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痴漢の大半を罪に問えなくなるような判決

 予想外のことが突然起きた時に、冷静でいられる人はそんなに多くない。多くの人は気が動転してしまい、普段ならできることができなくなったり、冷静なら考えられることを全く思いつかなくなったりする。中には頭の中が真っ白になってしまう、なんてケースもあったりする。

 十数年前のある夜に、友人Aが友達と2人で郊外のドン・キホーテに買い物に行き、駐車場に入ろうとしたところ、自分の前にいたヤンキー風のセルシオが突然停車し、停車したかと思えば急にバックし始め、Aのクルマの前方にぶつかってきた、ということがあったそうだ。ぶつかったのに誰も降りてこないので、Aがクルマを降りてセルシオの運転席に声をかけにいこうとしたところ、Aが運転席から降りたのを見計らって、セルシオはバックでAのクルマを強引に押し出して逃走を図った。所謂当て逃げである。
 Aはすぐに運転席に戻りセルシオを追跡した。Aはセルシオのナンバー4ケタを読み上げ、助手席の友達に「メモっておいて!」と指示して追跡に専念したのだが、Aのクルマは軽ワゴンのため非力で、セルシオは猛加速と信号無視でAを振り切っていったそうだ。
 セルシオに逃げられてしまったAは、すぐさま110番して出来事の一部始終を説明し、友達にメモってもらったセルシオのナンバーも報告しようとしたところ、Aの友達が携帯にメモっていたナンバーは何故か5ケタだったそうだ。その友達も免許もクルマも持っていたので、日本の車両ナンバーの数字は4ケタであることは当然常識的に知っている。だから5ケタに聞こえたならば、冷静ならすぐにAに聞き返したはずだ。ナンバーが車両特定の重要な手がかりであることも理解していたはずだし。しかし当て逃げされたことに動転したのか、4ケタのナンバーをメモるという、平時ならとても簡単でなんでもないことができなかったのだ。ちなみにこれはドライブレコーダーが普及する前の話である。

 こんな風に、人間は予想外のことが突然起きると、思いのほか冷静でいられないものである。


被害者を支え、性暴力のない社会目指す会 全国有志が結成 富山

 毎日新聞のこの記事が、誰かのツイートによって目についたのは数日前のことだった。全国の有志が賛同して「『性暴力のない社会』をめざす会」が、5/27に富山市で発足したことを伝える内容で、記事には

富山地裁の裁判員裁判で、性犯罪事件としては初の無罪判決が出されたことがきっかけ。判決では被害者が「大声で助けを求めなかった」ことなどから「同意がなかったとは言えない」と判断した

とある。この裁判を知らなかったので検索してみたところ、チューリップテレビによる次の記事があった。

“あいまいで信用できない?”性犯罪被害者の心理とは…無罪判決で考える「一般感覚」と「時代錯誤」 | 富山県のニュース|チューリップテレビ

被告の男性と被害女性は、知人グループで居酒屋で酒を飲んだ後、被告男性が滞在していたホテルの部屋に移動して会話をしていたが、しばらくして被害女性がベッドで寝てしまうと知人らは2人を残して退室した。その後被告の男性は、寝ている女性に覆いかぶさるなどの暴行を加えて性交しけがをさせた、という件について、性行為に関する同意があったかどうか、おそらく暴行や強制性交などの罪に当たるかが問われた裁判だったようだ。

 この件では裁判員制度を利用した裁判が行われており、判決は決して裁判官だけが下したわけではないのだろうが、裁判官は、

女性は当時の記憶があいまいで、大声で助けを求めないなど不自然な点があり『性行為に同意していない』とする証言には疑いが残る

などとして無罪判決を出している。
 女性の記憶が曖昧なのかどうかは記事からは推察しにくく、果たしてその判断が妥当なのかどうかはよく分からない。しかし「大声で助けを求めないなど不自然な点があり『性行為に同意していない』とする証言には疑いが残る」という部分から考えると、裁判官の認識は決して適切とは言えないのではないか。

 被害者の9割が泣き寝入り・痴漢された際の行動は24%が怖くて何も出来ない26%が我慢する、その後の行動は43%が誰にも相談しないで、警察に通報するのは5%、駅員に通報は6%。痴漢に関するこんなデータがある。

 このデータを勘案すれば、「大声で助けを求めないなど不自然な点があり『性行為に同意していない』とする証言には疑いが残る」だから無罪、という判断が妥当なのだとしたら、殆どの痴漢行為は罪に問うことができなくなるのではないだろうか。痴漢行為に関しては迷惑防止条例違反などに該当するから、痴漢行為に関しては被害者が大声で助けを求めなくても罪に問われるだろうが、大声で助けを求めないなら同意しているという認識が妥当なら、痴漢行為の大半は同意の下での行為ということにもなりかない。それでは痴漢行為は強制わいせつ行為ではなく公然わいせつ行為になり、被害者までもが罪に問われることになってしまいそうだ。
 この裁判官、そして裁判員たちは、たとえば性暴力事案でなかったにせよ、銃や刃物を突きつけられて脅迫された場合などにも、大声で助けを求めるんだろうか。そんなことをしたら更に暴力に晒され、場合によっては殺されてしまうかもしれない、という恐怖は頭に全くよぎらないんだろうか。そして、恐怖で抵抗できなかった、助けを求めることができなかった場合に、「抵抗しなかったんだから、助けを求めなかったんだから、行為に同意していたんだよね?」と言われて納得できるんだろうか。
 判決はおそらく、大声で助けを求めていなかったことだけを理由にした判断ではないんだろうが、チューリップテレビの記事から推察するに、記事が恣意的に書かれていないのであれば、裁判員や裁判官、少なくとも裁判官が、それを判断の大きな材料にしたであろうことは間違いないだろう。痴漢行為の大半を正当化できてしまうような判決を裁判所が下すのは非常にまずい


 ただ、少しだけ付け加えると、チューリップテレビの記事の中で、「性暴力のない社会」をめざす会のメンバーが、

被害者は、被害を受けたとき本当に混乱の中にいます。意識を飛ばす方もいます。しっかり記憶があるということ自体、本来ない状況だと思っています。そのへんの心理的なものが全く理解されていない

と言っているのは少し気になる。冒頭でも書いたように、予想外のことが突然起きた際の人の記憶は、気が動転してしまうことによって曖昧になりがちだ。たった4ケタの数字を正確にメモすることすらできなくなってしまうものである。しかし一方で、曖昧な記憶で罪に問われるのも怖い。手術の際の麻酔などの影響でせん妄状態にある患者による、医師に性暴力を振るわれたという訴えをしばしば見かけるが、女性の記憶が曖昧なようであれば、この件にはそれと似た要素もあるかもしれないし、女性が現場では同意していたのに後に正反対のことを言い出した恐れも全くないとは言い切れない。性行為に関する同意があったのかなかったのか、は記事の内容からだけでは判断しにくい。

 しかしそれでも、富山地裁の「大声で助けを求めないなど不自然な点がある」という判断の根拠は、全く受け入れがたいものであることに違いはない。こんなレベルの低い認識の裁判官や裁判員に不運にも当たってしまったらたまったものではない


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