ネット上のニュースや口コミサイトなどにせっせとコメントする人ってどういうモチベーションなのでしょうか?
6/13のテレビ朝日・マツコ&有吉 かりそめ天国で取り上げていた視聴者の主張だ。この番組では毎回いくつかの視聴者の素朴な疑問・主張を取り上げ、マツコ・デラックスさんと有吉弘行さんが持論を述べている。自分は時に共感することもあるし、時にかなり違和感を覚えることもある。それは二人が率直に自分の受け止めを述べているからであって、ごく普通のことで興味深いと思って見ている。ただ、テレビで不特定多数に発信していること、この二人は所謂インフルエンサーであり、それなりの影響力を持っていることをもう少し考えて欲しいとも思う。昨日のこのテーマに関しては、特にそれを感じた。
その視聴者の言う「ネット上のニュースや口コミサイトなどにせっせとコメントする人ってどういうモチベーションなのでしょうか?」という話は、Yahoo!ニュースなどのネットニュースや、食べログなどの口コミサイトへ投稿する人の気が知れないというような意味のようだ。番組ではナレーションで
私にはそこまで主張したい意見もないし、ズレた意見だったら恥ずかしいから絶対にできない。中には長文で書き込む人もいて、そのモチベーションは何?と思ってしまう。また、グルメサイトの投稿も、美味しいものは自分だけで楽しみたいので、書き込みたいとは思わない
という視聴者の投稿だと紹介されていた。これについて有吉さんは、「(投稿したことは)ないし、今後もそうなりたくないし」と、少しニヤニヤした表情で見解を述べており、書き込むタイプの人をあたかもバカにしている・見下しているかのように見えた。自分はほぼ毎日ニュースサイトにコメントを書き込んでいるし、しばしば長文にもなる。そんなこともあって、自分が見下されていうような気分にさせられた。
有吉さんは続けて「口コミサイトの人(に書き込む人)はある程度誰かのためにと思ってんじゃないの」と言うと、今度はマツコさんが「私凄いでしょ?も入ってんのかなぁ、こんなにいいところいっぱい知ってますよ、食べてますよもあんのかな?」と述べ「私は口コミは絶対信じない」と続けた。ちゃんとした人が殆どだろうとしながらも、サクラじゃないかと疑心暗鬼になっているから、という話だった。これについて有吉さんは「そんなことないんじゃない?」とフォローをする側に回っていた。
その後またネットニュースに話は戻り、画面にはネットニュースとは芸能ゴシップ記事などのことであると示唆するような画像を挿入した上で、二人の話は「世間話のようなものかな、居酒屋で飲んで仲間同士で話していることをそこに書いている」という方向だった。しかし最後に有吉さんは「書き込んでもいいし、何やってもいいんだけど、僕はそうなりたくないなというだけの話」と締めくくった。
恐らく、この流れから判断すると、取り上げた視聴者の主張とは少し話をずらして、前述したようにネットニュースとは主に芸能ゴシップ系の記事を想定していたのだろうし、有吉さんが「そうはなりたくない」と言っていたのも、匿名性があるのをいいことに、ネット上で過剰な正義感を振りかざしてボロクソ言い始めるような投稿を想定した上でのことだったのだろう。
しかし、ネットニュースという表現にはありとあらゆるジャンルのニュースが含まれるし、書き込むというだけではありとあらゆる姿勢の主張が含まれる。言い換えれば、番組を見た誰もがネットニュース=芸能ゴシップ、書き込み=ボロクソ言い始めるような投稿、と想定してくれるわけではない。そんな意味では誤解を生みやすい内容になってしまっていたし、前述したように、ネットに個人の主張を書き込むこと自体を、有吉さんがバカにしている・見下しているように見えてしまうような表現だったと自分は感じた。
また、書き込む人のモチベーションが分からないという人がいても何もおかしくはないが、率直に言って、書き込む側の人間からしたら余計なお世話としか言えない。6/12の投稿で書いた「”空気を読んで”黙ってろ」と言いたげなニュアンスを感じるし、寧ろ個人的には「ずれた意見だったら恥ずかしい、なんて人目を気にし過ぎていて息苦しくないの?」と聞いてみたい。
また、有吉さんがネット上で匿名であることをいいことに、過剰な正義感を振りかざしてボロクソ言い始めるような投稿を想定した上で「そうはなりたくない」と言っていたのだとしても、それにもある種の違和感を感じる。自分がネットニュースに書き込むようになったのは、テレビで好き勝手なことを言っているようにしか見えないコメンテーターが少なくないからだ。彼らはテレビというメディアを通して自分の主張を発信している。でも見ている側はそれに違和感を感じても、これまではモヤモヤするか、酷い場合はテレビ局に苦情を申し立てるくらいしか出来なかった。ただ、最近はニュース記事にコメント欄があって主張できたり、ツイッターで記事を引用してツイートするなど、テレビのコメンテーターには遠く及ばないが、テレビ同様不特定多数に向かって誰でも主張できるようになった。
要するに、テレビでニュースにコメントするコメンテーターも、ネットニュースに書き込む人も、モチベーション的には大差ないと自分は感じている。そんな風に考えると、「そうはなりたくない」と言っている有吉さんなどは、ワイドショーのコメンテーターはしていないようだが、いろんな番組でしばしば時事ネタを風刺するような発言をしているし、というかかりそめ天国でのトークだって、視聴者から寄せられる時事ネタ系の主張にがっつりコメントしているのだから、寧ろ既に「そうなっている」と言えるだろう。言い換えれば、有吉さんは自分のことを棚に上げて「そうはなりたくない」と言っているように見えた。
確かにテレビでタレントとして顔も名前もさらけ出すという、相応のリスクを負った上での主張と、ネットで匿名なのをいいことに好き勝手言うのとには差があるかもしれない。しかし、もしそれを批判したいのなら、ネットニュースの書き込み、という括りではなく、もっと批判対象を限定した上で批判するべきだと思う。
前身番組の怒り新党も含めて、これまでにも「テレビなんだから、もう少しよく考えて表現して欲しい」と思う事はあった。特に潔癖気味の二人が、他人の作った食事は食えない、という話を恥ずかしげもなくする時にそれを強く感じる。その感覚を否定するつもりはないが、そんな感覚でもおかしくないかのような風潮が広まったら、例えば災害などの場合に、避難所に身を寄せることもままならず、食事を提供してくれる他人の好意を踏みにじるような人が増えてしまいかねない。バラエティ番組なのである程度面白おかしくすることは許容範囲なのだろうが、テレビを通して一定の影響力を持っている人気タレントなのだから、番組制作側も含めて、もう少し誤解が生まれないような配慮をして欲しいと感じる。