6/12、ここに至るまでには紆余曲折あったが、当初の予定通り米朝首脳会談が行われた。日本ではメディアが「歴史的」と評価し、新聞などは号外まで出している。昨日はどのメディアもこの件で持ち切りだった。TOKIO山口氏の事件が発覚した日と同じくらいレベルで一色だったかもしれない。自分が昨日、テレビや新聞、ネットでこの件の報道を見ていて感じたのは、記事件数は多いが中身が薄いという印象と、海外メディアも含めてメディアによって評価がかなり異なるという印象だった。このような状況から判断すると、会談自体が、開催以前からの大方の予想通りに、単なる顔合わせの側面が強い内容は薄いものだった、ということではないか?と考える。
確かに、史上初の米朝首脳会談が行われたことは「歴史的」な出来事という評価で何もおかしくはない。 ただ、特に米大統領が物事を必要以上に大きく見せようとしており、一部のメディアも注目が集まれば商売になるからだろうが、意識的か無意識的にかは定かではないが、それに乗じている側面があると感じる。事前に開催が決まっていた会談が行われたことに号外を出す新聞社など、その最たる例ではないだろうか。
中間選挙が念頭にあるトランプ氏が、会談を出来る限り大きな事案に見せようとするのは当然のことだ。また、米朝会談が実は単なる顔合わせだったとしても、史上初の会談であることには違いない。例えばG7だって、既に実務的な意味ではG20があり、「年に一回各国首脳が実際に顔を合わせる会になっており、しかしそれこそが重要だ」という見解もある。面と向かって対峙することには確実に意味がある。だから史上初の会談に漕ぎ着けたことは適切に評価するべきだと思う。
ただ、会談の後に署名した共同声明の内容は、ある意味では予想通りだったが、別の視点で言えば予想通りのものでしかなかった。しかしトランプ氏は何故かそれを誇らしげにアピールしている。会談後の記者会見で、当初掲げていた「CVID:完全(Complete)かつ検証可能(Verifiable)で不可逆的(Irreversible)な非核化(Denuclearization)」の内の、完全にしか共同宣言に盛り込まれていなかったのでは?と問われると、「時間がなかったから」としたり、金正恩が嘘をついていないと言える理由は?と問われると「強くそう感じたから」などと答えるなど、首を傾げたくなるような場面もしばしば見られた。
個人的には、メディアが注目が集まる事案に対して、ここぞとばかりに注力するのは構わないが、スタンスを誤るとトランプ氏や、日本では、それに追従する姿勢を滲ませる日本の首相の思惑に、まんまとのせられることになりかねないと感じる。
日本人の視点で考えれば今回の米朝会談は、非核化と同じくらい拉致問題の解決、いきなり解決は無理だとしても進展があるのかないのかに注目が集まっていたと言っても過言ではないだろう。G7があったこともあるが、その為に首相は直前にトランプ氏に念押しをする為、首脳会談を行っていた。
しかし、米朝会談後の報道に拉致問題に関する情報は殆どなかった。拉致問題に関しては、トランプ氏が会談後の会見の中で「間違いなく、拉致問題を議題にした」「安倍首相にとって重要な問題だ。共同声明には盛り込んでいないが上手くいくだろう」などと述べたそうだが、共同声明に盛り込まれなかった理由は、これについても「時間がなかったから」などとしたようだ。率直に言って、トランプ氏にとって拉致問題は優先度の低い問題であることが如実に分かると言えるだろう。議題にした・問題提起したなんて、一言「日本の首相が拉致問題も…って言ってたよ」と言っただけでも、「した」と言えるだろうし、「うまくいくだろう」だってトランプ氏が強くそう感じれば、そのように表現できる話だ。しかも彼は言う事をコロコロ変えるような人物でもある。
拉致問題に関する具体的な話が一切ないだろうというのは以前から予測できたことだが、実際に予想通りにしかならなかったにもかかわらず、なぜか「トランプ氏に対し私から話したことをしっかりと言及していただいたことを高く評価する。明確に提起していただいたことを感謝したい」などと言っている。彼もトランプ氏同様、米朝会談での拉致問題についての話を過大な評価をして、自分は精一杯やっているしトランプ氏もそれに答えてくれたとしているとしか思えない。
ただ、「拉致問題は日本が直接、北朝鮮と向き合い、2国間で解決していかなければならないと決意している」とも述べているので、やっと「対話の為の対話では意味がない」という、拉致問題解決に全く消極的な態度からは脱したことだけは評価できる。しかし、気付くのが余りに遅すぎるというマイナス面の方が確実に大きい。
なぜ、不当な関税を強いられそうになっても、何度再発防止を要請しようが米軍機の事故が相次いでも、首相がトランプ氏に対して「100%共にある」と言い続けるのか。それはバカの一つ覚えのように「対話の為の対話」云々と言い続けていたのと似たようなことでもあるだろうし、そして彼とトランプ氏が「自分大好き」「自分に甘い」という点で似た物同士だからなのだろうと自分は考える。
各メディアには、米朝交渉・非核化・拉致問題に関して、彼らの思惑に結果的にのせられるようなことにならないように、評価するべき点は評価し、彼らの過大評価には過大評価だという評価を下すような姿勢で臨んで欲しいと思う。結論から言えば、少なくとも昨日は、多くの日本のメディアは大騒ぎしすぎだったと自分は感じた。要するに日本のメディアも米朝会談を過大評価していたのではないか?ということだ。