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日本社会全体への不信

 いじめられている子が、自分の味方だと思っていた友達も実は裏で自分のことを中傷していたとか、いじめが辛くて先生に相談したら、学校や先生がいじめを認めてくれなかったり、最悪いじめに加担したりしたら、人間不信に陥るだろう。最後の砦だと思っていた人に裏切られたら、その後は誰も信用できなくなるのも当然だ。


 また、同じような裏切りや不当な対応が繰り返される場合も不信に陥ることがある。例えば就職した会社がひどいブラック企業で、そこで働いている他の人達もそれに慣れきっていて、そのコミュニティではあたかもそれが当然、のような場合、そこを辞めても、次も似たりよったりな会社ではないだろうか?という疑念にかられて、就職に前向きになれない、なんてのはよく聞く話だ。
 日本は本当に不当な労働環境が公然とまかり通るブラックな会社が多いので、実際に連続でそんな会社に就職してしまったという話も複数聞いたことがある。そうなると、不信は更に強まり、どこ就職しようがまともな就職などできない、という気持ちになってしまうのも無理はない。実際にはまともな企業もあるんだろうが、ブラックな企業が多ければ、3度/4度連続でそんな会社に就職してしまうこともあるだろう。
 人によっては、そんなのはよく調べないで就職するんだから自業自得だ、みたいなことを言う人もいるだろうが、果たして本当にそうか。自分には全くそうは思えない。たとえば、交通取締りに関しては、事故が起きると誰かが命を落としかねない、重大な怪我をしかねないということで、予防的な観点から、事故を起こさなくても、一時停止で停止しないだけで取り締まられる状況だ。労働環境だって、場合によっては人を死に追い込むし、命は落とさなくても、強い人間不信に陥るなど、人の人生を大きく左右しかねない。しかしなぜか後者は、交通取締りに比べたらほぼ野放しも同然だ。もしブラックな企業に就職してしまうのが自業自得なら、交通違反による事故で命を落とすのも被害者の自業自得になってしまうのではないか。


 7/10投開票の参議院選挙でも、事前の票読み通りに自民党が最も議席を獲得した。選挙後に行われたある調査によると、参院選で何を最も重視したかを聞いたところ、物価高対策・経済政策との回答が42.6%で最多だったそうだ。同時に行われた支持率調査によると、岸田内閣の支持率は6月の調査に比べ6.3ポイント上昇し63.2%で、昨年10月の内閣発足以来、最も高い支持率だったそうだ。

 今回の参院選に限ったことではないが、日本は先進国で唯一同性婚を制度化しておらず、世界で唯一別姓も制度化していない国なのだから、投票の際に最も重視されるべきはそれらなのだ。選挙の争点は個人個人で違って何も問題はないものだが、同性婚は同性愛者らの、そして別姓は女性の人権にかかわることであり、それらがない日本は、同性愛者や女性の権利をないがしろにしている状態だと言える。
 つまり日本には人権問題が存在し、法の下の平等が実現していないのだから、それらが最優先課題だと言うのは全くおかしなことではないし、寧ろ人権問題を差し置いて、経済だのなんだのと言うのは、他人の人権問題よりも自分の生活優先という考え方で、自分にはそれは人でなしだとしか思えない。そのような態度は、自分の人権問題でないなら後まわりでよい、と思っているとしか考えられないからだ。
 しかし日本人は、人権問題よりも経済を重視し、同性婚も別姓も制度化しようとしない、というよりも寧ろ実態は同性婚や別姓を否定する政党を、今回の参院選でも再び与党として追認した格好だ。日本人は同性愛者や女性の人権を軽視する政党を選びつ続けているのだから、日本人の半数以上は同性愛者や女性の人権を軽視する人たちだと言っても過言ではない。
 自分と同じコミュニティに属する人たちの半分以上が人権を軽視する人たち、ということならば、漠然とした人間不信に陥るのも不思議ではなく、今まさに自分はそんな気分である。


 それはこれまでの選挙後にも毎度感じてきたことだが、しかし今回はこの不信感は更に大きなものになっている。なぜなら、選挙終盤の7/8に元首相の安倍 晋三が銃撃され命を落とす事件が起きたからだ。

 どういうことかと言えば、これは選挙後の7/13の自分のツイートだ。

 ファストフード店で昼食をとっていたら、隣の席の女性2人がこんな話をしていた。アベの実績が凄い?一体何が? アベミクスとやらは株価は上げたが、それがもたらすとされた好循環、賃金の上昇は一切生まれなかったし、外交だって北朝鮮拉致問題は決意芸を繰り返すのみ、北方領土問題は明確に後退させた。女性活躍を長年謳いながら、日本の男女格差は一項に改善せず、202030:2020年に指導的役割における女性の割合30%の目標も達成出来ずに10年先送りした。消費税増税をする一方で社会保障は後退させている。アベの実績なんて一体どこにあるのか。
 このツイートへ「自分のタイムラインにも、この種のことを言っているツイートが多数流れてくる」という反応があったので、少し検索してみたら、普段政治に関してあまり言及していないようなアカウントが、選挙とアベの事件に関連してこんなふうに言っているツイートが多数あった。

 次のツイートは、7/15の官房長官会見に関するもので、

官房長官の松野が、「卓越したリーダーシップと実行力で、日本経済再生、外交等、大きな実績を残され、その功績は誠に素晴らしいものであること等を勘案した」と、前段の話と同じ様なことを、アベの国葬に関する質問の中で述べている。
 つまり、この官房長官の、いや政府の認識を、過半の市民が賛同しているかどうかは別として、少なくとも否定してないということだ。なぜなら、現与党の自民党が先の参院選でも勝利を収めた、有権者から最大の支持を集めたのだから。SNSにも似た投稿は多々あるということは、このようなことを言ってない自分の周りの人たちも、言わないだけで実際はそう思ってるのかもしれいない、という人間不信に陥る。

 これはアベの国葬に関する質問だったが、同性婚や別姓については「様々な意見あるから議論が必要だ」と言って長年制度化を留保、というか実質的には否定しているくせに、国会で3ケタ以上もの嘘をつき、公的な文書やデータの改竄や捏造や隠蔽をやりまくった首相の国葬や、原発再稼働などは「様々な意見」があっても強引に押し切る。  そして日本人はそんな与党を選び続ける。アベの国葬や、原発再稼働も、様々な意見があることは誰の目にも明らかなのに、多数派こそ正義、多数派こそ正しいと思ってる愚か者が多すぎだ。
 本来は国がすべきことなのに、国がやらないから民間がやっている子ども食堂は応援するだけ、一方で嘘まみれの首相の国葬は、億単位の金がかかるのに国会で審議もせずに勝手にやると決める政治を、そして、同性愛者や女性の人権が軽視、というか否定され続けているのに、それに目を向けずに、人権否定する政治を選ぶ人・擁護する人の方が多いということも、日本社会・日本人に対する全般的な不信を感じざるをえない理由だ。


参考:


 トップ画像には、仲間外れ – イラストストック「時短だ」を使用した。

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