三権分立は、行政/内閣と立法/議会と司法/裁判所が、それぞれを相互に監視牽制しあう、民主制を支える仕組みの一つなのだが、日本では議院内閣制が採用されているので、議会与党が内閣を構成することによって行政と立法が一体化しがちだ。
行政と立法が癒着した場合の歯止めの役割が司法にはある。それが二権分立ではなく三権分立である理由でもある。2者よりも3者が癒着する事態のほうがより生じにくい、というのが三権分立というシステムが採用されている理由の一つだろう。 日本では、議院内閣制の為に行政と立法が一体化しやすいことは先に述べた通りで、本来は司法がその歯止めの役割を果たさないとならないのだが、日本の司法は行政や立法の方針になびいた判断を示しがちで、三権分立が機能していると断言し難い状況が、少なくとも戦後ずっと続いている。
一応付け加えると、議院内閣制の為に行政と立法が一体化しやすいとしたが、それは、有権者が選挙で不誠実な政府を構成する政党を与党に選び続けるから一体化が起きる、とも言えるし、司法が行政や立法になびいた判断を示す傾向が続いているのも、衆院選と共に行われる最高裁判事の国民審査で、有権者がそのような判断をする判事を否定せずに容認してしまうことの結果でもある。
民主制は有権者の判断で物事が決まる仕組みであり、有権者一人ひとりがしっかりと責任を果たせば、民主制が正常に機能し維持されるが、責任を放棄する有権者が増えれば民主制は形骸化する。まさに今の日本は民主制維持の瀬戸際にあると言えるだろう。
この投稿の趣旨は、トップ画像からも分かるようにこの国の司法府の頂点である最高裁判所が崩壊寸前にある、ということだ。最高裁は6/17に、福島第一原発事故で避難した住民らが、国に損害賠償を求めた4件の訴訟の上告審判決で、「津波対策が講じられていても事故が発生した可能性が相当ある」とし、国の賠償責任はないとする判断を示した。
原発事故、国の責任認めず 避難者訴訟、最高裁が統一判断「津波対策命じても防げなかった可能性高い」:東京新聞 TOKYO Web
この裁判の主な争点は
- 原発事故の原因となった津波を予想できたか
- 防潮堤の設置や原子炉建屋の浸水対策などの対策を講じていれば事故が防げたか
の2点とされている。最高裁は、国が東電に津波対策を指示していても事故は防げなかったとし、国の責任を認めなかった。「地震や津波は想定外だから事故が起きても仕方がなかった」と言っているに等しい。
原発は結果的に事故を起こした。つまり原発の安全対策が不十分だったことは明らかである。たとえば、安全対策が不十分な車種が事故を起こしたとして、安全対策が不十分な車種は、言い換えればメーカー出荷時点で欠陥のある車両だった、ということだが、その欠陥車の販売を認可した公的機関に事故の責任はないと言えるか? 欠陥を見落とした、欠陥車と分かって認可した、どちらにせよ責任は生じるだろう。
結果として不十分な安全対策によって事故が起きているのだから、十分な安全対策をさせる立場である国に責任が一切ない、なんてことはありえない。責任の度合いが争点になるなら理解は出来るが、国に責任は一切ない、という最高裁の判断は全く受け入れ難い。
この判断だけを考えると、裁判所も親方日の丸なので国に忖度した判断を示した、と言えるかもしれない。
親方日の丸とは厳密には、倒産の恐れがない官庁や国営・公営企業などの安易な経営体質を皮肉る表現だが、裁判官の任命・指名は行政/内閣が行う仕組みなので、裁判所も広義では親方日の丸であり、保身を背景にして国(この場合は行政という意味)に忖度した判断を示した、とも思えるのだが、実は単に判事の質が恐ろしく低下しているだけなのかもしれない。
そう考えられる理由はこれだ。
「頭髪指導は違法ではない」判決が確定 最高裁が上告退ける | NHK | 教育
これは、生まれつき髪の色が茶色い女性が、大阪府の公立高校で黒髪・毛染めを強要されたことの是非に関する裁判で、一審で「髪の染色や脱色を禁止する校則は、正当な教育目的で定められ、学校の裁量の範囲内」という判断が示され、二審/最高裁でも同様の判断が示されたという話である。
生まれながらの髪色を黒く染めるよう強制しても人権侵害に当たらない、というのが日本の裁判所の判断のようだが、たとえば、元来金髪の白人の髪を黒く染めさせたり、黒人に東アジア人のような肌の色を強要してファンデーションを塗らせることを学校がやったらどうなるか、それは明らかな人権侵害行為で、人種差別的な側面を多分に含むことになるのは明らかだ。
そもそも、日本人になら黒髪強要しても問題ないという話だったとしても、日本人=黒髪という発想自体が前世紀的だし、人種によっては強制OKというのも、それもまた前段の話とは別の意味で人種差別にあたる。だが日本の裁判所はこれを容認した、ということであり、裁判所が人権侵害や人種差別を容認したと言っても過言ではない判断を示したのだ。裁判所が、憲法の禁じる人権侵害や人種差別を容認する判断を示した、ということが、どれだけヤバいか、を説明する必要はないだろう。
これらは共に2022年6/17に示された最高裁の判断であり、2022年6/17は、日本の最高裁がその信頼性を失った日とも言えるだろう。裁判所がこのような判断を示すということは、特に2つ目の判断は、外国人、主に日本在住の外国人にかなり大きな影響を与えることになるだろう。自分の子供が日本の学校に通うことになって、学校に髪の黒染めを強要されても、日本の裁判所はその行為の違法性を認めないということだから。
つまり、裁判所がこんな判断を示すような国は信頼を失う、とも言える。ただでさえ行政による公文書やGDP算出にかかわるような重要な統計・データの捏造や改竄、不適切な廃棄などによる不正行為の隠蔽が頻繁していて、また首相が国会で100回以上も嘘をつき、嘘をついても秘書のせいにすれば見逃されるような状況が対外的な信頼を低下させているのに、裁判所までこの有様では、日本の信頼は更に悪化してしまう。
対外的な信頼をこれ以上失いたくないなら、こんな状況を恥だと思うのなら、有権者は選挙と国民審査でしっかりと意思表示をしないといけない。