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僕らを乗せたシャトルが すごいスピードで飛んで行く

 ライブハウス武道館へようこそー これは、BOOWYのボーカルだった氷室 京介が、1986年に行った日本武道館でのライブで発したセリフだそうだ。BOOWYの解散は1988年で、当時自分はまだ音楽に興味を持っておらず、リアルタイム世代とは言えないだろうが、BOOWYの人気はカリスマ的で、それから数年後に自分が中学生になってもまだその人気は衰えず、不良に憧れるようなタイプは必ず聞いていた。

 だから文化祭では毎年1組はBOOWYのコピーバンドが演奏していた。文化祭では体育館のステージで演奏が行われるのだが、一体日本中で何組の中高生BOOWYコピーバンドが、ライブハウス体育館へようこそ! と言っただろうか。ライブハウス武道館へようこそ、はライブアルバム・GIGSにも収められていて、自分もそのアルバムで聞いたクチだ。だからBOOWYを通った者なら誰でも知っているようなセリフだ。実際に文化祭などのステージ上でそうは言わなくても、話のネタにしたケースも加味すれば、その例は数え切れない程だろう。

 自分が初めて武道館で見たライブは JUN SKY WALKER(S) だった。当時一番中のよかった友達がファンで、一緒に見に行くことになった。ジュンスカは1980年代後半から1990年代初頭、つまりバブル期と重なる所謂バンドブームの頃の代表的なバンドの1つで、パンクぽさがウリのバンドだった。歩いて行こう、Let's go ヒバリヒルズ、START などのヒットが印象的だった。
 彼らの6枚目のアルバム・Too BAD の6曲目に PARADE という曲がある。

JUN SKY WALKER(S) - PARADE [2008.10.26] - YouTube

この曲のサビに、

僕等を乗せたシャトルが、大人という季節をものすごいスピードで飛んで行く 20世紀の窓から誰かが僕に手を振ってる

という歌詞がある。歌詞全般を見ると、この部分は10代はあっという間に過ぎ去っていくけど、それは嘆くべきようなことではなくて、その先にはもっと素晴らしいことが待っている、のようなニュアンスだろう。10代の頃は大人がクソに見えることは多々あったし、また高校を卒業して社会にでれば、我慢しなければならない理不尽にさらされたりするなど、しがらみも増える、みたいな認識を持つことも少なくなかったが、この曲はそんなことばかりじゃない、ということを歌っているように見える。
 少なくなくともジュンスカの面々は、高校を卒業してからも自分たちがやりたい音楽活動・バンドを続けそれを生業にしていたわけだし、「彼女は制服を脱いで口紅を塗った 僕は制服を脱いで法律を知ったけど それは大した事じゃない もっと素敵なパレードが始まろうとしてる」という歌詞からも、そんなニュアンスをうかがうことができる。

 この曲のことを思い出したのは、本当にものすごいスピードでおかしな方向に飛んでいっている、この10年の日本の転落っぷりからの連想だった。まさか政府が公文書や統計を改竄したり、カルトと深刻なほど癒着したり、憲法を無視して一方的に集団的自衛権を容認したり、国会招集要請を無視したりするようになるなんて、1990年代に一体どれほどの人が予想できただろうか。1990年代初頭にバブル経済が崩壊し、そして阪神淡路大震災やオウム真理教が起こした地下鉄サリン事件など、1990年代も決して明るい時期ではなかったものの、当時は今がどん底だと思っていたし、バブル経済が崩壊したとは言え、日本はまだ世界第2位の経済大国だったし、我々の国は世界に冠たる先進国だという自負もあり、今のようなめちゃくちゃなことが起きる、常態化するなんてほとんど誰も思わなかっただろう。
 そんなことを考えると、20世紀の人たちが今の日本を目の当たりにしたら皮肉を込めて「お達者で~」と手を振るのではないだろうか。

 このPARADEの作詞作曲は、絶頂期のベース担当・寺岡 呼人だ。寺岡は1997年の解散よりも前の1993年に脱退、2007年の再結成時に再び加入、そして昨年2021年に再び脱退している。寺岡はジュンスカ脱退後、ソロ活動と平行して ゆず などのプロデュースも行っていた。
 その ゆず の、2018年に ガイコクジンノトモダチ という曲の歌詞が話題になった。注目されたのは、

この国に生まれ 育ち 愛し 生きる
なのに 知らないことばかりじゃないのか?
この国で泣いて 笑い 怒り 喜ぶ
なのに 国歌はこっそり唄わなくっちゃね
美しい日本 チャチャチャ 
外国人の友達が祈ってくれました
「もう二度とあんな戦いを共にしないように」と 
TVじゃ深刻そうに 右だの左だのって
だけど 君と見た靖国の桜はキレイでした 
この国で生まれ 育ち 愛し 生きる
なのに どうして胸を張っちゃいけないのか?
この国で泣いて 笑い 怒り 喜ぶ
なのに 国旗はタンスの奥にしまいましょう
平和な日本 チャチャチャ
美しい日本 チャチャチャ

などの歌詞だった。過去には公式サイトに「今年も呼人さんと靖国参拝」などと投稿していたようだし、寺岡 呼人も、ゆず、少なくとも 北川 悠仁も、以前からそういうタイプの人だったということだろう。

 寺岡 呼人のサイトのWebアーカイブを見ると、千鳥ヶ淵と靖国では情緒が違い、靖国でないとダメだ的な投稿(2007年)もある。

 この感覚が今も変わっていないことは、彼のツイッターアカウントを見てもよく分かる。彼は熱心な高市 早苗支持者のようで、高市のツイートや肯定的なツイートに複数のいいねを付けている。

 今もまだ同性愛や同性婚を否定し、諸外国から奴隷制と批判される実習生制度を続け、入管虐待死を隠そうとし改善しようとしない政党を支持する人が、90年代に「僕等を乗せたシャトルが、大人という季節をものすごいスピードで飛んで行く 20世紀の窓から誰かが僕に手を振ってる」って歌詞を書いていた。寺岡 呼人こそが、ものすごいスピードでおかしな方向にぶっ飛んでいったんだ…という感しかない。

 すぎやまこういち や糸井 重里、漫画家の弘兼 憲史、そして音楽業界で言えば 世良 公則やデーモン小暮や嘉門 達夫、K DUB SHINEやDJ OASISなど、自民支持やゆるふわ愛国に傾倒したクリエイターやアーティストは少なくないが、芸術とは作品そのものに価値があるだけでなく、それが誰によって、どんな人によって生み出されたのか、というストーリーにも間違いなく価値があるものだ。そういうことを考えると、今もまだ同性愛や同性婚を否定し、諸外国から奴隷制と批判される実習生制度を続け、入管虐待死を隠そうとし改善しようとしない政党を支持するクリエイターやアーティストによる作品に、果たして価値はあるだろうか。


参考


トップ画像には、スペース ロケット 夜 - Pixabayの無料画像 を使用した。

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