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死にたくなる、なんてのは生物的に不自然

 6/14、DOMMUNE で映画監督 崔 洋一の特集番組を配信していた。本来は5/28の配信だけで崔 洋一特集を配信するはずだったが、DOMMUNEにありがちな5時間生放送に企画が収まりきらない、ということで、その続き、完結編が6/14の配信だった。6/14の配信では、主に1990年代以降の崔 洋一作品に関するトークが繰り広げられた。

 当然、彼の代表作の一つである、血と骨にも触れられており、配信を見ていて同作をもう一度鑑賞したくなった。血と骨はかなりシリアスな作品であるし、上映時間も2時間を超える大作なので、見るのには相応の覚悟と時間の確保が必要になる。だから翌日にーと気軽に見るわけにはいかず、その週末の夜に、事前に見ることを予定して心の準備を整えた上で鑑賞した。

 同作は、原作者の梁 石日が、父親をモデルにしてその横暴さ・凶暴性を描いた作品だ。父親を演じたのはビート たけしである。どのシーンも衝撃的な映画だが、中でも強く印象に残っているのは、田畑 智子演じる主人公の姉・金 花子の首吊り自殺シーンだ。
 花子は理不尽で横暴な父から逃れようと、本当は結婚したくなかった男と結婚する。しかしその男もまた父と同様に暴力男だった。その暴力夫から逃れる為にアパートを借りようとして、主人公に借金の打診をするのだが、主人公はそれを断るのだ。しかも主人公は、花子が過去に横暴な父に嫌気が差して、猫いらずを食べて自殺しようとしたが死にきれなかったことを持ち出して、自殺を煽るようなことまで言ってしまう。その結果、花子は実家の2階で首を吊って自殺する。


 昨日の DOMMUNE は月イチの映画紹介/論評企画・MOVIE CYPHERで、取り上げられていた映画の中に PLAN75 があった。同作品は、少子高齢化がさらに進んだ近い将来の日本で、75歳以上の高齢者に生死の選択権を与える制度・プラン75が国会で可決・施行された、という設定で、制度の対象者たちや市役所の職員など周辺の人々の振る舞いを描いている。
 先進国を中心に、既に安楽死が合法化されている国は少なくない。しかし、自分はまだこの映画を見てはいないので、どんな話なのかは知らないのだが、同調圧力が非常に強く、自己責任論が激しく他人に冷たい人が多い日本では、死の権利を制度化したら、役立たずは死ね、という風潮が高まるとしか思えない。

映画『PLAN 75』予告編 - YouTube

 また、そもそも積極的/ポジティブに死にたくなる、なんてのは生物的に不自然であって、人が死にたくなるような社会は不健全としか言えない。安楽死については、よく不治の病が取り沙汰されるが、それは決して積極的/ポジティブな死の選択ではない。現在の状況では回復の見込みがない/低いから、という理由が背景にある、消極的/ネガティブな死の選択だ。
 勿論、自分の不手際や怠慢によって絶望的な状況を招き、それによって自暴自棄になるケースもあるが、しかしそれは全ての自殺に当てはまるような話では決してないし、特に未成年者なら、そんな精神状態に陥るのは環境がおかしいケースの方多いだろう。つまり、自殺だって、実際は自殺ではなく周辺の影響による間接的殺人だし、生きるのに疲れる人が多数出るならその社会は確実にいびつであり、自殺の大半は社会が人を殺す、社会による殺人とも言えるのではないだろうか。


 選択されたのは自殺ではなかったが、6/21に発生した、ネットカフェの女性店員を人質にした立てこもり事件で逮捕された男が、「自分の人生に嫌気がさした」「事件を起こせば刑務所に戻れると思った」と事件を起こした動機について語ったそうだ。

「あきらめて餓死するかホームレスになるしかない(60代男性)」。参院選で問われる命・生活へのまなざし | ハフポスト NEWS

 似たような事件は他にも多数あって、たとえば、2019年5月に川崎市で発生した、スクールバスを待つ児童を狙った通り魔が、被害者らを切りつけたのちに自分も首を切って死亡した件や、2015年6月に発生した、男が新幹線車内で焼身自殺を図り、女性1人が巻き添えとなって死亡した件などだ。
 このような事件が発生すると、怒りにまかせて、死にたければ勝手に死ね、とか、他人に迷惑をかけるな、のような言説が多数出てくる。SNS上だけでなく、テレビのワイドショー番組で、芸人コメンテーターなどが公然とそう言い放ったりもする。彼らは被害者に感情移入してそう言っているんだろうが、果たしてそんな単純なことで済む話だろうか。勿論、他人に危害を加える暴力行為は断じて容認できないものの、死にたければ勝手に死ね、なんて言うのは、自殺したければ勝手に自殺しろ、と言うようなもので、何も解決しない感情的な主張としか思えない。ある意味では冷たいとすら思う。なぜなら、誰かが自暴自棄になってしまうような社会を改善しよう、という姿勢が全く見えないからだ。

 そんなことから考えると、PLAN75 のことに触れた際に書いた自分の見解・同調圧力が非常に強く、自己責任論が激しく他人に冷たい人が多い日本では、死の権利を制度化したら、役立たずは死ね、という風潮が高まるとしか思えない、というのは、決して間違いではない、と思うのだ。


 連日のように、長らく与党である政党が、同性愛蔑視としか言えないような資料を内部で配布していたとか、裁判所が性産業は不健全であるから国が支援の対象から外したのは合憲という判決を出したとか、そんな話が聞こえるのに、有権者の大半がそれでもまだそんな政治を支持し容認し続けるのだから、自暴自棄になってとんでもない事件を起こす人が現れたり、自殺してしまう人が多いのも、さもありなん、としか思えない。

 傾向として、日本人は確実に他人に冷たいし、この国は確実に病んでいる。



 トップ画像には、吊りロープ ロープ 絞首刑執行人 - Pixabayの無料ベクター素材 を使用した。

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