目され、しかもメディアがそれを擦りに擦った所為もあり、何らかの対応が必要であるという声もより一層高まっている。
当時も似たような記事は多く見られたが、ハフポストは2/26に「ハロウィン対策検討会、渋谷区が初開催。「もっと秩序を持って開催できる方法を」 長谷部健区長が議論呼びかけ」と言う記事を掲載した。当該自治体である渋谷区が具体的な対策の検討を始めたという話だ。
自分はこの記事に、
「住民からはハロウィンの中止や禁止を求める声が相次ぎ」ってどうやるの? 渋谷駅周辺だけ立ち入り禁止にでもするつもりか? それとも服装で逮捕したり拘束したりできる条例でも作るのか?とコメントした。 2018年10/30の投稿「ネットトロール・渋谷ハロウィーン暴徒化の共通点・群衆心理と匿名性」でも書いたが、乱暴な規制は現実的でないし、もしそんな規制が実現するとしたらそれ自体が危険性を孕んだ行為だという趣旨だ。
迷惑に感じる気持ちも分かるが、「ハロウィン中止」はあまりに現実的でない。某掲示板由来のクリスマス中止のお知らせじゃないんだから…。実質的に強制力のない中止宣言なんて、中止の中止とか茶化されるのがオチだ。
自分はこのコメントを書いた時点では「服装によって逮捕することなど出来るはずはない」と思っていた。勿論、裸に近いような公序良俗に反する恐れのある格好で街中を歩いたりすれば、実質的に身柄を拘束されるような場合もあるだろう。しかし、日本国憲法で尊重することが定められている基本的人権の中には自由権があり、例えば、前述のような裸やそれに近い服装や、誰かを騙す事を目的として、制服を模すなどの方法で警察官やその他に扮する場合などを除けば、どんなに奇抜な格好であろうが、服装だけを理由に逮捕・拘束など出来ない筈だ。
しかし、福岡県警はそれをやってしまった。西日本新聞の記事「「特攻服」の中3男女12人補導 卒業式の夜、天神に集結 県警 [福岡県]」によると、
県警は8日、警固公園(同市・天神)などで特攻服を着て通行人に威圧感を与えたなどとして、中学3年の少年少女12人を補導したしたそうだ。記事では特攻服としか書かれていないが、同じ件を報じたテレビ朝日のニュースなどを見る限り、ここで特攻服と呼んでいるのは、刺繍入りの制服(学ラン)・所謂卒ラン(卒業式などで着る用に刺繍を入れて作った学ラン、短ランや長ランなどの改造・変形学生服)などの場合もあったようだ。
下の画像は福岡県警博多署がJR博多駅前の大型ビジョンに掲示した警告文である(朝日新聞の記事「博多駅で特攻服→徹底的に補導 荒れる卒業生を県警警戒」より)
憲法が認める自由権の中には当然誰もが好きな格好をする権利も含まれている。だた、憲法の自由権の規定に関しては、日本国憲法第12条に、
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。とあり、つまり「自由を濫用してはならない、公共の福祉に反する自由は認められない」ということになっている。今回福岡県警はこれを前提に「特攻服を着ることによって通行人に威圧感を与えた」として補導に踏み切ったのだろう。
しかし、この特定の服装だけで「通行人を威圧した」と認定できるという乱暴な手法の補導は、かなりの危険性を孕んでいる。例えば、特攻服や卒ランを着た人物が、誰かを執拗ににらみつけたり、大声を出し続けたり、複数で取り囲むなどの行為があれば、それは明らかに通行人を威圧したと言えるだろうし、補導対象として捉える事に異論はない。しかし、特攻服や卒ランを着ただけで威圧したと本当に言えるだろうか。特攻服や卒ランを着た人物が歩いているだけで威圧的だと感じる人がいるのは事実だろうが、そう感じない人も多くいる筈だ。この論法がまかり通るなら、特攻服は問答無用で威圧的になるのなら、誰かが「警察官が制服を着て腰に銃や警棒を下げているのは威圧的だ」と言い出したら、警察官は制服を着る事や銃を携帯することを止めなくてはならないのではないか。
