(佐川宣寿前理財局長の)国会答弁に合わせて書き換えたというのが全体の流れではないか。従って書き換えという言葉を使っている
書き換えられた文書の内容を見る限り、少なくともバツをマルにしたとか、白を黒にしたとかいうような、いわゆる改ざんといった悪質なものではないのではないか
昨日・5/29の衆院財務金融委員会で麻生大臣が主張した、財務省内で起きた公文書改ざんに関する見解だ(毎日新聞の記事)。この発言は当然強い反発を招き、また即座に多くのメディアによって報じられたことを受けてだろうが、午後の参院財政金融委員会で「白を白に変えてもダメな時はダメ」「動機が悪質でなくても結果として与えた影響が大きかった」などと述べ、一部見解を修正するような姿勢を見せたようだが、それでも結局彼の考えは根本的には変わっていないことが窺える。
佐川氏の発言に整合性を持たせる為に公文書が書き換えられた、というのが全体の流れだ、と麻生氏本人が認めているということは、佐川氏が国会審議の中で虚偽答弁を行ったことは麻生氏も認めているのだろう。答弁が公文書と矛盾しない内容、要するに嘘でなければわざわざリスクを冒して答弁に合わせて公文書を書き換える必要などないだろうし、「破棄した」という答弁に合わせて公文書を破棄する必要もないだろう。答弁に合わせて、答弁後に廃棄が行われたことは既に明らかになっており、言い換えれば、財務官僚による虚偽答弁が国会で行われ、虚偽答弁を隠す為の公文書の改ざん・隠蔽が行われたというのが全体の流れだと、麻生氏も理解していると言えそうだ。
このような状況で「公文書は書き換えられただけで、改ざんと言うべき悪質性はない」なんて見解を示せるのは、一体どんな思考回路なのだろうか。麻生氏が「佐川氏の答弁に合わせて公文書が書き換えられた、廃棄されたという事実はなく、適切な範囲内で修正が加えられただけで改ざんと言うべき悪質性はない」と言っているなら、全く賛同・容認は出来ないものの、話の筋としての合理性は保たれているようには感じられる。しかし、冒頭のような矛盾する考えを、しかも国会審議の中で恥ずかしげもなく堂々と言ってのけるようでは、話の内容だけでなく、その思考方法にも強い矛盾を感じる。彼は状況を都合よく曲解しているようにしか思えないし、もっと厳しく言えば、自分が何を言っているのかもよく理解できていないのではないか?と強く感じる。
一応路線変更する姿勢を見せてはいるようだが、本質的には午前・午後の発言内ように大差があるとは思えないし、発言を修正、またはもし今後撤回したとしても、一度、しかも公の場で主張した発言なら尚の事、全くなかったことになるわけではない。
首相や政権・自民・公明党などは、野党側が要求している麻生大臣の辞任・罷免に関して「麻生氏には、財務省の問題を解明し再発防止策を講じることで、その責任を果たして貰いたい」という見解を以前から示している。今回の件のような麻生氏の発言・姿勢は決して初めてではなく、少なくとも改ざん発覚以降も再三繰り返されてきた。率直に言って、事態を軽視するような認識を示している麻生氏が大臣である限り、財務省の改ざん・隠蔽を改善することは出来ないように思う。言い換えれば、麻生氏に問題を解明して再発防止策を講じられる能力があるとは到底思えない。首相の言葉を借りれば、彼こそが膿の元凶であり、組織のトップが膿んでいるのであれば、その組織内に更に膿が広がっていくのだろう。
「公文書は書き換えられただけで、改ざんと言うべき悪質性はない」なんて見解を示せる麻生大臣に関して、「麻生氏には、財務省の問題を解明し再発防止策を講じることで、その責任を果たして貰いたい」などという姿勢を首相が変えない限り、彼の「うみを出し切る」という言葉は舌三寸だということにもなりかねない。
更に危惧を感じるのは、5/19の投稿でも触れたように、大阪地検が公文書の改ざん、そして国会審議を停滞させるなどの背任に関しても、不起訴の方針であるということだ。行政機関を統括している政権が適切な判断能力に欠け、更に立法府の最大勢力である与党自民党も同様で、挙句の果て司法の一部もそこに忖度するようでは、今後は都合が悪い文書はどんどん改ざんされ、若しくはどんどん捨てていくような国になってしまうのではないか?という懸念を感じる。言い換えれば、その内、お上は絶対で逆らう者は容赦なく弾圧されるような、中国共産党が支配するような国に、日本もなってしまうのではないか?と懸念してしまう。