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「最もセクシーな女性サポーター」特集は性差別?


 昨夜ロシアワールドカップ・グループ予選の最終戦、日本はポーランドに0-1で負けたが、辛くも決勝トーナメント進出を果たした。ただ、もし試合のスコアが0-2以下の結果になっていたら、得失点差で決勝トーナメント進出を逃す展開だったこともあり、後半の終盤はプレー内容が消極的だったことには様々な見解がしめされている。「最後まで正々堂々と勝負して欲しかった」「決勝トーナメント進出が目標なのだから当然の戦術」「あの内容で決勝トーナメント一回戦突破は期待できない」「予選前の親善試合でも予選突破は期待できないというのが大方の見解だった」などだ。
 個人的には、決勝トーナメント進出という、予選ラウンドの目標を達する為には当然の戦術だと思う。日本代表はこれまで決勝トーナメントでの実績は殆どないが、過去に強豪国がギリギリで予選を勝ち抜き、決勝トーナメントでは相応の結果を残した例は多くある。また、ルール内で時間稼ぎをするのは何も悪いことではないと思う。自分は中高とバスケットボールをしていたが、ごく当然の戦術だった。ただ、バスケットには30秒以上時間稼ぎをさせない為のルールが存在する。NBAではさらに厳しい24秒ルールがある。何故かと言えば、時間稼ぎは見ている側が面白くないからだ。そんな観点では否定的な意見が出てくることもある意味では理解出来る。


 ワールドカップは当然日本以外でも盛り上がっている。それはニュースを見るだけでも分かる。それを強く感じたのは、自分は世界中のYoutubeチャンネルをかなりの数フォローしており、毎日新着ムービーをチェックしているのだが、ワールドカップ開幕週末直前から、ヨーロッパ・南米を中心に各チャンネルの更新が極端に減るのを目の当たりにした時だった。
 そんな説明すら不要なほど注目度の高い世界的なイベント・ワールドカップについて、アメリカの大手画像配信サービス・ゲッティが、「最もセクシーな女性サポーター」というワールドカップ関連特集ページを公開したところ、批判が集まった為削除するに至ったそうだ(Football Tribeの記事「Getty、批判を受け「最もセクシーな女性サポーター」特集ページを削除」)。それに関してゲッティは、

 我々は失敗を後悔し、ページは削除しました。ワールドカップについてはたくさんの面白い話が存在するが、私たちはこれ(女性サポーター特集ページ)がそれらの中には入らないということを認めます

というコメントを表明しているそうだ。
 女性サポーターの特集には面白みが何もないとは一体どういう意味なのだろうか。この表現では、女性モデルやタレントなど容姿が評価の対象となる仕事をしている人達まで否定しかねないのではないか?と危惧する。確かに特集で取り上げられた女性たちはモデルではないかもしれない。しかし「美しい女性特集に面白みはない」は言い過ぎだと思う。
 また、この特集に対して、

今日公開されたGettyのリストはとても残念なものだ。彼らにはその規模と影響力から、サッカー界に存在する男性の優位性を止めなければいけないという責任がある

という批判を、女性サッカーサポーターのためのコミュニケーションサイト「This Fan Girl」のスポークスマンが表明してるそうだ。確かに男尊女卑の風潮が世界中にまだまだ残っているが、この特集がその象徴であるかのような批判は、ある種の言い掛かりだと自分は思う。何より美しいという価値観は否定できないし、美しい女性を見たいと思うのは男性だけではない。女性アイドルを「かわいい」対象と捉えファンになる女性は決して少なくない。勿論女性が美しいと思う女性と、男性が美しいと感じる女性の傾向には差があるだろう。しかしそれは単純に男女の差と明確に区別できるようなことではなく、個々の感覚の差でもある。そもそも、「最もセクシーな女性サポーター」特集を止めさせることが、「サッカー界に存在する男性の優位性を止める」のに有効な手段だとは思えない。サッカー界関係者への女性の進出を促進するなどの、ポジティブな手段を重視する方がより適当なのではないか。

 ゲッティもゲッティで、これしきで取り下げるなら最初からそんな特集などやらないで欲しい。個人的には「最もセクシーな女性サポーター」特集を取り下げるのではなく、「最もセクシーな男性サポーター」特集も作成するべきだったのではないだろうか。既にその手の特集をしているのに女性側だけ取り下げたなんてことはないだろうが、万が一そんな状況だったら性差別についての認識が高いとは言えないだろう。
 6/7の投稿で「ミスコンテストの是非」について書いた。ミスコンにしろ、セクシーな女性サポーター特集にしろ外見で評価することの一体何が悪いことなのだろうか、というのが自分の見解だ。外見で誰かを直接的に見下すようなことは勿論好ましくない。しかし、他の人が評価されることが、評価されない人を見下すことには当たるなんて言えないだろう。もしそんな感覚が正しいのなら、外見以外でも、例えば学力テストで優劣をつけることだって、点数の低い人は見下されたことになってしまう。スポーツで競うことだって同様だ。
 そんな観点から、この手の批判の裏側には、美しさで評価される人への嫉妬のような感情が、少なからずあるのではないか?と推測する。個人的にはそのような感情をもっともらしく性差別と言い換えているように思えてならない。男尊女卑傾向の解消は確実に必要だが、適当とは思えない批判を繰り広げれば、解消は逆に遠のいてしまうのではないだろうか。

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