そしてこの補導方法がまかり通るなら、ハロウィンの渋谷で仮装した者を、仮装したという理由だけで逮捕することも可能になってしまうだろう。それどころか酒に酔って街を歩いたというだけでも逮捕が可能になってしまうかもしれない。何故なら、ハロウィンで騒ぐ者、自動車を横転させるような者がいることを理由に、ハロウィンを目的に渋谷に集まる者=通行人に威圧感を与える者という風に捉えることも出来るからだ。酒に酔って歩いたから逮捕というのは流石に極端過ぎだとしても、ハロウィンにだけ多くなる仮装については、福岡県警の対応が認められるなら、同様に逮捕拘束することが出来るかもしれない。
では仮装に当たるか否かはどう判断するのか。渋谷の隣には原宿という街がある。休日の原宿に行ってみた事があるなら分かるだろうが、原宿には「何かの仮装か?」と思えるようなファッションの若者が、常日頃から多く集まる傾向にある。仮装かどうかの線引きはかなり難しく、人によってその受け止めも異なる。そんな曖昧な基準で逮捕が可能になるのはあまりにも危険極まりない。
同じことは福岡県警が踏み切った特攻服(卒ラン)を着ただけで補導という手法にも言える。特攻服や卒ランと呼ばれている服は、元々は作業服であったり、変形学生服でしかない。それに刺繍を入れる事によって今回補導対象とされた「特攻服」になる。ではどれだけ刺繍が入っていたら「特攻服」とされるのだろうか。どれだけ刺繍が入っていたら威圧感を与えたことになるのだろうか。作業服に会社名やロゴが入っていても誰も威圧感などは感じないが、極端な事を言えば、それも「特攻服」と同じ刺繍入りの作業服である事に変わりはない。つまり、特攻服を着ただけで補導対象にするのだとしても、警察の一存でそれを始めるのはあまりに乱暴で、条例等で「特攻服」の定義、刺繍の量・色・形状等をしっかり定義した上で始めなくてはならないのではないか。でなければ、最悪学生服の内側に名前の刺繍があっただけでも警察が補導することが出来てしまうし、市民の誰かが「黒いスーツ・パンチパーマはヤクザみたいで威圧的」と言い出したら、それだけで身柄を拘束できるような状況になってしまうのではないか。福岡県警の今回の対応は、そのような危険性を孕んだものだ。
BuzzFeed Japanは、今年と来年、オリンピックの余波でこれまでとは違う運営を求められている、日本で最も人を集めるイベントの一つ・コミックマーケットについての記事「脅迫にバッシング……数多の危機を乗り越えたコミケット――多様性のむずかしさと価値」を3/9に掲載した。1975年におよそ700人という規模で始まった同人誌即売会・コミックマーケットだが、現在では毎回50万人以上を集め、そして同人誌の即売にとどまらず、所謂オタク系文化の総合文化祭のようなイベントになった。
この記事でインタビューに応じた、運営組織「コミックマーケット準備会」共同代表の市川 孝一さんは
表現という行為には絶対にリスクはつきもの。自分が考えていること、好きなことが、誰かにとっては不快である可能性は否定できません。(中略)自分が嫌なものを受け入れないと、相手の自由は守れない。「お互い、相手の表現は尊重しましょう」というスタンスでないと、できないことがどんどん増えていく。と述べている。それがイベントとしてここまで大きくなった理由、続いている理由、多くの人が集う理由の一つでもあるのだろう。
乱暴な補導手法に踏み切った福岡県警の警察官には、是非この言葉を肝に銘じてほしい。「ハロウィンの中止や禁止ができないか」と、安易に乱暴な規制を求める一部の渋谷区民も同様だ。